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信長公記(巻の11)

巻の11 の現代語表記と登場人物関連のページです。

巻の11
 1578 (天正 6) 年 戊寅
11-01:
御茶の湯の事
正月朔日、五畿内・泉州・越州・尾・濃・江・勢州、隣国の面々等、安土にて各々御出仕、御礼これあり。
まず、朝の御茶、12人に下さる。御座敷、右勝手 6畳布、4尺縁。
御人数の事: 中将信忠卿織田信忠二位法印武井夕庵林佐渡守林秀貞瀧川左近滝川一益永岡兵部大輔細川藤孝
惟任日向守明智光秀荒木摂津守荒木村重長谷川與次長谷川與次羽柴筑前羽柴秀吉惟住五郎左衛門丹羽長秀
市橋九郎右衛門市橋長利長谷川宗仁長谷川宗仁 、以上。
御飾りの次第: 御床に「岸の御絵」、東に「松島」、西に「三日月」、四方盆「万歳大海」、水指し「帰花」、「周光茶碗」、囲爐裏に 御釜姥口 鎖にて、花入 筒なり。
御茶道: 宮内卿法印松井友閑 、以上。
御茶過ぎ侯て、各々御出仕あり。3献にて御盃 御拝領。
御酌: 矢部善七郎矢部家定大津伝十郎大津長治 ・ 大塚又一・青山虎。
その後、御殿 御座所まで、皆、見せさせられ、3国の名所を、 狩野永徳狩野永徳 に仰せ付けられ、濃絵に移され、色々、御名物 馳せ集まり、心も詞も及ばれず。御威光、なかなか勝げて計うべからず。各々この御座敷へ召し上げられ、ことごとくへ御糟煮、ならびに、唐物の御菓子 色々下され、生前の思い出、末代の物語、かたじけなき次第、申すに足らず。
去年の冬、 三位中将信忠卿織田信忠 へ進ぜられ侯 御名物の御道具、→ #10-14
正月 4日に 萬見仙千代 ( 万見重元 )万見重元 所にて、御開きの御会なさる。
この時の人数 9人: 二位法印武井夕庵宮内卿法印松井友閑林佐渡守林秀貞瀧川左近滝川一益長谷川與次長谷川與次市橋九郎右衛門市橋長利惟住五郎左衛門丹羽長秀羽柴筑前守羽柴秀吉長谷川宗仁長谷川宗仁 、以上。
今度、 市橋九郎右衛門市橋長利 に「芙蓉の御絵」、信長公より下され、外聞面目の至りなり。

11-02:
御節会の事
さるほどに、御節会 廃れて久しく、これ無く、当時、都の者、この式会 存ぜず。
然らば、信長公の御代になりて、上を敬し奉り、月卿雲客・公卿・殿上人・役者達へ御知行 参られ、諸卿達、内裡に集まりて、二枝の根引の松を以て、正月朔日 辰時(8:00)に神歌を謡い、いろいろ儀式ありて、天下の祭事あり。
洛中辺土の貴賎男女、かかる めでたき御代に生まれ合い、久しく絶たりし祭事 執行し給い、ありがたき御事なり。
正月10日、御鷹の鶴、禁中へ叡覧に備えらる上のところに、すなわち、皇家に懸け置かれ、叡感ありて、御悦び 斜ならず。
近衛近衛前久 殿 へも御鷹の鶴 進ぜらる。御使: 針阿弥。
翌日、御礼として、安土に至りて、 近衛近衛前久 殿 御成り、
町家に御座候体、聞こし召し及ばれ、 宮内卿法印松井友閑 所、御宿に仰せ付けらる。御服かみ下、色々 御取り揃えなされ、
御礼に参らるる 御申しありて、次日 払暁、御帰洛。
正月13日、尾州 清州にて御鷹つかわさるべきため、柏原まで御成り。
14日、岐阜へ御下り、翌日 御逗留。
16日、尾州 清須へ御下着。
18日、三州 吉良へ御成り、雁・鶴 余多 御取り飼いなさる。
22日、尾州へ御帰り。
23日、岐阜まで御上り、次日、御滞留。
25日、安土に至りて御帰城。

11-03:
回禄せし御弓衆 御折檻の事
正月29日、御弓の者: 福田與一 宿より火事出来、
「 これ、ひとえに、妻子を引き越し侯はぬ故、回禄侯 」由、御諚なされ、すなわち、
菅谷九右衛門菅屋長頼 御奉行として、御着到を付けさせられ、御改め侯のところ、御弓衆 60人、御馬廻 60人、120人の妻子越し侯はぬ者、一度に御折檻。
「 御弓衆の内より火を出だし申すに付きて、まず、曲事! 」の旨、上意にて、
岐阜中将信忠公織田信忠 へ仰せ遣わされ、岐阜より御奉行 出だされ、尾州に妻子置き申し侯 御弓衆の私宅、ことごとく御放火なされ、竹木まで伐させられ、これにより、取る物も取り敢えず、120人の女房ども安土へ越し申し侯。
今度の過怠として、御構えの南江の内に新道を築かせられ、いずれも御赦免 侯なり。

11-04:
磯野丹波・磯貝新左衛門の事
戊寅 2月 3日、 磯野丹波守磯野員昌 、上意を違背申し、御折檻なされ、逐電仕り、
すなわち、高島
(滋賀県高島市)
一向に、 津田七兵衛信澄織田信澄 、仰せ付けられ侯なり。
戊寅 2月 9日、吉野の奥山中に 磯貝新右衛門磯貝久次 隠居仕り侯を、同地の者、頸を切り安土へ進上致し侯。御褒美として黄金下さる。 → #6-08
一度 御憎を蒙り侯の者、御存分に属さずという事無し。
戊寅 2月23日、 羽柴筑前守秀吉羽柴秀吉 、播州へ相働く。 別所別所長治 与力:嘉古川
(兵庫県加古川市)
の 賀須屋内膳 の城を借り、 羽柴筑前羽柴秀吉 人数入れ置き、 秀吉羽柴秀吉 は書写山
(兵庫県姫路市)
取り上り、要害を構え居陣なり。
しかる間、 別所小三郎別所長治 存分を申し立て、三木
(兵庫県三木市)
城へ立て籠もるなり。

11-05:
相撲の事
戊寅 2月29日、江州 国中の相撲取り 300人召し寄せられ、安土御山にて相撲取らせて御覧侯。この中、23人撰り相撲、これあり。この者どもには御扇を下され、
中にも、日野長光 には別して御念入れられ、平骨に濃たる御扇、御前へ召し寄せられ、拝領。外聞面目の至りなり。
行事: 木瀬蔵春庵木瀬蔵春庵 ・木瀬太郎大夫なり。この両人、御服下され頂戴す。
23人撰り相撲 人数: 東馬二郎・たいとう・日野長光・正権・妙仁・円浄寺・地蔵坊・力円・草山・平蔵・宗永・木村伊小助・周永・あら鹿・づこう・青地孫二郎・山田與兵衛・ 村田吉五村田吉五 ・太田平左衛門・大塚新八・麻生三五・下川彌九郎・助五郎、以上 23人。
戊寅 3月 6日、御鷹山狩として奥の島山
(滋賀県近江八幡市)
へ御上りなされ、長命寺 若林坊に御泊。3日の御鷹野、物かず仰せ付けられ、8日に安土 御帰陣。
戊寅 3月23日、御上洛。二条 御新造へ御座 移さる。

11-06:
高倉山西国陣の事
戊寅 4月 4日、大坂表 御人数出ださる。 三位中将信忠織田信忠 御大将軍にて、尾・濃・勢州、 北畠信雄卿織田信雄織田上野守織田信包神戸三七(信孝)織田信孝津田七兵衛(信澄)織田信澄瀧川左近滝川一益
惟任日向守明智光秀蜂屋兵庫頭蜂屋頼隆惟住五郎左衛門丹羽長秀 、江州・若州・五畿内衆、罷り立ち、
4月 5日,6日 両日、大坂へ取り詰め、ことごとく麦苗薙ぎ拾て、御帰陣なり。
戊寅 4月 7日、越中 神保 ( 神保長住 )神保長住 殿、二条 御新造へ召し寄せられ、この頃、御対面 御座なき子細、 二位法印武井夕庵佐々権左衛門佐々長秋 を以て仰せ出でられ、黄金 100枚、ならびに、志々良 100端参ぜられ、 輝虎
上杉謙信
、相果てらるるにつきて、
飛騨国司
( 三木自綱 )
へ仰せ出でられ、 佐々権左衛門佐々長秋 相添え、越中へ入国侯なり。
戊寅 4月10日、 瀧川滝川一益惟任明智光秀惟住丹羽長秀 両 3人、丹波へ差し遣わされ、御敵城: 荒木山城 居城 取り巻き、水の手を止め攻められ候。迷惑致し、降参申し、退散去りて、
惟任日向守明智光秀 人数、入れ置く。
戊寅 4月26日、京都に至りて御帰陣。
4月中旬【 芸州より、 毛利 ( 毛利輝元 )毛利輝元吉川 ( 吉川元春 )吉川元春小早川 ( 小早川隆景 )小早川隆景宇喜多宇喜多直家 はじめとして、中国の人数を催し罷り出で、備前・播磨・美作 3ヶ国の境目にこれある上月の城:山中鹿介 居城 取巻き、ことごとく大亀山に中国衆取り上り、着陣 】の由、注進侯。
すなわち、 羽柴筑前守羽柴秀吉荒木摂津守荒木村重 両人罷り立ち、高倉山
(兵庫県佐用郡)
に近々と対陣なり。しかりといえども、高山を降り下って谷を隔て、熊見川を隔て侯の間、上月城、身続くべき行て、これ無し。
戊寅 4月22日、信長公、京都より安土 御下り。
4月27日、また、御出京。
「 5月朔日、播州 御動座なされ、東国 - 西国の人数、膚
[はだえ]
を合せ討ち勝って、関戸を限りて仰せ付けらるべき 」の旨、仰せ出ださるるところに、
佐久間佐久間信盛瀧川滝川一益蜂屋蜂屋頼隆惟任明智光秀 申す様、
「 播州の儀は瞼難をかかわり、節所を隔て要害を丈夫に構え 居陣の由、承り候間、いずれも罷り立ち、かの様子見計らい候て、申し上ぐべく候間、御延慮を加えられ、もっとも 」の由、各々、達て御意見なり。
寅 4月29日、 瀧川滝川一益惟任明智光秀惟住丹羽長秀 、出陣。
戊寅 5月朔日、 三位中将信忠織田信忠北畠信雄卿織田信雄織田上野守織田信包神戸三七(信孝)織田信孝
永岡兵部大輔細川藤孝佐久間佐久間信盛 、尾州・濃州・勢州 3ヶ国の御人数にて御出馬。その日、郡山
(大阪府茨木市)
に御泊。翌日、兵庫
(兵庫県神戸市)
、6日には播州の内、明石の並び 大窪
(兵庫県明石市)
という在所 御陣を居えられ侯。先陣 御敵城: 神吉・志方
(兵庫県加古川市)
・高砂へ差し向い、嘉古川近辺に野陣を懸けられ、

11-07:
洪水の事
5月13日、信長公「 御動座なさるべき侯 」旨、仰せ出だされ侯ところ、11日 巳刻(10:00) より雨強く降り、13日 午刻(12:00) まで夜日 5日、雨荒く降り続き、洪水おびただしく出で侯て、賀茂川・白川・桂川一面に押し渡し、都の小路小路、12日, 13日両日は一つに流れ、上京 舟橋の町 押し流し、水に溺れ、人余多 損じ死に侯なり。
村井長門村井貞勝 、新しく掛けられ侯 四条の橋、流れ、
かように洪水にて侯へども、今まで、信長公、御出陣と侯へば、御日取りの日限 相違え御座無きによりて、御舟にても御動座なさるべきかの儀を存知、淀・鳥目・宇治・真木島・山崎の者ども数 100艘、五条油の小路まで、櫓械
[ろかい]
を立て参る。これらの趣、言上のところ、御祝着 斜めならず侯なり。
5月24日、 竹中半兵衛竹中重治 申し上げ侯の子細は、備前の内、八幡山
(岡山県岡山市)
の城主、御味方仕り侯由、申し越し侯。御満足なされ、 羽柴筑前守秀吉羽柴秀吉 方へ、黄金 100枚、ならびに、 竹中半兵衛竹中重治 に銀子 100両下され、かたじけなき次第にて、罷り帰り侯なり。
寅 5月27日、信長、安土 大水の様子 御覧なさるべきため、御下り。松本
(滋賀県大津市)
より矢橋
(滋賀県草津市)
へ御舟に召され、御小姓衆ばかりにて、御渡海。
寅 6月10日、信長御上洛。また、矢橋より御舟にて松本へ御上り。
寅 6月14日、砥園会。信長 御見物。御馬廻・御小姓衆、いずれも
「 弓・鑓・長刀、持ち道具 無用 」の由、御諚にて、持たれ侯はず。
祭御見物の後、御伴衆 御帰しなされ、御小姓衆 10人ばかりにて、直ちに御鷹野へ御出で。雨少し降る。
その日、 近衛近衛前久 殿へ、御知行、合せて 1,500石、山城の内、普賢寺
(京都府京田辺市)
にて進められ侯。

11-08:
播磨神吉城攻めの事
寅 6月16日、 羽柴筑前守羽柴秀吉 、播州より罷り上り、一々御諚 得らるるのところ、
「 謀略 相調わず、張陣侯ても曲なく侯間、まず、この陣引き払い、神吉・志方
(兵庫県加古川市)
へ押し寄せ、攻め破り、その上、三木 別所別所長治 が構え、取り詰めしかるべき 」旨、仰せ出だされ、神吉城 攻め 御検使: 大津伝十郎大津長治 ・水野九蔵・大塚又一郎・
長谷川竹( 長谷川秀一)長谷川秀一矢部善七郎矢部家定菅谷九右衛門菅屋長頼萬見仙千代万見重元祝彌三郎祝重正 、御番替えに仰せ付けられ、
6月21日、信長、京都より安土に至りて御下り。
6月26日、 瀧川滝川一益惟任明智光秀惟住丹羽長秀 人数、三日月山
(兵庫県佐用郡)
へ受け手に引き上げ、
羽柴筑前羽柴秀吉荒木摂津守荒木村重 、高倉山の人数引き払い、書写まで諸勢 うち納め、次日は神吉の城 取り詰む。
北より東の山に、 三位中将信忠卿織田信忠神戸三七信孝織田信孝林佐渡守林秀貞永岡細川藤孝佐久間佐久間信盛 、前後左右、段々に取り続き 陣を懸けさせられ、志方の城、 北畠信雄卿織田信雄 御陣取りなり。
惟住五郎左衛門丹羽長秀 、若州衆 受け手として、西の山に陣を張る。
この外の御人数: 瀧川滝川一益稲葉稲葉一鉄蜂屋蜂屋頼隆筒井順慶筒井順慶武藤惣右衛門武藤舜秀惟任明智光秀伊賀安藤守就氏家氏家直昌荒木荒木村重 、これらは、神吉
(兵庫県加古川市)
の城、荒々と取り寄せ、構え即時に攻め破り裸城になし、本城の堀へ飛び入り飛び入り、塀を突き崩し、数刻 攻めらる。
神戸三七織田信孝 、足軽と先を争い、御手を砕かれ、手負い死人、数輩これあり。
一旦に成りがたきの間、その日は衆口を甘ろげ、また翌日、竹束を以て仕り寄り、本城の塀際まで詰め寄せ、填草をよせ、築山をつき、攻められ侯。 羽柴筑前羽柴秀吉 は、但馬国へ相働き、国衆 前々如く 召し出だし、竹田
(兵庫県朝来市)
の城に 木下小一郎羽柴秀長 入れ置かれ侯ヘき。これより書写へ、 羽柴筑前羽柴秀吉 人数うち納めらる。
さて、神吉の城 攻め口、南の方 手薄に御座侯によりて、 織田上野守織田信包 御陣を寄せられ、また、御敵 相働かざるの間、受け手に人数要らざるに付きて、 惟住五郎左衛門丹羽長秀 ・若州衆、神吉 東の口を受け取り、まず 1番に城楼 高々と 2つ組み上げ、大鉄砲を以て撃ち入れ、堀を填めさせ 築山を築き上げ攻められ、 瀧川左近滝川一益、南より東へ付きて攻め口なり。
かね堀を入れ、城楼を上げ、大鉄砲以て、塀・櫓打ち崩し、櫓へ火を付け焼き落し、この他、諸手、手前手前に城楼・築山をつき、日夜攻めらる。 種々 御侘言 申し侯といえども、御検使を出だされ、堅く仰せ付けられ侯間、御許容これ無し。
寅 6月29日、信長公より仰せ出だされ、
「 兵庫と明石の間、明石より高砂
(兵庫県高砂市)
の間、道の程 遠く候間、舟手の海賊等 警固のため、 津田七兵衛織田信澄 、山城衆 相加え、 萬見仙千代万見重元 遣わされ、しかるべき地を見計りおき申すべき 」の趣、御諚にて、能き山を足懸りにこしらえ置く。
仙千代万見重元 は罷り帰り、様子言上侯ひしなり。この他、路次つまりつまりに、
三位中将信忠卿織田信忠 より仰せ付けられ、 林佐渡林秀貞市橋九郎左衛門市橋長利浅井新八浅井政貞
和田八郎・中島勝太・ 塚本小大膳塚本小大膳簗田左衛門太郎簗田広正 、番替りに御警固 侯ひしなり。
さるほど、洛中 四条道場、(戊寅)7月 8日 巳刻(10:00)、寮舎より火を出だし、回禄の時節 到来なり。
寅 7月15日夜に入り、神吉の城へ 瀧川左近滝川一益惟住五郎左衛門丹羽長秀 、両手より東の丸へ乗り入れ、16日に中の丸へ攻め込み、神吉民部少輔 討ち取り、天主に火を懸け、込み入り込み出だし、戦う事、火花を散らし、その間に天主は焼け落ち、過半、焼死候なり。
西の丸は 荒木摂津守荒木村重 攻め口なり。これには 神吉藤大夫 立て籠もる。 佐久間右衛門尉佐久間信盛荒木摂津守荒木村重 両人、御侘言の馳走を以て御赦免なされ、ならびに志方の城へ罷り退く。
神吉:落去の城、 羽柴筑前羽柴秀吉 に相渡し、また、志方の城へ総人数 取り懸けられ、これまた、かかわり難く見及び、降参申し、ならびに人質 当城 相渡し、右両城、 羽柴筑前羽柴秀吉 受け取り、また、これより、 別所小三郎別所長治 立て籠り候、三木の城へ、総御人数 取り懸け、塞々に、近々と付城の御要害 仰せ付けられ、御在陣候ひしなり。

11-09:
九鬼大船の事
勢州の 九鬼右馬允九鬼喜隆 に仰せ付けられ、大船 6艘作り立て、ならびに、 瀧川左近滝川一益、大船 1艘 - これは白舟にこしらえ -、順風見計らい、寅 6月26日、熊野浦へ押し出だし、大坂表へ乗り回し侯のところ、
各の輪(丹和)海上にて、この大船 相支うべき行てとして、雑賀・谷輸、浦々の小船 数知らず乗り懸け、矢を打ち懸け、鉄砲を放ち懸け、四方より攻め侯なり。
九鬼右馬允九鬼喜隆 、7艘の大船に小船を相添え、山の如く飾り立て、敵舟を間近く寄せ付け、愛し侯ふ様にもてなし、大鉄砲 一度に放ち懸け、敵舟 余多 打ち崩し侯の間、その後は、なかなか寄り付く行て及ばず。
難なく、寅 7月17日、堺の津へ着岸 侯ひしなり。見物、耳目を驚かし侯ひしなり。翌日、大坂表へ乗り出し、塞々に舟を懸け置き、海上の通路を止め、堅固に仕り侯なり。

11-10:
小相撲の事
さるほどに、 三位中将信忠織田信忠 、岐阜にて庭子の御鷹 4足 御飼い立てなされ侯。近来の御名誉、これに過ぐべからず。御鷹師:山曰・広葉 両人、安土へ、寅 7月23日、持参侯ところ、右の内、一足召し上げられ、残りは 中将信忠織田信忠 へ御返しなさる。
「 両人 御鷹師 辛労仕りたる 」の由、上意にて、銀子 5枚ずつに、御服 相添え下さる。色々かたじけなき儀ともにて、罷り帰り侯なり。
寅 8月 5日、奥州 津軽の 南部宮内少輔 ( 南部政直 )南部政直 、卿鷹 5足進上。
寅 8月10日に、 萬見仙千代万見重元 の所へ 南部南部政直 、召し寄せられ、御振舞 仰せ付けらる。この時、御礼申され侯なり。
寅 8月15日、江州 国中・京都の相撲取りをはじめとして、1,500人、安土へ召し寄せらる。御山にて、辰刻(8:00) より 酉刻(18:00) まで取らせて御覧侯。各々我が手の者どもを召し列られ、すなわち、御奉行 御人数の事: 津田七兵衛信澄織田信澄堀久太郎堀秀政
萬見仙千代万見重元村井作右衛門 ( 村井貞成 )村井貞成 ・ 木村源五 ・ 青地與右衛門青地與右衛門後藤喜三郎後藤高治布施藤九郎布施公保蒲生忠三郎蒲生氏郷永田刑部少輔永田正貞阿閉孫五郎阿閉貞大
行事は、 木瀬蔵春庵木瀬蔵春庵 ・木瀬太郎大夫、両人なり。
小相撲 5番打ち人数の事: 5番打 (京極 内) 江南源五・ 5番打 (木村源五 内) 深尾久兵衛・ 5番打 ( 布施藤九郎布施公保 小者) 勘六・ 5番打 ( 久太郎堀秀政 内) 地蔵坊・ 5番打 ( 後藤後藤高治 内) 麻生三五・ 5番打 ( 蒲生蒲生氏郷 中間) 薮下、以上。
大相撲 3番打ち人数の事: 3番打(木村源五 内)木村伊小介・ 3番打(瓦園 内)綾井二兵衛尉・ 3番打( 布施藤九郎布施公保 内)山田與兵衛・ 3番打( 後藤後藤高治 内)麻生三五・ 3番打 長光・ 3番打 青地孫次・ 3番打 づこう・ 3番打 東馬二郎・ 3番打 たいとう・ 3番打 円城寺源七・ 3番打 大塚新八・ 3番打 ひし屋、以上。
大方、相撲終り、既に薄暮に及ぶ。 永田刑部少輔永田正貞阿閉孫五郎阿閉貞大 、強力の由、連々聞こし召し及ばれ侯て、両人の働き御覧じたくおぼし召され、右、御奉行衆の相撲、御所望なり。初めには 堀久太郎堀秀政蒲生忠三郎蒲生氏郷萬見仙千代万見重元布施藤九郎布施公保後藤喜三郎後藤高治 、取られ侯て、後に 刑部少輔永田正貞阿閉阿閉貞大 、暫し手相にて組まれ侯。勿論、 阿閉阿閉貞大 が器量 骨柄勝れ侯て、力の強き事、隠れなく侯へども、仕合せ侯か、総別強く侯か、 刑部少輔永田正貞 勝ち相撲に侯。
その日は珍物調え、終日、取替え取替え 御相撲取りに下さる。
度々、能き相撲仕り侯に付きて、召し出ださるる人数の事:東馬二郎・たいとう・づこう・妙仁・ひし屋・助五郎・水原孫太郎・大塚新八・あら鹿・山田與兵衛・円城寺源七・ 村田吉五村田吉五 ・麻生三五・青地孫治、以上 14人。右、御相撲 取り召し出だされ、いずれも熨斗付けの太刀・脇差・御服かみ下、御領中 100石宛、私宅等まで仰せ付けられ、都鄙の面目、かたじけなき次第なり。
寅 8月17日、 中将信忠織田信忠 、播磨より御馬を納めらる。
寅 9月 9日、安土御山にて相撲を取らせ侯て、 中将信忠織田信忠北畠信雄卿織田信雄 へ御見物。
9月15日、大坂表へ御砦、御番衆の御目付として、御小姓衆・御馬廻・御弓衆、20日番に城々へ相加えらる。
9月23日、信長公 御上洛。勢田
(滋賀県大津市)
山岡美作守山岡景隆 所 御泊。
次日、二条 御新造 御参着。
9月24日、 斎藤新五斎藤利治 、越中へ出陣 仰せ付けらる。国中 大田保の内、津毛
(富山県富山市)
の城、御敵:椎名小四郎・ 河田豊前 ( 河田長親 )河田長親 、人数入れ置き侯。尾・濃 両国の御人数 うち向うの由、承るに及び、聞き落ちに退散いたし、
すなわち、津毛の城へ 神保越中神保長住 、人数入れ置き、 斎藤新五斎藤利治 、3里(12km) ほど打ち出だし、陣取り侯て、在々所々へ相働く。

11-11:
大船 堺津にて御見物の事
9月27日、 九鬼右馬允九鬼喜隆 大船 御覧なさるべきため、京都より八幡
(京都府八幡市)
まで御下り。翌日、28日、若江
(大阪府東大阪市)
御泊。
29日、早朝より天王寺へ御成り、 佐久間右衛門佐久間信盛 所に暫時 御休息なされ、住吉社家に至りて御座 移さる。その時、天王寺より住吉の間、御鷹つかわされ候へき。
晦日には、払暁より堺の津へ御成り。 近衛近衛前久 殿 ・ 細川細川昭元 殿 ・ 一色一色義道 殿、これも御同心。
然して、 九鬼右馬允九鬼喜隆 、大船を飾り立て、のぼり・さし物・幕 打ち回し、湊々浦々の武者舟、これまた兵具を以て、我が手 我が手を飾り、また、堺 南北として、御座舟、事もおびただしく、唐物、その数を集めて飾り、進上物を我劣らずと持参、際限無し。
堺 南北の僧俗男女、この時、信長公を拝み奉らんと、結構に出立ち侯て、匂い、焼物ふんふんとして、衣香辺りに払って四方に薫じ、群集侯ひしなり。
九鬼大船へ、ただ一人召され、御覧これあり。
それより、 今井宗久今井宗久 所へ御成り、過分かたじけなき次第、後代の面目なり。御茶参り御帰りに、 宗陽・ 宗及津田宗及 ・道叱 3人の私宅へ、かたじけなくも御立寄りなされ、住吉社家に至りて御帰宅。
九鬼右馬允九鬼喜隆 召し寄せられ、黄金 20枚、ならびに、御服10、菱喰折 2行 拝領。その上、千人ずつ御扶持 仰せ付けられ、ならびに、 瀧川左近滝川一益、大船白舟 上乗り仕り侯:
犬飼助三・渡辺佐内・伊藤孫大夫 3人に黄金 6枚、御服 相添え下され、頂戴。
寅 10月朔日、住吉より御帰洛。 安見新七郎安見新七郎 所に暫く御休息なされ、二条 御新造に至りて御帰。
翌日、住阿弥、御留守 悪しく仕り侯につきて御成敗。ならびに、久々 召使われ侯、さい と申す女、これまた、同罪に仰せ付けらる。

11-12:
越中御陣の事
寅 10月 4日、 斎藤新五斎藤利治 、越中 国中 大田保の内、本郷
(富山県富山市)
に陣取る。御敵: 河田豊前守河田長親 ・椎名小四郎、今和泉
(富山県富山市)
に立て籠り侯、かの城下まで放火侯て、未明より罷り退かるるのところに、人数を付け侯。 斎藤新五斎藤利治 、節所へ引きかけ、月岡野という所にて人数立ち合い、既に一戦に及び、追い崩し、頸数 360討ち取り、この競いを休めず駆け回り、所々人質執り固め、 神保越中神保長住 所へ相渡し、帰陣侯なり。
寅 10月 5日、五畿内・江州の相撲取り 召し寄せられ、二条 御新造 御坪の内にて相撲を取らせ、摂家・清花等へ御見物なり。
10月 6日、信長公 坂本より御舟に召され、安土 御下り。
10月14日、長光寺山
(滋賀県近江八幡市)
、御鷹つかはされ、岐阜にて御育てなされ侯 庭子の御鷹、御取り飼い侯て、御機嫌 斜ならず。

11-13:
荒木摂津守 逆心を企て 並びに 伴天連の事
10月21日、 【 荒木摂津守荒木村重 、逆心企つる 】の由、方々より言上候。
不実におぼし召され、
「 何篇の不足侯や? 存分を申し上げ候はば、仰せ付けらるべき 」趣にて、
宮内卿法印松井友閑惟任日向守明智光秀萬見仙千代万見重元 を以て仰せ遣わさるるのところに、
「 少しも野心、御座無き 」の通り申し上げ侯。
御祝着なされ、
「 御人質として、御袋様 差し上げられ、別儀なく侯はば、出仕侯へ 」と御諚侯といえども、謀叛を構え侯の間、参らず侯。
総別、 荒木荒木村重 は、一僕の身に侯といえども、一年、 公方足利義昭 様 御敵のみぎり、忠節申し候に付いて、摂津国一職に仰せ付けらるるのところ、身の程も顧みず、朝恩を誇り、別心を構え侯。
「 この上は、是非に及ばざる 」の由にて、安土御山に、 神戸三七織田信孝稲葉伊予稲葉一鉄
不破河内不破光治丸毛兵庫丸毛長照 置かせられ、11月 3日、御馬を出だされ、二条 御新造 御成り。
ここにても、 惟任日向守明智光秀羽柴筑前羽柴秀吉宮内卿法印松井友閑 を以て、いろいろ御扱い懸けられ侯へども、御請け申さず侯。
さるほどに、大坂表 所々 付城 目付として、御小姓衆・御馬廻 歴々差し越され侯ところ、大坂への宮笥に必定、生害いたすべきの趣、取々に風聞 聞こし召し及ばれ、不便におぼし召し侯といえども、御了簡なき次第なり。
如何に存知候や、各御番手の面々送り越し侯。御祝着なされ、いずれも召し出だされ、
「 今度、色々雑説これありといえども、弱りなく侯事、且つは家の面目、且つはその身の神妙たる 」の旨、御感なされ、各々御服 拝領、かたじけなき題目なり。
11月 6日、西国の舟 600余艘、木津
(大阪府大阪市)
表へ乗り出だし侯。
九鬼右馬允九鬼喜隆 、乗り向い侯へば、取り籠め、11月 6日 辰刻(8:00)、南へ向って、午刻(12:00)まで海上にて舟軍あり。
初めは、九鬼、支え合い侯事、成りがたく見え侯。6艘の大船に大鉄砲 余多これあり。敵船を間近く寄せ付け、大将軍の舟と覚しきを大鉄砲を以て打ち崩し侯へば、これに恐れて、なかなか寄り付かず、数 100艘を木津浦へ追い上せ、見物の者ども、
九鬼右馬允九鬼喜隆 手柄なり 」と、感ぜぬは無かりけり。
11月 9日、信長公、摂州表 御馬を出だされ、その日、山崎
(京都府乙訓郡)
御陣取り。
次日、 瀧川左近滝川一益惟任日向守明智光秀惟住五郎左衛門丹羽長秀蜂屋兵庫頭蜂屋頼隆氏家左京亮氏家直昌
伊賀伊賀守安藤守就稲葉伊予稲葉一鉄 、芥川
(大阪府高槻市)
・糠塚・太田村
(大阪府高槻市)
・猟師川辺に陣取り、御敵城:茨木の城へ差し向い、大田の郷、北の山に御砦の御普請 申し付けられ候。
中将信忠織田信忠北畠信雄卿織田信雄織田上野守織田信包神戸三七信孝織田信孝
越前衆: 不破彦三不破直光前田又左衛門前田利家佐々内蔵佐佐々成政原彦次郎原政茂金森五郎八金森長近
日根野備中日根野弘就日根野彌治右兵門
( 日根野弘継 )
、罷り立ち、摂津国 天神の馬場
(大阪府高槻市)
に御陣を懸けられ、高槻へ差し向い、天神山 御砦の御普請 申し付けらる。
信長公は、安満
(大阪府高槻市)
と申す所、山手に四方を見下し、御陣を居えさせられ、安満にも繋ぎの要害 仰せ付けらる。
然して、高槻
(大阪府高槻市)
の城主: 高山右近高山右近 、だいうす門徒に侯。信長公 御案を廻らされ、伴天連を召し寄せらる。
「 この時、 高山高山右近 御忠節仕り候様に才覚いたすべし。さ侯はば、伴天連門家 何方に建立侯へども苦しからず。もし、御請け申さず侯はば、宗門を御断絶なさるべき 」の趣、仰せ出だされ、すなわち、伴天連 御請け申す。
佐久間右衛門佐久間信盛羽柴筑前羽柴秀吉宮内卿法印松井友閑大津伝十郎大津長治 、同道申し、高槻へ罷り越し、色々教訓仕り候。
勿論、 高山高山右近 、人質出だし置くといえども、小鳥を数え大鳥助け、仏法繁昌すべきの旨、相存知、この上は、高槻の城 進上申し、 高山高山右近 は伴天連沙彌の由、御請け申し候。
御祝着 斜ならず。
茨木へ差し向い侯 付城:太田郷 御砦、御普請 出来申すに付きて、
越前衆: 不破不破直光前田前田利家佐々佐々成政原政茂金森金森長近日根野日根野弘就 、入れ置く。
11月14日、右の御普請衆、 瀧川滝川一益惟任明智光秀惟住丹羽長秀蜂屋蜂屋頼隆武藤武藤舜秀氏家氏家直昌伊賀安藤守就
稲葉稲葉一鉄羽柴羽柴秀吉永岡細川藤孝 先陣、伊丹
(兵庫県伊丹市)
へ相働き、足軽を出だし侯。
武藤宗右衛門武藤舜秀 手の者ども懸け入り、馬上にて組み討ちして、頸 4つ討ち取り、安満へ持参いたし候て、御目に懸くる。近辺 放火候て、伊丹を押え、刀根山
(大阪府豊中市)
近々と陣取る。
御砦 所々有る所の事。
貝野
(兵庫県川西市)
の郷、道より南山手に要害侯て、 蜂屋蜂屋頼隆惟住丹羽長秀蒲生蒲生賢秀 ・若州衆、居陣侯ひしなり。
小野原
(大阪府箕面市)
中将信忠織田信忠北畠信雄織田信雄神戸三七織田信孝 、御陣取り候なり。
11月15日、信長公、安満より郡山
(大阪府茨木市)
へ御参陣なり。
11月16日、 高山右近高山右近 、郡山へ祗侯いたし、御礼申し上げ侯ところ、御祝着なされ、御膚に召させられ侯 御小袖を袒せられて下され、ならびに、 埴原新右衛門埴原新右衛門 進上の御秘蔵の御馬、これまた拝領。かたじけなき次第なり。今度の御褒美として、播州の内、芥川郡
(大阪府高槻市)
仰せ付けられ、いよいよ御忠節 励まされしかるべきの旨、御使衆に申され訖んぬ。
11月18日、信長公、惣持寺
(大阪府茨木市)
へ御出で、 津田七兵衛信澄織田信澄 人数を以て、茨木の小口押え、惣持寺 寺中 御要害、越前衆: 不破河内不破光治前田又左衛門前田利家佐々内蔵佐佐々成政金森五郎八金森長近日根野備中日根野弘就 ・日根野彌治右衛門・ 原彦次郎原政茂 所に仰せ付けられ、太田郷 御砦引き払い、近々と取り詰めさせ、
寅 11月23日、惣持寺へ至りて御成り。
次日、24日に刀根山 御砦 御見舞として、御年寄衆 召し列れらる。その日 24日 亥刻(22:00)、雪降り、夜もすがら、以ての外の時雨侯ひき。
御敵城 茨木: 石田伊予渡辺勘大夫渡辺勘大夫中川瀬兵衛 ( 中川清秀 )中川清秀 両 3人立て籠もる。
寅 11月24日、夜半ばかりに御人数引き受け、石田・ 渡辺勘大夫渡辺勘大夫 両人加勢の者を追い出し、 中川瀬兵衛中川清秀 御味方仕り候。
調略に、御使: 古田左介 ( 古田織部 )古田織部福富平左衛門福富秀勝下石彦右衛門 ( 下石頼重 )下石頼重野々村三十郎野々村正成 4人の才覚なり。右 4人、茨木城 警固として取り置く。摂州表 過半、御存分に属し、上下満足これに過ぐべからず。
寅 11月26日、黄金 30枚、 中川瀬兵衛中川清秀 下され、小使仕り侯 家臣の者 3人に、黄金 6枚、御服相添え、下さる。
高山右近高山右近 、これまた、金子 20枚、家老の者 2人に金子 4枚、御服相添え、拝領。
寅 11月27日、郡山より古池田
(大阪府池田市)
に至りて御陣を移さる。その日の朝、風吹き侯て、寒気大方ならず。晩に及び、 中川瀬兵衛中川清秀 、御礼に、古池田に祗侯侯なり。
信長より、御太刀こしらえの御腰物、ならびに、御馬皆具ともに拝領。
三位中将信忠織田信忠 より、御腰物(長光)、ならびに、御馬下さる。
北畠信雄織田信雄 より、御秘蔵の御馬下さる。
神戸三七信孝織田信孝 、御馬。
津田七兵衛信澄織田信澄 、御腰物。以上。
中川瀬兵衛中川清秀 、拝領かたじけなき次第にて、罷り帰り侯なり。
霜月(11月)28日、小屋野
(兵庫県伊丹市)
まで、信長公 近陣に寄させられ、四方より近々と取り詰め、塞り塞りに陣取り仰せ付けらる。

11-14:
安部二右衛門 御忠節の事
さるほどに、在々所々 百姓等、ことごとく甲山
(兵庫県西宮市)
へ小屋上り仕り侯。御断りをも申し上げず、曲事におぼしめされ侯か、 堀久太郎堀秀政萬見仙千代万見重元 仰せ付けられ、諸手の乱妨人 打ち付け、山々を探し、あるいは斬り捨て、あるいは兵粮、その他、思い思い取り来たる事、際限無し。
瀧川左近滝川一益惟住五郎左衛門丹羽長秀 両人差し遣わされ、西宮
(兵庫県西宮市)
・ 茨住吉
(兵庫県神戸市)
・芦屋の里
(兵庫県芦屋市)
・雀ヶ松原
(兵庫県神戸市)
・ 三陰の宿
(兵庫県神戸市)
・滝山
(兵庫県川西市)
・生田森
(兵庫県神戸市)
、陣を取り、
御敵: 荒木志摩守 ( 荒木元清 )荒木元清 、鼻熊
(兵庫県神戸市)
に立て籠り候。
人数を以て押え置き、山手を通り、兵庫
(兵庫県神戸市)
へ打ち入り、僧俗男女の嫌い無く、投伐に斬り殺し、堂塔・伽藍・仏像・経巻、一宇を残さず、一時に雲上の煙となし、須磨・一谷
(兵庫県神戸市)
まで相働き、放火侯ヘき。
ここに、大矢田
(大阪府大阪市)
と申し侯て、尼崎の並びにこれあり。大坂より尼崎へも、伊丹へも通路肝要の所に侯。かの城主は 安部二右衛門安部二右衛門 という者なり。 芝山源内 と両人申し談じ、御味方の御忠節仕るべきの旨、申し上げ、古屋野
(兵庫県伊丹市)
御陣取りへ、
12月朔日の夜、蜂須賀彦右衛門 才覚にて、両人御礼に参り侯ところ、御満足 斜ならず、黄金 200枚下さる。かたじけなき次第にて、罷り帰り侯ヘき。
爾るところ、 二右衛門安部二右衛門 親・伯父 2人、この由 承り侯て、
大坂門跡顕如 、ならびに 荒木荒木村重 に対し、不儀しかるべからず。親・伯父は一途同心あるまじき 」の由侯て、 二右衛門安部二右衛門 城の天主へ両人取り上げ、居城侯。
『 この分にては成り難し 』と存じ、 「 親・伯父 両人申さるるところ、もっとも 」となだめ申し、「 御忠節なく、信長公より黄金下され候はん事、謂はれず侯間、金子返進申す 」の由にて上げ申し、「 2度、御敵の色を立て候はん 」と申し、芝山源内 を使いとして、下さるるの黄金、古屋野
(兵庫県伊丹市)
へ返上す。
信長は「 是非に及ばざる 」旨、御諚侯ヘき。
その上、 二右衛門安部二右衛門蜂屋蜂屋頼隆阿閉阿閉貞征 両人陣取りの所、足軽を出だし、鉄砲打ち入れ「 御敵仕り侯 」由、申し侯。かくのごとき仕合せにて侯間、親・伯父 満足仕り侯ところ、思うほど、たばかりすまし、伯父を使いとして、
「 右の様子にて相変わる儀これ無き 」旨、尼崎にこれある、荒木新五郎、ならびに、大坂へ申し遣わし侯。
親も喜び、天主より下り申し侯を、親をば押し籠め、腰刀を取り、すなわち人質として、京都ヘ上せ、12月 3日の夜、古屋野
(兵庫県伊丹市)
御陣所へ、 二右衛門安部二右衛門 、また祗候申し、右、難儀の仕合せ、一々言上侯ところ、
「 最前の忠節よりも、一入神妙の働き、御感におぼし召さる 」の由侯て、かたじけなくも、差させられ侯 御秘蔵の「左文字」の御脇差下され、ならびに、御馬皆具共に拝領。御太刀代として黄金 200枚、その上、摂州の内、川なべ郡
(兵庫県川辺郡)
一色、進退に仰せ付けらる。芝山源内、これまた、御馬 拝領 候ひしなり。

11-15:
丹波国 波多野館取り巻くの事
12月 4日、 瀧川左近滝川一益惟住五郎左衛門丹羽長秀 、兵庫・一谷 焼き払い、人数打ち返し、伊丹を押え、塚口の郷
(兵庫県尼崎市)
に在陣なり。
寅 12月 8日 申刻(16:00) より、諸卒、伊丹へ取り寄せ、 堀久太郎堀秀政萬見仙千代万見重元
菅谷九右衛門菅屋長頼 両 3人、御奉行として鉄砲放を召し列れ、町口へ押し詰め、鉄砲を撃たせ、その次、御弓衆: 平井久右衛門平井久右衛門中野又兵衛中野一安・ 芝山次太夫、3手に分ちて火矢を射入れ、町を放火仕るべきの旨、仰せ出ださる。酉刻(18:00) より亥刻(22:00) まで、近々と取り寄せ、攻められ、壁際にて相支え、 萬見仙千代万見重元 討ち死侯。
12月11日、所々に付城 仰せ出だされ、信長公、古池田に至りて御陣移さる。
御砦 御在番衆:
堀口郷: 惟住五郎左衛門丹羽長秀蜂屋兵庫蜂屋頼隆蒲生忠三郎蒲生氏郷高山右近高山右近神戸三七信孝織田信孝
毛馬村
(兵庫県尼崎市)
織田上野守織田信包瀧川左近滝川一益北畠信雄卿織田信雄武藤惣右衛門武藤舜秀
倉橋郷
(大阪府豊中市)
池田勝三郎池田恒興勝九郎 ( 池田元助 )池田元助幸新 ( 池田輝政 )池田輝政
原田郷
(大阪府豊中市)
中川瀬兵衛中川清秀古田左介古田織部
刀根山: 稲葉伊予稲葉一鉄氏家左京助氏家直昌伊賀平左衛門安藤定治 ・芥川
郡山: 津田七兵衛信澄織田信澄
古池田: 塩河伯耆守塩河長満
賀茂
(兵庫県川西市)
三位中将信忠織田信忠 御人数
高槻の城 御番手 御人数: 大津伝十郎大津長治牧村長兵衛牧村利貞生駒市左衛門生駒一吉
生駒三吉生駒一正湯淺甚介湯浅直宗 ・猪子次左衛門・ 村井作左衛門村井貞成 ・武田吉
茨木城 御番手衆: 福富平左衛門福富秀勝下石彦右衛門下石頼重野々村三十郎野々村正成
中島
(大阪府大阪市)
中川瀬兵衛中川清秀
ひとつ屋: 高山右近高山右近
大矢田: 安部二右衛門安部二右衛門
かくの如く、所々に御番手の御人数 仰せ付けらる。
羽柴筑前守羽柴秀吉 に相加え、 佐久間佐久間信盛惟任明智光秀筒井順慶筒井順慶 、播州へ致し差し遣わし、有馬郡の御敵:三田
(兵庫県三田市)
の城へ差し向い、道場河原
(兵庫県神戸市)
・三本松、2ヶ所足懸かりこしらえ、 羽柴筑前守秀吉羽柴秀吉 、人数入れ置き、これより摂州へ相働き、
別所別所長治 居城:三木への砦城へ、兵線・鉄砲・玉薬、普請等申し付け、帰陣候なり。
惟任日向明智光秀 は、直ちに丹波へ相働き、 波多野 ( 波多野秀治 )波多野秀治 が館、取り巻き、四方 3里(12km) が回りを、 惟任明智光秀 一身の手勢を以て取り巻き、堀を掘り、塀・柵、幾重も付けさせ、隙間も無く、塀際に諸卒、町屋作りに小屋を懸けさせ、その上、廻番を丈夫に警固を申し付け、誠に獣の通いも無く、在陣侯なり。
12月21日、信長公、古池田より京都に至りて御馬納められ、その日、雪少しずつ降り侯ヘき。
12月25日、安土 御帰陣侯なり。

ここで、猫一匹も抜け出せないような、光秀の周到な戦法が語られている。本能寺を取り囲んだ際も同様であったと推測される。



この巻の登場人物と他巻リンク

織田信長 [44歳]

青地與右衛門 [--] あおち ようえもん

明智光秀 [50] あけち みつひで

 織田の家臣。惟任日向守
 11-01: 御茶の湯の事
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-15: 丹波国 波多野館取り巻...
 12-01: 摂津国 御陣の事
 12-05: 丹波国 波多野兄弟 張...
 12-06: 赤井悪右衛門 退参の事
 12-12: 謀書の事
 12-13: 伊丹城 謀叛の事
 12-18: 伊丹城 相果たし、御成...
 13-08: 因幡・伯耆両国に至り...
 13-11: 佐久間・林佐渡・丹羽...
 14-01: 御爆竹の事
 14-02: 御馬揃えの事
 14-07: 8月朔日 御馬揃えの事
 15-05: 木曾義政 忠節の事
 15-14: 人数備えの事
 15-25: 家康公・穴山梅雪 御上...
 15-26: 羽柴筑前守秀吉、備中...
 15-29: 明智日向 西国出陣の事
 15-31: 明智日向守 逆心の事
 15-32: 信長公 本能寺にて御腹...
 15-33: 中将信忠卿、二条にて...
 15-34: 江州安土城御留守居衆...
 2-01: 六条合戦の事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-10: 志賀御陣の事
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 5-01: 武者小路 御普請の事
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 6-02: 公方様御謀叛 付17ヶ条
 6-03: 石山・今堅田 攻められ候...
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 6-11: 阿閉 謀叛の事
 8-03: 河内国新堀城攻め干され...
 8-06: 禁中において親王様 御鞠...
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 9-03: 原田備中、御津寺へ砦 討...
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-03: 御名物召し置かるるの事
 10-08: 片岡の城 攻め干さる事
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事

浅井政貞 [--] あざい まさただ

足利義昭 [41] あしかが よしあき

阿閉貞大 [--] あつじ さだひろ

阿閉貞征 [50] あつじ さだゆき

安部二右衛門 [--] あべ にえもん

荒木村重 [43] あらき むらしげ

荒木元清 [43] あらき もときよ

安藤定治 [--] あんどう さだはる

安藤守就 [75] あんどう もりなり

池田恒興 [42] いけだ つねおき

池田輝政 [14] いけだ てるまさ

 恒興の2男。池田幸新
 11-15: 丹波国 波多野館取り巻...
 13-02: 無辺の事

池田元助 [19] いけだ もとすけ

生駒一正 [23] いこま かずまさ

生駒一吉 [--] いこま かずよし

磯貝久次 [--] いそがい ひさつぐ

磯野員昌 [55] いその かずまさ

市橋長利 [65] いちはし ながとし

一色義道 [--] いっしき よしみち

稲葉一鉄 [63] いなば いってつ

今井宗久 [58] いまい そうきゅう

宇喜多直家 [49] うきた なおいえ

氏家直昌 [--] うじいえ なおまさ

大津長治 [--] おおつ ながはる

織田信雄 [20] おだ のぶかつ

織田信包 [35] おだ のぶかね

織田信澄 [20] おだ のぶすみ

織田信孝 [20] おだ のぶたか

織田信忠 [23] おだ のぶただ

 信長の嫡男。三位中将
 11-01: 御茶の湯の事
 11-03: 回禄せし御弓衆 御折檻...
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
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 15-09: 信長公 御乱入の事
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 15-12: 武田典厩 生害、下曾禰...
 15-18: 諸勢 帰陣の事
 15-19: 御国割りの事
 15-20: 恵林寺 御成敗の事
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 15-33: 中将信忠卿、二条にて...
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 10-01: 雑賀御陣の事
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 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 10-10: 中将信忠御位の事
 10-14: 中将信忠へ御名物11種...

下石頼重 [--] おろし よりしげ

金森長近 [54] かなもり ながちか

狩野永徳 [35] かのう えいとく

蒲生氏郷 [22] がもう うじさと

蒲生賢秀 [44] がもう たかひで

河田長親 [33] かわだ ながちか

吉川元春 [48] きっかわ もとはる

木瀬蔵春庵 [--] きのせ ぞうしゅんあん

九鬼喜隆 [38] くき よしたか

顕如   [35]  けんにょ

後藤高治 [--] ごとう たかはる

小早川隆景 [45] こばやかわ たかかげ

近衛前久 [42] このえ まえひさ

斎藤利治 [37] さいとう としはる

佐久間信盛 [50] さくま のぶもり

 織田の家臣。佐久間右衛門
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-11: 大船 堺津にて御見物の事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-15: 丹波国 波多野館取り巻...
 13-01: 播州 三木落居の事
 13-03: 大坂退散 御請け誓紙の事
 13-09: 大坂退散の事
 13-11: 佐久間・林佐渡・丹羽...
 15-02: 御爆竹の事
 0-09: 備後守 病死の事
 0-18: 勘十郎殿 林 柴田 御敵の事
 0-23: 鳴海之城へ御砦の事
 0-24: 今川義元 討ち死の事
 1-04: 信長御入洛十余日の内に...
 2-06: 阿坂の城 退散の事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-06: 落窪合戦の事
 3-07: たけくらべ・かりやす砦の事
 3-10: 志賀御陣の事
 4-03: 大田口合戦の事
 4-04: 志むら攻め干さるるの事
 5-02: 交野へ 松永 砦仕り侯て 追...
 5-03: 奇妙様 御具足初めに 虎後...
 5-04: 味方ヶ原合戦の事
 6-05: 百済寺伽藍 御放火の事
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-08: 真木島にて御降参 公方様...
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 7-04: 蘭著待 切り取らるるの事
 7-05: 佐々木承禎、石部城退散の事
 7-09: 河内長島一篇に仰せ付けら...
 8-03: 河内国新堀城攻め干され...
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 8-14: 御家督 御譲りの事
 9-04: 御後巻 再三 御合戦の事
 9-05: 西国より大船を催し 木津...
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-03: 御名物召し置かるるの事
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事

佐々長秋 [--] さっさ ながあき

佐々成政 [42] さっさ なりまさ

塩河長満 [40] しおかわ ながみつ

神保長住 [--] じんぼう ながずみ

菅屋長頼 [--] すがや ながより

高山右近 [25] たかやま うこん

滝川一益 [53] たきがわ かずます

武井夕庵 [--] たけい せきあん

竹中重治 [34] たけなか しげはる

塚本小大膳 [--] つかもと こだいぜん

津田宗及 [--] つだ そうぎゅう

 堺の商人。茶人。天王寺屋宗及
 11-11: 大船 堺津にて御見物の事
 3-02: 名物 召し置かるるの事

筒井順慶 [29] つつい じゅんけい

中川清秀 [36] なかがわ きよひで

永田正貞 [--] ながた まささだ

中野一安 [52] なかの かずやす

南部政直 [--] なんぶ まさなお

 津軽の武将。南部宮内少輔
 11-10: 小相撲の事
 12-06: 赤井悪右衛門 退参の事

丹羽長秀 [43] にわ ながひで

 織田の家臣。惟住五郎左衛門
 11-01: 御茶の湯の事
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-14: 安部二右衛門 御忠節の事
 11-15: 丹波国 波多野館取り巻...
 12-01: 摂津国 御陣の事
 12-03: 二条殿・烏丸殿・菊庭...
 12-05: 丹波国 波多野兄弟 張...
 12-09: 宇治橋 取り懸けの事
 12-10: 北畠中将殿 御折檻状の事
 12-18: 伊丹城 相果たし、御成...
 13-01: 播州 三木落居の事
 13-05: 阿賀の寺内 申し付くる...
 14-02: 御馬揃えの事
 14-03: 高天神 干殺し 歴々 討...
 14-04: 和泉 巻尾寺 破滅の事
 14-06: 因幡国 鳥取城 取り詰...
 14-09: 能登・越中 城々破却の事
 14-10: 伊賀国、三介殿に仰せ...
 14-11: 伊賀国へ 信長 御発向...
 15-14: 人数備えの事
 15-19: 御国割りの事
 15-23: 信長公 甲州より御帰陣...
 15-25: 家康公・穴山梅雪 御上...
 15-28: 家康公・穴山梅雪、奈...
 0-05: 景清 あざ丸刀の事
 0-40: 加治田之城 御味方に参る事
 0-41: 犬山両おとな 御忠節の事
 0-42: 濃州 伊木山へ御上りの事
 0-43: 堂洞砦 攻めらるの事
 1-04: 信長御入洛十余日の内に...
 2-05: 名物 召され置きの事
 2-06: 阿坂の城 退散の事
 3-02: 名物 召し置かるるの事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-07: たけくらべ・かりやす砦の事
 3-08: 姉川合戦の事
 3-10: 志賀御陣の事
 4-01: 佐和山城 渡し進上の事
 4-04: 志むら攻め干さるるの事
 4-06: 御修理造り畢るの事
 5-01: 武者小路 御普請の事
 5-03: 奇妙様 御具足初めに...
 6-03: 石山・今堅田 攻められ候...
 6-05: 百済寺伽藍 御放火の事
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 7-02: 前波生害、越前一揆蜂起の事
 7-04: 蘭著待 切り取らるるの事
 7-09: 河内長島一篇に仰せ付けら...
 8-01: 御分国 道作り 仰せ付けら...
 8-02: 公家領 徳政にて仰せ付け...
 8-03: 河内国新堀城攻め干され...
 8-04: 三州 長篠 御合戦の事
 8-06: 禁中において親王様 御鞠...
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 9-01: 安土 御普請の事
 9-04: 御後巻 再三 御合戦の事
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-03: 御名物召し置かるるの事
 10-06: 柴田 北国 相働くの事
 10-07: 松永謀叛 並びに 人質...
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 10-13: 三州吉良へ御鷹野の事
 10-14: 中将信忠へ御名物11種...

野々村正成 [42] ののむら まさなり

埴原新右衛門 [--] はいばら しんえもん

羽柴秀長 [38] はしば ひでなが

羽柴秀吉 [41] はしば ひでよし

 織田の家臣。羽柴筑前守
 11-01: 御茶の湯の事
 11-04: 磯野丹波・磯貝新左衛...
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-07: 洪水の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-15: 丹波国 波多野館取り巻...
 12-03: 二条殿・烏丸殿・菊庭...
 12-05: 丹波国 波多野兄弟 張...
 12-07: 荒木 伊丹城・妻子捨て...
 12-14: 氏政 甲州表へ働きの事
 13-01: 播州 三木落居の事
 13-05: 阿賀の寺内 申し付くる...
 13-08: 因幡・伯耆両国に至り...
 13-11: 佐久間・林佐渡・丹羽...
 14-03: 高天神 干殺し 歴々 討...
 14-06: 因幡国 鳥取城 取り詰...
 14-07: 8月朔日 御馬揃えの事
 14-12: 因幡国 鳥取 果て口の事
 14-13: 伯耆国 南条表 発向の事
 14-14: 淡路島 申し付けらるる...
 14-15: 悪党 御成敗の事
 15-02: 御爆竹の事
 15-05: 木曾義政 忠節の事
 15-13: 中国表 羽柴筑前 働き...
 15-26: 羽柴筑前守秀吉、備中...
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-03: 御名物召し置かるるの事
 10-06: 柴田 北国 相働くの事
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 10-10: 中将信忠御位の事
 10-12: 但馬・播磨、羽柴に申...
 10-13: 三州吉良へ御鷹野の事
 1-04: 信長御入洛十余日の内に...
 2-06: 阿坂の城 退散の事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-07: たけくらべ・かりやす砦の事
 3-08: 姉川合戦の事
 3-10: 志賀御陣の事
 4-02: 箕蒲合戦の事
 5-03: 奇妙様 御具足初めに 虎後...
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-08: 真木島にて御降参 公方様...
 6-10: 岩成 討ち果たされ候事
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 7-02: 前波生害、越前一揆蜂起の事
 7-10: 樋口夫婦 御生害の事
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 9-01: 安土 御普請の事
 9-04: 御後巻 再三 御合戦の事

長谷川宗仁 [39] はせがわ そうにん

長谷川秀一 [--] はせがわ ひでかず

長谷川與次 [--] はせがわ よじ

波多野秀治 [--] はたの ひではる

蜂屋頼隆 [44] はちや よりたか

祝重正  [--]  はふり しげまさ

林秀貞  [--] はやし ひでさだ

原政茂  [--] はら まさしげ

日根野弘就 [--] ひねの ひろなり

 織田の武将。日根野備中
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 0-29: 土岐頼藝公の事

平井久右衛門 [--] ひらい きゅうえもん

福富秀勝 [--] ふくずみ ひでかつ

布施公保 [--] ふせ きみやす

古田織部 [35] ふるた おりべ

不破直光 [--] ふわ なおみつ

不破光治 [--] ふわ みつはる

別所長治 [20] べっしょ ながはる

細川昭元 [30] ほそかわ あきもと

細川藤孝 [44] ほそかわ ふじたか

堀秀政  [25] ほり ひでまさ

前田利家 [40] まえだ としいえ

牧村利貞 [32] まきむら としさだ

松井友閑 [--] まつい ゆうかん

丸毛長照 [--] まるも ながてる

万見重元 [--] まんみ しげもと

武藤舜秀 [--] むとう きよひで

村井貞勝 [58] むらい さだかつ

村井貞成 [--] むらい さだなり

村田吉五 [--] むらた きちご

毛利輝元 [25] もうり てるもと

安見新七郎 [--] やすみ しんひちろう

矢部家定 [--] やべ いえさだ

山岡景隆 [52] やまおか かげたか

簗田広正 [--] やなだ ひろまさ

湯浅直宗 [33] ゆあさ なおむね

渡辺勘大夫 [--] わたなべ かんたゆう