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「好色五人女」 樽屋おせん物語


井原西鶴「好色五人女」の巻二「情を入れし樽屋物かたり」を現代語表記で紹介するページです。
1.恋に泣き輪の井戸替え
身は限りあり、恋は尽きせず。
無常は我手細工の棺桶に覚え、世を渡る業とて、錐のこぎりの忙しく、鉋屑の煙短く、難波の蘆の屋を借りて、天満という所から住みなす男あり。
女も、同じ片里の者には優れて耳の根白く、足も土気離れて、14の大晦日に親里の御年貢、三分一銀にさし詰まりて、棟高き町家に腰元使いして月日を重ねしに、自然と才覚に生れつき、御隠居への心使い、奥様の気を取る事、それより末すえの人にまで、悪しからず思われ、その後は内蔵の出し入りをも任され、「この家に、おせんと言う女無うては」と諸人に思いつかれしは、その身、賢き故ぞかし。されども、情の道(恋の道)をわきまえず、一生、枕一つにて新ら夜を明しぬ。かりそめに戯れ袖褄引くにも、遠慮なく声高にして、その男、無首尾を悲しみ、後は、この女にもの言う人も無かりき。これを謗れど、人たる人の小娘は、かくありたきものなり。
折節は秋の初めの 7日、「織女に借小袖」とて、未だ仕立てより一度も召しもせぬを色々 7つ雌鶏羽に重ね、梶の葉に、ありふれたる歌を遊ばし祭り給えば、下々もそれぞれに、唐瓜・枝柿飾る事の、おかし。
横町裏借屋まで、かまど役にかかって、お家主殿の井戸替え、今日、殊に珍し。濁り水、大方かすりて、真砂の上がるに混じり、いつぞや見えぬとて人疑いし薄刃も出で、昆布に針さしたるも現れしが、これは何事にか致しけるぞや(誰を呪ったのか)。なお探し見るに、駒引銭・目鼻無しの裸人形・下り手の片し目貫き・継ぎ継ぎのよだれ掛け、様々の物こそ上がれ。蓋なしの外井戸、心許なき事なり。次第に涌水近く根輪(井戸の底)の時、昔の合釘離れて潰れければ、かの樽屋を呼び寄せて輪竹 [たが] の新しくなしぬ。
ここに流ゆくさざれ水を堰き止めて、三輪組む姿の老女、生ける虫をあいしけるを、樽屋、
「何ぞ?」と訊ねしに、
「これは、ただ今、汲み上げし、イモリといえる物なり。そなたは知らずや、この虫、竹の筒に籠めて煙となし、恋ふる人の黒髪に降りかくれば、あなたより思い付く事ぞ」と、さも有りのままに語りぬ。
この女、元は「夫婦池の こさん」とて、子堕しなりしが、この身すぎ、世に改められて(禁止令が出て)、今は、その酷き事を止めて、素麪の碓など引きて、一日暮しの命のうちに、寺町の入り相いの鐘も耳にうとく浅まし、いやしく身に覚えての因果、なお行く末の心ながら怖ろしき事を話しけるに、
それは一つも聞きも入れずして、イモリを焼きて恋の頼りになる事を深く問うに、
自ずとあはれさも勝りて、
「人には漏らさじ。その想いはいかなる御方様ぞ?」と言えば、樽屋、我を忘れて、焦がるる人は忘れず、口の有るに任せて樽の底を叩きて語りしは、
「その君、遠きにあらず。内かたのお腰元、おせんが、おせんが、百度の文の返しも無き」と涙に語れば、彼女、頷きて、
「それはイモリも要らず。我、堀川の橋かけて(橋渡し役として)、この恋、手に入れて、間無く想いを晴らさせん」と、かりそめに請け相いければ、樽屋、驚き、
「時分がらの世の中、金銀の入る事ならば想いながら成り難し。有らば何か惜しかるべし。正月に木綿着物、染めようは好み次第。盆に奈良ざらしの中位なるを一つ。内証は(打ち明けて言えば)こんな事で埓の明くやうに」と頼めば、
「それは欲に引きかるる恋ぞかし。我、頼まるるは、その分にはあらず。想いつかする仕掛けに大事有り。この年月、数千人の肝煎り、終に訳の悪しきという事無し。菊の節句より前に逢わし申すべし」と言えば、樽屋、いとど、かし燃ゆる胸に焚き付け、
「かか様一代の茶の薪は、我等の続け参らすべし」と、人は長生きの知れぬ(長生きするかもしれないのに)浮世に、恋路とて、大ぶんの事を請け合うは、おかし。

2.踊りは崩れ桶 夜更けて化物
天満に 7つの化け物あり。大鏡寺の前の傘 [からかさ] 火・神明の手無し稚児・曽根崎の逆さ女・11丁目の首締め縄・川崎の泣き坊主・池田町の笑い猫・鶯塚の燃え唐臼、これ皆、年を重ねし狐狸の業ぞかし。世に怖ろしきは人間、化けて命を取れり。
心は自ずからの闇なれや、7月28日の夜更けて、軒端を照せし灯籠も影無く、今日明日ばかりと名残りに、声をからしぬる馬鹿踊り(盆踊りの連中のこと)も、一人一人、己が家々に入りて、四辻の犬さえ夢を見し時、かの樽屋に頼まれし悪戯かか、面屋門口の未だ開けかけてありしを見合わせ、戸ざし険しく内に駆け込み、広敷に臥しまろび、
「やれやれ、すさまじや! 水が飲みたい」という声絶て、限りの様に見えしが、されども息の通うを頼みにして、呼び生けるに、何の子細もなく正気になりぬ。
内儀・隠居のかみ様をはじめて、
「何事か目に見えて、かくは怖れけるぞ?」
「我事、年寄りの言われざる(無益な)夜歩きながら、宵より寝ても目の合わぬあまりに、踊り見に参りしほどに、鍋嶋殿屋敷の前に、京の音頭、道念仁兵衛が口写し「山くどき」「松づくし」、しばらく耳に飽かず。あまたの男の中を押わけ、うちわかざして眺めけるに、闇にても人は賢く、老いたる姿をかづかす(騙されず)、白き帷子に黒き帯の結び目を当風に味わやれども、かりそめに我尻つめる人もなく、『女は若きうちのものぞ』と、少しは昔の思われ、口惜くて帰るに、この門近くなりて、年の程 24,5の美男、我に取りつき、
『恋に責められ、今、思い死に、ひとえ(1日) 2日を浮世の限り。腰元のおせんつれなし。この執心、他へは行くまし。この家内を 7日がうちに一人も残さず取り殺さん』という声の下より、鼻高く顔赤く、眼光り、住吉の御払いの先へ渡る形(天狗)のごとく、それに魂取られ、ただ、ものすごく、内かたへ駆け入る」のよし語れば、いずれも驚く中に、隠居、涙を流し給い、
「恋忍ぶ事、世に無き習いにはあらず。せんも縁付き頃なれば、その男、身すぎをわきまえ、博奕・後家狂いもせず、たまか(実直)ならば取らすべきに。いかなる者とも知れず、その男不憫や」と、しばし、もの言う人も無し。この、かかが仕掛け、さても、さても、恋に疎からず。
夜半なりて、各々、手を引かれ小家に戻り、この上の首尾を企むうちに、東窓より明り差し、隣に火打石の音、赤子泣き出し、紙帳漏りて夜もすがら食われし蚊を恨みて追い払い、二布の蚤取る片手に仏棚よりはした銭を取り出し、つまみ菜買うなど、物のせわしき世渡りの中にも、夫婦の語らいを楽しみ、南枕に寝むしろ、しとげなくなりしは、過ぎつる夜、きのえ子をも構わず何事をかし侍る?
ようよう朝日輝き、秋の風、身には凍まざるほど吹きしに、かかは鉢巻きして枕重げにもてなし、岡島道斎と云えるを頼み、薬代の当て所も無く、手づから薬缶にて、かしら煎じ(一番煎じ)の上がる時、おせん、裏道より見舞い来て、「お気相はいかが?」とやさしく訊ね、左の袂より奈良漬瓜を片舟、蓮の葉に包みて束ね薪の上に置き、
「醤油のたまりを参らば」と言い捨てて帰るを、かか引き留めて、
「我は、早や、そなた故に、思いよらざる命を捨つるなり。自ら娘とても持たざれば、亡き後にて弔いても給はれ」と、古き苧桶 [をごけ] の底より紅の織紐付けし紫の革足袋一足、継ぎ継ぎの珠数袋、この中に、去られた時の暇の状ありしを、これは取って捨て、この二色(二品)をおせんに形見とて渡せば、女心のはかなく、これを誠に泣き出し、
「我に心有る人、さもあらば何にとて、その道知るるこなた様を頼み給わぬぞ。思惑知らせ給はば、それを、いたずらにはなさじ」と言う。かか、良き折節と、初めを語り、
「今は何を隠すべし。かねがね、我を頼まれし、その心ざしの深き事、あはれとも不便とも、また言うに足らず。この男を見捨て給わば、自らが執着(かかの恨み)とても、脇へは行かじ」と、年頃の口上手にて言い続ければ、おせんも自然となびき心になりて、もだもだと上気して、
「何時にても、その御方に逢わせ給え」と言うに嬉しく、約束を固め、
「一段の出合所を分別せし」と囁きて、「8月11日立ちに、抜け参り(抜け出しての伊勢参り)を。この道すがら契をこめ、行く末まで、互にいとしさ、かわゆさの枕物語しみじみと憎くかるまじき。しかも男ぶりじゃ」と思い付くように申せば、おせんも逢わぬ先より、その男を焦がれ、
「ものも書きやりますか? 頭は後ろ下がりで御座るか? 職人ならば、腰はかがみませぬか? ここ出た日は、守口か牧方に昼から泊りまして、蒲団を借りて早よう寝ましょ」と取り交ぜて談合するうちに、中居の久米が声して「おせん殿、お呼びなされます」と言えば、「いよいよ、11日の事」と申し残して帰りける。

3.京の水漏らさぬ中 忍びてあい釘
「朝顔の盛り、朝眺めは、ひとしほ凉しさも」と、宵より奥様の仰せられて、家居離れし裏の垣根に腰掛けを並べ、花氈 [はなせん] 敷かせ、
「重菓子入れに焼き飯、そぎ楊枝、茶瓶忘るな。明六つの少し前に行水をするぞ。髪はつゐ三つ折りに、帷子は広袖に、桃色の裏付きを取り出せ。帯は鼠繻子に丸づくし、飛紋の白きふたの物。よろずに心をつくるは隣町より人も見るなれば、下々にも継ぎの当たらぬ帷子を着せよ。天神橋の妹が方へは、常の起き時に、乗物に向かいに使わせよ」と何事をも、せんに任せられ、ゆたかなる蚊帳に入り給へば、四つの角の玉の鈴、音鳴して、寝入り給うまで番手に団扇の風静かなり。
我家の裏なる草花見るさえ、かく様態なり。総じて、世間の女の浮わ歌舞伎なる事、これに限らず。亭主は、なお奢りて、島原の野風・新町の荻野、この二人を毎日荷い買い(同条件で買い馴染む)して、津村の御堂参りとて肩衣は持たせ出でしが、直ぐに朝ごみ(朝の遊郭のこと)に行くよし見えける。
8月11日の曙前に、かの横町の、かか が板戸を密かに叩き、「せんで御座る」と言いもあえず、そこそこにからげたる風呂敷包一つ投げ入れて帰る。
物の取り落しも心得無く、火を灯して見れば、一匁繋ぎ銭五つ・こま銀18匁もあろうか、白突三升五合ほど・鰹節一つ・守袋に二つ櫛・染め分けのかかえ帯・銀すす竹の袷せ・扇流しの中なれなる浴衣・裏解きかけたる木綿足袋。わらんじの緒もしどけなく、加賀笠に「天満堀川」と無用の書き付けと、汚れぬように墨を落とす時、門の戸を訪れ、
「かか様、先へ参る」と男の声して言い捨て行く。その後、せんが身を震わして、
「内かたの首尾は只今」と言えば、かかは風呂敷を堤げて、人知れぬ道を走り過ぎ、
「我も大義なれども、神の事なれば、伊勢まで見届けてやろう」と言えば、せん、厭な顔して
「年寄られて長の道、思えば思えば及びがたし。その人に我を引き合わせ、兎角、伏見から夜舟で下り給え」と、早や、巻き心になりて、気の急くまま急ぎ行くに、京橋を渡りかかる時、朋輩の久七、今朝の御番替り(参勤交代)を見に罷りしが、「これは!」と見付けられしは、是非も無き恋の邪魔なり。
「それがしも、常々、御参宮心掛けしに、願うところの道連れ。荷物は我等持つべし。幸い、遣い銀は有り合わす。不自由なる目は見せまじ」と親しく申すは、久七もおせんに下心ある故ぞかし。かか、気色を変えて、
「女に男の同道、さりとはさりとは、人の見て、よもや唯とは言わじ。殊更、この神は左様の事を固く嫌い給えば、世に恥晒せし人見及び、聞き伝えしなり。平に平に、参り給うな」と言えば、
「これは思いもよらぬ事を改めらるる。さらに、おせん殿に心を掛くるにはあらず。ただ信心の思い立ち。それ『恋は祈らずとても神の守り給い』、心だに誠の道連れに叶いなば、日月のあはれみ。おせん様の情次第に、何国までも参りて、下向には京へ寄りて、4,5日もなぐさめ、折節、高尾の紅葉・嵯峨の松茸の盛り、川原町に旦那の定宿あれども、そこは、よろずに難し。三条の西詰めにちんまりとした座敷を借りて、おかか殿は六条参りをさせましょ」と、わが物にして行くは、久七がはまり(失敗)なり。
ようよう秋の日も山崎に傾き、淀堤の松蔭半ば行きしに、色つくりたる男の人待ち顔にて、丸葉の柳の根に腰を掛けしを、近くなりてみれば、申し交わせ樽屋なり。不首尾を目まぜして、後や先になりて行くこそ、案の外なれ。かかは、樽屋に言葉をかけ、
「こなたも伊勢参りと見えまして、しかもお一人。気立ても良き人と見ました。こなたと一緒の宿に」と申せば、樽屋、喜び、
「旅は人の情とかや申せし。万事頼みます」と言えば、久七、なかなか合点のゆかぬ顔して、
「行方も知れぬ人を、殊に、女中の連れには思いよらず」と言う。かか、情けらしき声して、
「神は見通し。おせん殿にはこなたという、つわものあり。何事か有るべし」と、かしま立ちの日より同じ宿に泊まり、思惑語らす隙を見るに、久七、気を付け、間の戸、障子を一つに外し、水風呂に入りても首出して覗き、日暮れて夢結ぶにも、四人同じ枕を並べし。
久七、寝ながら手を差し伸ばし、行燈のかわらけ傾け、やがて消るようにすれば、樽屋は枕に近き窓蓋をつき開け、「秋も、この暑さは」と言えば、折しも晴れ渡る月、四人の寝姿を顕わす。おせん空鼾を出せば、久七、右の足をもたす。樽屋、これを見て扇子拍子を取りて「恋は曲者、皆人の、、」と、曽我の道行きを語り出す。おせんは目覚まして、かかに寝物語り、
「世に女の子を産むほど怖ろしきは無し。常々思うに、年の明け次第、北野の不動堂のお弟子になりて、末すゑは出家の望み」と申せば、かか、現のように聞きて、
「それがまし。思うように物のならぬ浮き世に」と、前後を見れば、宵に西枕の久七は南かしらに、ふんどし解きて居るは、物参りの旅ながら不用心なり。樽屋は蛤貝に丁子の油を入れ、小杉の鼻紙に持ち添え、無念なる顔つき、おかし。
夜の内は互いに恋に関を据え、明の日は逢坂山より大津馬を借りて、三宝荒神に男女の一つに乗るを、脇から見てはおかしけれども、身のくたびれ、或いは思い入れあれば、人の見しも世間もわきまえ無し。おせんを中に乗せて、樽屋・久七両脇に乗りながら、久七、おせんが足の指先を握れば、樽屋は脇腹に手を差し、忍び忍び戯れ、その心のほど、おかし。
いずれも御参宮の心ざしにあらねば、内宮、二見えも掛けず、外宮ばかりへちょっと参りて、印ばかりにお祓い串、ワカメを調え、道中両方睨み合いて、何の子細も無く、京まで下向して、久七が才覚の宿に着けば、樽屋は取り返し物ども(立て替え金)、目のこ算用にして(一つ一つ計算して)、
「このほどは何分、御厄介になりまして」と一礼言うて別れぬ。
久七、今は我物にして、それぞれの土産物を見い出して買うてやりける。日の暮るるも待ち久しく、烏丸のほとりへ近き人ありて見舞しうちに、かかは、おせんを連れて清水さまへ参るの由、取り急ぎ宿を出て行きしが、祇薗町の仕出し弁当屋の簾に付け紙、目印に錐と鋸を書き置きしが、このうちへ、おせん入るかと見えしが、中二階に上れば、樽屋出合い、末すゑ約束の盃事して、その後、かかは箱梯子降りて、
「ここは、さてさて、水が良い」とて、煎じ茶、果てしもなく飲みにける。これを契の初めにして、樽屋は昼舟に大坂に下りぬ。かか、おせんは宿に帰りて、俄に、
「今から下る」と言えば、
「是非 2,3日は都見物」と、久七、留めけれども、
「いやいや、奥様に男狂いなどしたと思われましては、如何」と出て行く。
「風呂敷包は、大義ながら、久七殿、頼む」と言えば、「肩が痛む」とて持たず。大仏・稻荷の前、藤の森に休みし茶の銭も、銘々に払いにして下りける。

4.こけらは胸の焚き付け さら世帯
「参るならば、参ると、内へ知らして参らば、通し駕籠か、乗り掛けて参らすに。物好きなる抜け参りして、この土産物は、どこの銭で買うたぞ? 夫婦連れ立ちても、そのその、そんな事はせぬぞ。ようもようも、二人連れで下向した事じゃまで。久七や、せんが酒迎いに寝所をして取らせ。あれは女の事じゃが、久七が勧めて(そそのかして)、知恵無い神に男心を知らすというものじゃ!」と、お内儀さまの御腹立、久七が申し訳一つも埓明かず、罪無うして疑われ、9月5日の出替りを待たず御暇申して、その後は北浜の備前屋という上問屋に季を重ね、八橋の長と言える蓮葉女を女房にして、今見れば柳小路にて鮨屋をして世を暮らし、せんが事、つい忘れける。人は皆、移気なるものぞかし。
せんは別の事無く奉公をせし内にも、樽屋掛かりの情を忘れかね、心も空にうかうかとなりて、昼夜のわきまえもなく、自ずから身を捨て、女に定ってのたしなみをもせず、その様いやしげに成りて、次第次第やつれける。かかる折節、鶏とぼけて宵鳴すれば、大釜、自然と腐りて底を抜かし、突っ込みし朝夕の味噌、風味変り、雷、内蔵の軒端に落ちかかり、良からぬ事うち続きし。
これ皆、自然の道理なるに、この事、気に掛けられし折から、誰が言うともなく、せんを焦がるる男の執心、今に止む事無く、「その人は、樽屋なるは?」と申せば、親方、伝え聞きて、
「何とぞして、その男に、せんを貰らわさん」と、横町のかかを呼び寄せ、内談ありしに、
「常々、せん申せしは『男持つども、職人は、いや』と言われければ、心もとなし」と申せば、
「それはいらざる物好み。何によらず世をさえ渡らば、勝手づく(好都合)」と、様々意見して、樽屋へ申し遣し、縁の約束極め、ほどなく、せんに脇塞がせ、かね(お歯黒)を付けさせ、吉日を改められ、二番の木地長持一つ・伏見三寸の葛籠 [つづら] 一荷・糊地の挿み箱一つ・奥様着おろしの小袖二つ・夜着ふとん・赤ね縁の蚊屋・昔染めのかづき、取り集めて、物数 23。銀 200目付けて送られけるに、相性良く、仕合せ良く、夫は正直の頭を傾け細工をすれば、女はふしかね染の縞を織り習い、明け暮れ稼ぎけるほどに、盆前・大晦日にも、内を出違うほどにもあらず。大かたに世を渡りけるが、殊更、男を大事に掛け、雪の日・風の立つ時は、食つぎを包み置き、夏は枕に扇を離さず、留守には宵から門口を固め、ゆめゆめ他の人には目をやらず、ものを二つ言えば、「こちのお人、お人」と嬉しがり、年月積りて良き中に二人まで産まれて、猶々、男の事を忘れざりき。
されば、一切の女、移り気なるものにして、旨き色話に現を抜かし、道頓堀の作り狂言を誠に見なし、いつともなく心を乱し、天王寺の桜の散り前、藤の棚の盛りに麗しき男に浮かれ、帰りては、一代養う男を嫌いぬ。これほど無理なる事無し。それより、よろずの始末心を捨て、大焚きする竃を見ず、塩が水になるやら、いらぬ所に油火を灯すも構わず、身代薄くなりて、暇の明くを待かねける。かようの語らい、さりとは、さりとは、怖ろし。
死に別れては 、7日も立たぬに後夫を求め、去られては、5度 7度縁付き、さりとは口惜き下々の心底なり。上々には仮にも無き事ぞかし。女の一生に一人の男に身を任せ、障りあれば、御若年にして河州の道明寺、南都の法花寺にて出家を遂げらるる事も有りしに、なんぞ、隠し男をする女、浮き世にあまたあれども、男も、名の立つ事を悲しみ、沙汰無しに里へ帰し、あるいは、見付けて、さもしくも金銀の欲に耽けて、扱いにして(示談にして)済まし、手ぬるく命を助くるが故に、この事の止み難し。世に神有り、報いあり。隠しても知るべし、人恐るべき、この道なり。

5.木屑の杉楊枝 一寸先の命
「来たる 16日に、無菜の御斎申し上げたく候。御来駕においては忝く、奉り存じ候。町衆次第不同(順不同)、麹屋長左衛門」
「世の中の年月の立つ事、夢まぼろし。早や、過ぎ行かれし親仁 50年忌になりぬ。我長らえて、ここまで弔う事、嬉し。古人の申し伝えしは『50年忌になれば朝は精進して、暮は魚類になして、謡い、酒もり。その後は問わぬ事』と申せし。これが納めなれば、少し物入りも厭わず」
万事、その用意すれば、近所の出入りのかかども集り、椀家具・壷・平・るす・ちゃつまで取りさばき、手毎に拭きて膳棚に重ねける。
ここに樽屋が女房も、日頃、御懇ろなれば、御勝手(台所)にて働く事もと、御見舞い申しけるに、かねて才覚らしく見えければ、
「そなたは納戸にありし菓子の品々を椽高 [ふちたか] へ組み付けて」と申せば、手元見合わせ、饅頭・御所柿・唐ぐるみ・落雁・榧 [かや] ・杉楊枝、これをあらましに取り合わす時、亭主の長左衛門、棚より入子鉢を降ろすとて、おせんが頭に取り落とし、麗しき髪の結目たちまち解けて、主、これを悲しめば、
「少しも苦しからぬ御事」と申して、かい角ぐりて台所へ出けるを、麹屋の内儀、見咎めて気を回し、
「そなたの髪は、今の先まで美しく有りしが、納戸にて俄に解けしは、いかなる事ぞ!?」と言われし。おせん身に覚え無く、もの静かに、
「旦那殿、棚より道具を取り落とし給い、かくは成りける」と、あり様に申せど、これを更に合点せず、
「さては、昼も棚から入子鉢の落つる事も有るよ。いたずらなる七つ鉢め。枕せずに険しく寝れば、髪は解くるものじゃ。よい年をして、親の弔いの中にする事こそあれ!」と、人の、気尽くして盛り形刺身を投げこぼし、酢にあて粉にあて(何につけ彼につけ)、一日この事言い止まず。後は人も聞き耳立てて興醒めぬ。かかる悋気の深き女を持ち合わすこそ、その男の身にして因果なれ。
おせん迷惑ながら聞き暮せしが、
『思えば、思えば、憎き心中、とても濡れたる袂なれば(どうせ濡れ衣を着せられたのであれば)、この上は是非に及ばず。あの長左衛門殿に情けをかけ、あんな女に鼻あかせん』と思いひそめしより、格別の心ざし、ほどなく恋となり、忍び忍びに申し交わし、いつぞの首尾を待ちける。
貞享2年、正月22日の夜、恋は引く手の宝引き縄。女子の春なぐさみ、更けゆくまで取り乱れて、負けの気にするも有り、勝つに飽かず遊ぶもあり。我知らず鼾を出すもありて、樽屋も、灯し火消えかかり、男は昼のくたびれに、鼻をつまむも知らず。
おせんが帰るに、つけ込み、
「内々、約束、今」と言われて厭がならず内に引き入れ、後にも先にも、これが恋の初め。下帯・下紐解きもあえぬに、樽屋は目を開き「遭わば(見付けたからには)逃さぬ!」と声を掛くれば、夜の衣を脱ぎ捨て、丸裸にて、心、玉飛ぶがごとく、遙かなる藤の棚に紫のゆかりの人ありければ、命からがらにて逃げ延びける。
おせん、叶わなわじと覚悟の前、鉋にして心元を刺し通し、はかなくなりぬ。その後、亡骸も、悪戯男も同じ科野に恥を晒しぬ。
その名、様々の作り歌に遠国までも伝えける。悪しき事は逃れず。あな、おそろしの世や。