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信長公記(巻の1)

巻の1 の現代語表記と登場人物関連のページです。

巻の1
 1568 (永禄11) 年 戊辰以来、織田弾正忠信長の御在世、かつ、これの記。
1-01:
公方様御生害の事
先の公方: 光源院義照足利義輝 御生害、同御舎弟:鹿苑院 殿、その他、諸侯の衆歴々 討ち死の事。
その濫觴
[らんしょう]
は、三好修理大夫(三好長慶)、天下の執権たるによりて、
内々、 三好 ( 三好義継 )三好義継 に遺恨おぼし召されるべきと、かねて存知、
御謀叛を企てらるるの由、申しかすめ、事を左右に寄せ、
1565 (永禄 8) 年 5月19日に「清水詣」と号し、早朝より人数を寄せ、すなわち、諸勢、殿中へ乱れ入る。御仰天なされ侯といえども、是非なき御仕合せなり。数度斬って出で、伐ち崩し、余多に手負わせ、 公方足利義輝 様 御働き侯といえども、多勢に敵わず、御殿に火を懸け、終に御自害なされ侯、これ訖んぬ。
同じく 3番目の御舎弟:鹿苑院殿へも、平田和泉 を討手に差し向け、同じ刻に御生害。御伴衆ことごとく逃散し候。
その中に、日頃、御目を懸けられ侯、美濃屋小四郎 - 未だ若年 15,6 にして - 討手の大将:平田和泉を斬り殺し、御相伴仕り、高名比類無し。
誠に御当家 破滅、天下万民の愁歎、これに過ぐべからず、云々。

1-02:
一乗院殿 佐々木承禎 朝倉 御頼み 叶わぬ事
しかるに、2男御舎弟: 南都一乗院 義昭足利義昭
「 当寺 御相続の間、御身に対し、いささか以て、野心 御座なき 」の旨、
三好修理大夫三好義継松永弾正 ( 松永久秀 )松永久秀 方より、赦し申され侯。
「 もっとも 」の由、仰せられ侯て、暫く御在寺なさる。
ある時、南都
(奈良県奈良市)
を潜に出御ありて、 和田伊賀守和田惟政 を御頼みなされ、伊賀・甲賀路を経て、江州 矢島
(滋賀県守山市)
の郷へ御座 移され、
佐々木左京大夫承禎六角義賢 を頼みおぼし召す 」の旨、種々様々 上意侯といえども、
既に主従の恩顧を忘れ、同心能わず。結句、雑説を申し出だし、情無く追い出し申すの間、” 頼む木の本に雨漏れ ”、甲斐無く、また、越前 へ下向なされ訖んぬ。
朝倉朝倉義景 事、元来その者に非ずといえども、彼の父 上意をかすめ、御相伴の次に任じ、我が国において雅意に振る舞い、御帰洛の事、なかなか言葉に出だされざるの間、これまた、 公方足利義昭 様 御料簡無し。

1-03:
信長 御頼み 御請けの事
「 この上は、織田上総介信長 をひとえに頼み入られたき 」の趣、仰せ出だされ、
『 既に国を隔て、その上、信長、尫弱
[おうじゃく]
の士なりといえども、天下の忠功を致さん 』と欲せられ、一命を憚り御請けなさる。
1568 ( 永禄11 )年 7月27日、越前へ御迎えのため、
和田伊賀守和田惟政不破河内守 ( 不破光治 )不破光治村井民部村井貞勝島田所之助島田秀満 進上なさる。
濃州 西庄
(岐阜県岐阜市)
立正寺に至りて、 公方足利義昭 様 御成り。末席に鳥目 1,000貫積ませられ、御太刀・御鎧・武具・御馬 色々進上申され、その他、諸侯の御衆、これまた御馳走 斜ならず。
『 この上は、片時も御入洛 御急ぎあるべし 』と、おぼし召さる。
8月 7日、江州 佐和山
(滋賀県彦根市)
へ信長 御出でなされ、上意の御使に使者を相添えられ、 佐々木左京大夫承禎六角義賢
「 御入洛の路次、人質を出し馳走侯へ 」の旨、7ヶ日 御逗留侯て様々仰せ含めらる。
「 御本意 一途の上、天下所司代 申付けらるべく御堅約侯 」と言えども、許容能わず。

1-04:
信長御入洛十余日の内に 五畿内隣国仰せ付けられ 征夷将軍備えられの事
『 是非に及ばず。この上は、江州へ御手立てにさるべき 』の御造意、頻にて、
9月 7日に 公方足利義昭 様へ御暇を申され、
「 江州一辺に討ち果たし、御迎えを進上すべき 」の旨、仰せ上げられ、尾・濃勢 3,4ヶ国の軍兵を引卒し、9月 7日にうち立ち、平尾村
(岐阜県不破郡)
御陣取る。
同 8日に、江州 高宮
(滋賀県彦根市)
御着陣。両日 御逗留なされ、人馬の息を休め、
11日、愛智川近辺に野陣をかけさせられ、信長 駆け回し御覧じ、脇々 数ヶ所の御敵城へは御手遣いも無く、 佐々木父子 3人 立て籠もられ侯 観音寺
(滋賀県蒲生郡)
、ならびに、箕作山
(滋賀県東近江市)
へ、同12日に駆け上させられ、
佐久間右衛門佐久間信盛木下藤吉郎 ( 羽柴秀吉 )羽柴秀吉丹羽五郎左衛門丹羽長秀浅井新八 ( 浅井政貞 )浅井政貞 仰せ付けられ、箕作山の城 攻めさせられ、申剋(16:00) より夜に入り、攻め落し訖んぬ。
さるほどに、去る年、美濃国 大国を召しおかれ侯間、
『 定めて今度は、美濃衆を先手へ夫兵に差し遣わさるべし 』と、美濃衆 存知しところに、一円御構いなく、御馬廻にて 箕作 攻めさせられ、
美濃三人衆: 稲葉伊予稲葉一鉄氏家卜全氏家卜全安藤伊賀安藤守就 、『 案の外なる御手立てなり 』と、奇特の思いをなす由なり。
その夜は、信長、箕作山に御陣を居えさせられ、翌日、 佐々木承禎六角義賢 が館:観音寺山へ攻め上らるべき御存分のところに、 佐々木六角義賢 父子 3人、敗北致し、
13日に観音寺山 乗っ取り、御上り侯。
これにより、残党 降参致し侯の間、人質を取り固め、元の如く立て置かれ、一国平均侯へば、 公方足利義昭 様へ御堅約の御迎えのため、 不破河内不破光治 、14日に濃州 西庄
(岐阜県岐阜市)
立正寺へ差し遣わされ、
21日、既に御馬を進められ、 柏原
(滋賀県米原市)
上菩提院 御着座。
22日、桑実寺へ御なり。
24日、信長 守山
(滋賀県守山市)
まで御働き。翌日、志那
(滋賀県草津市)
・勢田
(滋賀県大津市)
の舟 さし合い、御逗留。
26日、御渡海なされ、三井寺 極楽院
(滋賀県大津市)
に御陣 懸けられ、諸勢、大津 馬場 松村、陣取る。
27日、 公方足利義昭 様 御渡海にて、同 三井寺 光浄院 御陣宿。
28日、信長、東福寺
(京都府京都市)
へ御陣 移され、 柴田日向守柴田勝家蜂屋兵庫頭蜂屋頼隆
森三左衛門森可成坂井右近 ( 坂井政尚 )坂井政尚 、この 4人に先陣を仰せ付けられ、すなわち、桂川うち越え、御敵城: 岩成主税頭 ( 岩成友通 )岩成友通 立て籠もる 青龍寺表
(京都府長岡京市)
手遣わし、御敵も足軽を出だし侯。右 4人の衆 見合せ、馬を乗り込み、頸 50余り討ち取り、東福寺にて信長へ御目に懸けらる。
公方足利義昭 様 同日に清水 御動座。
29日、青龍寺表へ御馬を寄せられ、寺戸
(京都府日向市)
寂照 御陣取り。これにより、
岩成主税頭岩成友通 降参仕る。
晦日、山崎
(京都府乙訓郡)
御着陣。先陣は天神の馬場
(大阪府高槻市)
陣取る。
芥川
(大阪府高槻市)
細川六郎 ( 細川昭元 )細川昭元 殿・ 三好日向守 ( 三好長逸 )三好長逸 立て籠もる。夜に入り退散。ならびに、 篠原右京亮 ( 篠原長房 )篠原長房 居城:越水・滝山、これまた退城。しかる間、芥川の城、信長 供奉なされ、 公方足利義昭 様 御座 移さる。
10月2日に池田の城、 筑後 ( 池田勝正 )池田勝正 居城へ御取りかけ、信長は北の山に御人数 備えられ、御覧侯。
水野金吾水野信元 内に、隠れなき勇士: 梶川平左衛門梶川高秀 とて、これあり。ならびに、御馬廻の内、 魚住隼人魚住隼人 ・山田半兵衛、これも隠れなき武篇者なり。両人、先を争い、外構え乗り込み、ここにて、押しつ押されつ、暫くの闘いに、 梶川平左衛門梶川高秀 、腰骨を突かれて罷り退き、討ち死なり。 魚住隼人魚住隼人 も、ここにて手を負い、罷り退かる。
かように厳しく侯の間、互いに討ち死、数多これあり。終に火をかけ町を放火侯なり。今度、御動座の御伴衆、末代の高名と、諸家これを存じ、士力、日々にあらたにして、” 戦うこと風の発するが如く、攻むること河の決するが如し ” とは、それ、これを言うか。
池田筑後守池田勝正 降参致し、人質進上の間、御本陣 芥川の城へ御人数 うち納められ、五畿内隣国、皆もって御下知に任せらる。
松永弾正松永久秀 は、我が朝無双の「九十九髪」
(*1)
進上申され、
今井宗久今井宗久 、これまた隠れなき名物「松島」の壺
(*2)
、ならびに「紹鴎茄子」
(*3)
進献。
往昔、判官殿、一谷 鉄拐が崖
(*4)
召されし時の御鎧 進上申す者も、これあり。
異国・本朝の珍物を捧げ、信長へ御礼申し上ぐべしと、芥川 14日御逗留の間、門前市をなす事なり。
14日、芥川
(大阪府高槻市)
より 公方足利義昭 様 御帰洛。六条 本国寺 御座なさる。天下一同に喜悦の眉を開き訖んぬ。信長も御安堵の思いをなされ、当手の勢衆 召し列ねられ、直ちに清水へ御出で、
『 諸勢 洛中へ入り侯ては、下々届かざる族も、これあるべきかな 』の御思慮 加えられ、警固を洛中洛外へ仰せ付けられ、猥
[みだれがましき]
儀、これ無し。
既に畿内の逆徒等、数ヶ所 城郭を構え、相支うるといえども、風に草木の靡くが如く、10余日の内にことごとく退散し、天下 御存分に属す。
細川細川昭元 殿 屋形、御座として信長 供奉なされ、御殿に於いて御太刀・御馬 御進上。かたじけなくも御前へ信長 召し出だされ、三献の上、 公儀足利義昭 御酌にて御盃。ならびに、御剣 御拝領。
10月22日、御参内。職掌の御出立ち、儀式 相調え備え奉る。 征夷将軍足利義昭 、城都 御安座。信長 日域無双の御名誉、末代の御面日、後胤之亀競
[こういんのきけい]
に備えらるべきものなり。

*1
:「唐物茄子茶入 付藻茄子静嘉堂文庫美術館
  ただし、本能寺の変で破損後、漆で接着したものであり、元の色は失われているとの事
*2
: 本能寺の変にて焼失
*3
:「唐物茶入 銘紹鴎みほつくし茄子湯木美術館
*4 参考
「平家物語」坂落
コレクター信長の始まり。それに最初に火を付けたのは、松永久秀と今井宗久ということか。

1-05:
観世大夫 御能仕るの事
「 今度、粉骨の面々、見物仕るべき 」の旨、上意にて、観世太夫 に御能を仰せ付けらる。御能組、脇「弓八幡」御書立 13番なり。
信長、御書立 御覧じ、
「 未だ隣国の御望みも これある事に侯間、弓矢納まりたるところ御存分無き 」由に侯て、5番に縮められ、細川殿の御殿にて御座侯へき。
初献の御酌、 細川典厩 ( 細川藤賢 )細川藤賢 。ここにおいて信長へ、久我殿・ 細川兵部大輔細川藤孝和田伊賀守和田惟政 3使を以て、再三 御使、これあり。
「 副将軍か官領職に准ぜらるべき 」の趣を仰せ出ださる。しかりといえども、
「 この時においては、御斟酌 」の旨、仰せ出だされ、御請けこれ無し。
希代の御存分の由、都鄙の上下、これに感じ申し侯。
さて、
 わき能 「高砂」: 観世左近太夫・今春大太夫・観世小次郎
  大鼓: 大蔵二介
  小鼓: 観世彦右衛門
  笛:  ちょうあい
  太鼓: 観世又三郎
二献の御酌、大館伊予守。この時、右の 3使にて、再往 御使これあり、信長 御前へ御祗侯。かたじけなくも 三献の上、 公儀足利義昭 御酌にて御盃 下され、御鷹・御腹巻 御拝領。御面目次第、これに過ぐべからず。
 2番 「八島」  大鼓: 深谷長介
         小鼓: 幸五郎二郎
三献御酌、一色式部少輔
 3番 「定家」
 4番 「道成寺」
   信長の御鼓、御所望侯。しかりといえども、辞退申さる。
  太鼓: 大蔵二介
  小鼓: 観世右衛門
  笛:  伊藤宗十郎
 5番 「呉羽」
御能過ぎ侯て、一座の者 - 田楽かつら等まで - 信長より御引き出物 下さる。
その後、且つうは天下の御ため、且つうは往還の旅人 御燐愍の儀をおぼし召され、御分国中に数多これある諸関・諸役 上げさせられ、都鄙の貴賎、一同にかたじけなしと拝し奉り、満足仕り侯ひ訖んぬ。

1-06:
信長 御感状 御頂戴の事
10月24日、御帰国の御暇 仰せ上げらる。
25日に御感状。その御文言、
今度、国々凶徒等、日を歴ず、時を移さず、ことごとく退治せしむるの条、武勇天下第一なり。当家の再興これに過ぐべからず。弥国家の安治、ひとえに頼み入るの外、他無し。なお、 藤孝細川藤孝惟政和田惟政 申すべきなり。
  10月24日        御 判
    御父 織田弾正忠 殿
 御追加
今度大忠によって、紋桐・引両筋 遣わし侯。武功の力を受くべき祝儀なり。
  10月24日        御 判
    御父 織田弾正忠 殿
と、下しなされ、前代未聞の御面目、重畳、言葉に書き尽し難し。
26日、江州 守山まで御下。
27日、柏原 上菩提院 御泊。
28日、濃州の内、岐阜 御帰城。千秋万歳、珍重々々。



この巻の登場人物と他巻リンク

織田信長 [34歳] 1568年時点

浅井政貞 [--] あざい まさただ

朝倉義景 [55] あさくら よしかげ

足利義昭 [31] あしかが よしあき

足利義輝 [没] あしかが よしてる

安藤守就 [65] あんどう もりなり

池田勝正 [29] いけだ かつまさ

稲葉一鉄 [53] いなば いってつ

今井宗久 [48] いまい そうきゅう

岩成友通 [--] いわなり ともみち

魚住隼人 [--] うおずみ はやと

氏家卜全 [56] うじいえ ぼくぜん

梶川高秀 [--] かじかわ たかひで

 水野信元の家来。梶川平左衛門
 1-04: 信長御入洛十余日の内に...
 0-23: 鳴海之城へ御砦の事

坂井政尚 [--] さかい まさひさ

佐久間信盛 [40] さくま のぶもり

 織田の家臣。佐久間右衛門
 1-04: 信長御入洛十余日の内に...
 2-06: 阿坂の城 退散の事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-06: 落窪合戦の事
 3-07: たけくらべ・かりやす砦の事
 3-10: 志賀御陣の事
 4-03: 大田口合戦の事
 4-04: 志むら攻め干さるるの事
 5-02: 交野へ 松永 砦仕り侯て 追...
 5-03: 奇妙様 御具足初めに 虎後...
 5-04: 味方ヶ原合戦の事
 6-05: 百済寺伽藍 御放火の事
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-08: 真木島にて御降参 公方様...
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 7-04: 蘭著待 切り取らるるの事
 7-05: 佐々木承禎、石部城退散の事
 7-09: 河内長島一篇に仰せ付けら...
 8-03: 河内国新堀城攻め干され...
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 8-14: 御家督 御譲りの事
 9-04: 御後巻 再三 御合戦の事
 9-05: 西国より大船を催し 木津...
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-02: 内裡 御築地の事
 10-03: 御名物召し置かるるの事
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-11: 大船 堺津にて御見物の事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...
 13-01: 播州 三木落居の事
 13-03: 大坂退散 御請け誓紙の事
 13-09: 大坂退散の事
 13-11: 佐久間・林佐渡・丹羽...
 15-02: 御爆竹の事
 0-09: 備後守 病死の事
 0-18: 勘十郎殿 林 柴田 御敵の事
 0-23: 鳴海之城へ御砦の事
 0-24: 今川義元 討ち死の事

篠原長房 [--] しのはら ながふさ

 三好家の家臣。篠原右京亮
 1-04: 信長御入洛十余日の内に...
 3-09: 野田福島御陣の事

柴田勝家 [46] しばた かついえ

 織田の家臣。柴田日向守
 1-04: 信長御入洛十余日の内に...
 2-06: 阿坂の城 退散の事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-06: 落窪合戦の事
 3-07: たけくらべ・かりやす砦の事
 3-10: 志賀御陣の事
 4-03: 大田口合戦の事
 4-04: 志むら攻め干さるるの事
 5-02: 交野へ 松永 砦仕り侯て 追...
 5-03: 奇妙様 御具足初めに...
 6-03: 石山・今堅田 攻められ候...
 6-05: 百済寺伽藍 御放火の事
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 7-04: 蘭著待 切り取らるるの事
 7-09: 河内長島一篇に仰せ付けら...
 8-03: 河内国新堀城攻め干され...
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 10-06: 柴田 北国 相働くの事
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 12-06: 赤井悪右衛門 退参の事
 12-16: 親王様 二条御新造へ行...
 13-04: 能登・加賀両国、柴田...
 13-05: 阿賀の寺内 申し付くる...
 13-11: 佐久間・林佐渡・丹羽...
 13-12: 賀州一揆 歴々 生害の事
 14-01: 御爆竹の事
 14-02: 御馬揃えの事
 14-06: 因幡国 鳥取城 取り詰...
 15-11: 越中富山の城、神保越...
 15-12: 武田典厩 生害、下曾禰...
 0-09: 備後守 病死の事
 0-12: 深田松葉 両城 手替わりの事
 0-15: 柴田権六 中市場 合戦の事
 0-18: 勘十郎殿 林 柴田 御敵の事
 0-25: 家康公 岡崎の御城へ...

島田秀満 [--] しまだ ひでみつ

丹羽長秀 [33] にわ ながひで

 織田の家臣。丹羽五郎左衛門
 1-04: 信長御入洛十余日の内に...
 2-05: 名物 召され置きの事
 2-06: 阿坂の城 退散の事
 3-02: 名物 召し置かるるの事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-07: たけくらべ・かりやす砦の事
 3-08: 姉川合戦の事
 3-10: 志賀御陣の事
 4-01: 佐和山城 渡し進上の事
 4-04: 志むら攻め干さるるの事
 4-06: 御修理造り畢るの事
 5-01: 武者小路 御普請の事
 5-03: 奇妙様 御具足初めに...
 6-03: 石山・今堅田 攻められ候...
 6-05: 百済寺伽藍 御放火の事
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 7-02: 前波生害、越前一揆蜂起の事
 7-04: 蘭著待 切り取らるるの事
 7-09: 河内長島一篇に仰せ付けら...
 8-01: 御分国 道作り 仰せ付けら...
 8-02: 公家領 徳政にて仰せ付け...
 8-03: 河内国新堀城攻め干され...
 8-04: 三州 長篠 御合戦の事
 8-06: 禁中において親王様 御鞠...
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 9-01: 安土 御普請の事
 9-04: 御後巻 再三 御合戦の事
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-03: 御名物召し置かるるの事
 10-06: 柴田 北国 相働くの事
 10-07: 松永謀叛 並びに 人質...
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 10-13: 三州吉良へ御鷹野の事
 10-14: 中将信忠へ御名物11種...
 11-01: 御茶の湯の事
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-14: 安部二右衛門 御忠節の事
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...
 12-01: 摂津国 御陣の事
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 12-09: 宇治橋 取り懸けの事
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 14-04: 和泉 巻尾寺 破滅の事
 14-06: 因幡国 鳥取城 取り詰...
 14-09: 能登・越中 城々破却の事
 14-10: 伊賀国、三介殿に仰せ...
 14-11: 伊賀国へ 信長 御発向...
 15-14: 人数備えの事
 15-19: 御国割りの事
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 15-25: 家康公・穴山梅雪 御上...
 15-28: 家康公・穴山梅雪、奈...
 0-05: 景清 あざ丸刀の事
 0-40: 加治田之城 御味方に参る事
 0-41: 犬山両おとな 御忠節の事
 0-42: 濃州 伊木山へ御上りの事
 0-43: 堂洞砦 攻めらるの事

羽柴秀吉 [31] はしば ひでよし

 織田の武将。木下藤吉郎
 1-04: 信長御入洛十余日の内に...
 2-06: 阿坂の城 退散の事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-07: たけくらべ・かりやす砦の事
 3-08: 姉川合戦の事
 3-10: 志賀御陣の事
 4-02: 箕蒲合戦の事
 5-03: 奇妙様 御具足初めに 虎後...
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-08: 真木島にて御降参 公方様...
 6-10: 岩成 討ち果たされ候事
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 7-02: 前波生害、越前一揆蜂起の事
 7-10: 樋口夫婦 御生害の事
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 9-01: 安土 御普請の事
 9-04: 御後巻 再三 御合戦の事
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-03: 御名物召し置かるるの事
 10-06: 柴田 北国 相働くの事
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 10-10: 中将信忠御位の事
 10-12: 但馬・播磨、羽柴に申...
 10-13: 三州吉良へ御鷹野の事
 11-01: 御茶の湯の事
 11-04: 磯野丹波・磯貝新左衛...
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...
 12-03: 二条殿・烏丸殿・菊庭...
 12-05: 丹波国 波多野兄弟 張...
 12-07: 荒木 伊丹城・妻子捨て...
 12-14: 氏政 甲州表へ働きの事
 13-01: 播州 三木落居の事
 13-05: 阿賀の寺内 申し付くる...
 13-08: 因幡・伯耆両国に至り...
 13-11: 佐久間・林佐渡・丹羽...
 14-03: 高天神 干殺し 歴々 討...
 14-06: 因幡国 鳥取城 取り詰...
 14-07: 8月朔日 御馬揃えの事
 14-12: 因幡国 鳥取 果て口の事
 14-13: 伯耆国 南条表 発向の事
 14-14: 淡路島 申し付けらるる...
 14-15: 悪党 御成敗の事
 15-02: 御爆竹の事
 15-05: 木曾義政 忠節の事
 15-13: 中国表 羽柴筑前 働き...
 15-26: 羽柴筑前守秀吉、備中...

蜂屋頼隆 [34] はちや よりたか

不破光治 [--] ふわ みつはる

細川昭元 [20] ほそかわ あきもと

細川藤賢 [51] ほそかわ ふじかた

細川藤孝 [34] ほそかわ ふじたか

松永久秀 [58] まつなが ひさひで

水野信元 [--] みずの のぶもと

三好長逸 [--] みよし ながやす

三好義継 [19] みよし よしつぐ

村井貞勝 [48] むらい さだかつ

森可成  [45] もり よしなり

六角義賢 [47] ろっかく よしかた

六角義定 [21] ろっかく よしさだ

六角義治 [23] ろっかく よしはる

和田惟政 [38] わだ これまさ