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信長公記(巻の6)

巻の6 の現代語表記と登場人物関連のページです。

巻の6
 1573 (元亀 4) 年 癸酉
6-01:
松永多門 城渡し進上 付けたり不動国行
去年の冬、 松永右衛門佐松永久通 、御赦免に付きて、多門の城
(奈良県奈良市)
相渡し侯。
すなわち、 山岡対馬守 ( 山岡景佐 )山岡景佐 を定番として多門に置かせられ、
正月 8日、 松永弾正松永久秀 、濃州 岐阜へ罷り下り、天下無双の名物「不動国行」
(*1)
進上侯て、御礼申し上げらる。以前も、世に隠れなき「薬研藤四郎」
(*2)
進上なり。

*1
:「不動国行」:太刀。1657年(明暦 3年)明暦の大火で焼失
*2
:「薬研藤四郎」:脇差

6-02:
公方様御謀叛 付17ヶ条
さるほどに、 公方足利義昭 様、内々 御謀叛おぼしめし立つるの由、その隠れなく侯。
子細は、非分の御働きども御勿体なきの旨、去年、17ヶ条を捧げ、御意見の次第。
 条々
御参内の儀、 光源院足利義輝 殿、御無沙汰に付きて、果して御冥加無き次第、事旧く。これによって、当御代の儀、年々懈怠なき様にと、御入洛の刻より申し上げ侯ところ、早おぼし召し忘れられ、近年、御退転、勿体なく存じ侯事。
諸国へ御内書を遣わされ、馬・その他、御所望の体、外聞 如何に侯の間、御遠慮を加えられ、もっともに存じ侯。但し、仰せ遣わされ侯はで叶はざる子細は、信長に仰せ聞かせられ添状仕るべきの旨、兼ねて申し上げなされ、その心得の由 侯つれども、今は、さも御座なく、遠国へ御内書をなされ、御用仰せらるるの儀、最前の首尾に相違い侯。何方にもしかるべき馬など御耳に入れ候はば、信長馳走申し、進上仕るべきの由、申し旧し侯ひき。さ様には侯はで、密々を以て直に仰せ遣わさるる儀、しかるべからずと存じ候事。
諸侯の衆、方々御届け申し、忠節疎略なき輩には似相の御恩賞を宛がわれず、今々のさしたる者にもあらざるには、御扶持を加えられ侯。さ様に侯ては、忠・不忠も要らざるに罷りなり侯。諸人の思惑、しかるべからざる事。
今度、雑説に付きて、御物を退けさせられ侯由、都鄙その隠れなく侯。それについて、京都以外の総意たる由、驚き存じ侯。御構えに普請以下、苦労造作を仕り侯て、御安座の儀侯ところ、御物を退けられ侯て、再び何方へ御座を移さるべく侯のや? 無念の子細に侯。さ侯時は、信長の辛労も徒に罷りなり侯事。
賀茂の儀、 岩成岩成友通 に仰せ付けられ、百姓前 固く御糺明の由、表向き御沙汰侯て、御内儀は御用捨の様に申し触し侯。総別、かようの寺杜方御欠落、如何にと存じ侯へども、 岩成岩成友通 堪忍届かず、難儀せしむるの由に侯間、まず、この分にも仰せ付けられ、御耳をも休められ、また、一方の御用にも立てられ侯様にと存じ侯ところ、御内儀、この如くに侯へば、しかるべからずと存じ侯事。
信長に対し等閑なき輩、女房衆以下までも、おぼし召し当らるる由に候、迷惑せしめ侯。我等に疎略なき者と聞こし召され侯はば、ひとしお御目にかけられ侯様に御座侯てこそ、かたじけなく存ずべく侯を、かいざまに御心得なされ候。如何の子細に侯や? の事。
つつがなく奉公いたし、何の科も御座侯はねども、御扶助を加えられず、京都の堪忍届かざる者ども、信長に頼り、歎き申し侯。定めて私に言上侯はば、何とぞ御憐みも、これあるべきかと存じ侯ての事に候間、且は不便に存知、且は公儀の御ためと存じ候て、御扶持の儀、申し上げ侯へども、一人も御許容なく候。あまり、ぶんさんなる御諚どもに侯間、その身に対しても面目無く存じ候。観世與左衛門・古田可兵衛・上野紀伊守 が類の事。
若州 安賀庄 御代官の事、栗屋孫八郎 訴訟申し上げ侯間、去りがたく存じ、種々執り申し参らせ候も、御意得 断たず過ぎ来侯事。
小泉 女家に預け置きし雑物、並びに質物に置き侯、腰刀・脇差等まで、召し置かるる由に侯。小泉 何とぞ謀叛をも仕り、造意曲事の子細も侯はば、根を断ち、葉を枯しても、勿論に侯。これは、計らざる喧嘩にて果て侯間、一旦、法度を守らるれば、もっともに侯。これほどまで仰せ付けられ侯儀は、御欲徳の儀によりたると、世間に存ずべく侯事。
「元亀」の年号、不吉に侯間、改元しかるべしの由、天下の沙汰に付きて申し上げ侯。禁中にも御催しの由侯ところ、聊の雑用 仰せ付けられず、今に延々に侯。これは天下の御ために侯ところ、御油断しかるべからずと存じ侯事。
烏丸 ( 烏丸光康 )烏丸光康 事、勘気を蒙らるるの由に侯。息の儀は、御慣りも余儀なく侯ところ、誰やらん、内儀の御使を申し侯て、金子を召し置かれ出頭させられ侯由侯。歎かわしく侯。人により、罪によりて、過怠として仰せ付けられ侯趣もこれあるべく侯。これは、賞性の仁に侯。当時、公家には、この仁の様のところ、この如き次第、外聞咲止
[しょうし]
に存じ侯ひつる事。
他国より御礼申し上げ金銀を進上、歴然に侯ところ、御隠密 侯ておかせられ、御用にも立てられず侯段、何の御ために侯や? の事。
明智明智光秀 、地子銭を納め置き、買物の代りに渡し遣わし侯を、山門領の由、仰せ懸けられ、預け置き侯者の御押えの事。
去る夏、御城米 出だされ、金銀に御売買の由に侯。 公方足利義昭 様 御商売の儀、古今に承り及ばず侯。今の時分に侯間、御倉に兵粮これある体こそ、外聞、もっともに存じ侯。この如きの次第、驚き存じ侯事。
御宿直に召し寄せられ侯 若衆に、御扶持を加えられたく、おぼし召され侯はば、当座当座、何なりとも御座あるべき事に侯ところ、あるいは御代官職 仰せ付けられ、あるいは非分の公事を申すにつかせられ侯事、天下の褒貶、沙汰の限りに侯事。
諸侯の衆、武具・兵粮以下の嗜みはなく、金銀を専らに蓄うるの由に侯。浪人の支度と存じ侯。これも、 上様足利義昭 、金銀を取り置かれ、雑説のみぎりは、御構えを出だされ侯に付いて、下々までも「さては京都を捨てさせらるべき趣」と、見及び申し侯ての儀たるべく、上 1人を守り侯段、珍らしからず侯事。
諸事に付いて御欲かましき儀、理非も外聞にも立ち入らざる由、その聞こえ侯。しかる間、不思議の土民百姓に至るまでも「悪御所」と申しなす由に侯。 普光院殿
( 足利義教 )
を、さように申したると伝え承り侯。それは、各別の儀に侯。何故、かくの如き御陰事を申し侯や。ここを以て、御分別参るべきかの事。以上。
右の旨、御意見のところ、金言 御耳に逆らい侯。

将軍 足利義昭、追い落としの開始。

6-03:
石山・今堅田 攻められ候の事
然るところ、遠州表は 武田信玄武田信玄 差し向かい、江北表は 浅井下野 ( 浅井久政 )浅井久政
同: 備前浅井長政 父子、越前の 朝倉朝倉義景 、彼らの大軍に取り合い、虎後前山 番手半ばに候て「方々 御手塞がり」の由、下々申し候につきての儀に侯哉。
然りといえども、信長、年来の御忠節 虚しく候はん事、都鄙の嘲哢、御無念におぼし召され、 日乗上人日乗朝山島田所之助島田秀満村井長門守村井貞勝 、3使を以て、御好みの如く、人質ならびに、御誓紙 御進上なされ、御等閑なき趣、種々様々、御歎き候といえども、御和談これ無し。
結句、 光浄院
(山岡景友)
磯貝新右衛門 ( 磯貝久次 )磯貝久次 ・ 渡辺、体の者、内々 御言葉を加えられ、彼ら才覚にて、今堅田
(滋賀県大津市)
へ人数を入れ、石山
(滋賀県大津市)
に砦の足懸りを構え侯。
すなわち追い払うべきの旨、 柴田修理亮柴田勝家明智十兵衛尉明智光秀丹羽五郎左衛門尉丹羽長秀
蜂屋兵庫頭蜂屋頼隆 、4人に仰せ付けらる。
2月20日に罷り立ち、24日に勢田
(滋賀県大津市)
を渡海し、石山へ取り懸け候。
山岡光浄院 大将として伊賀・甲賀衆を相加え在城なり。然りといえども、未だ普請半作の事に候間、
2月26日、降参申し、石山の城 退散。すなわち破却させ、
2月29日、辰剋(8:00)、今堅田へ取り懸け、 明智十兵衛明智光秀 囲い舟をこしらえ、海手の方を東より西に向って攻められ候。
丹羽五郎左衛門丹羽長秀蜂屋兵庫頭蜂屋頼隆 両人は、辰巳(東南)角より戌亥(北西)へ向って攻められ侯。 終に午剋(12:00)に、 明智十兵衛明智光秀 、攻め口より乗り破り訖んぬ。数輩斬り捨て、これにより、志賀郡過半を相静め、 明智十兵衛明智光秀 坂本に在城なり。
柴田修理柴田勝家蜂屋兵庫頭蜂屋頼隆丹羽五郎左衛門丹羽長秀 、両 3人 帰陣侯ひしなり。
公方足利義昭 様、御敵の御色を立させられ侯ひしなり。
京童、落書にいう、
かそいろも やしなひ立し 甲斐もなく  いたくも花を 雨のうつ音
と書き付け、洛中に立て置き侯らひし。

6-04:
公方様 御構え取巻きの上にて御和談の事
3月25日、信長 御入洛の御馬を出だされ、然るところに、 細川兵部大輔細川藤孝荒木信濃守荒木村重 両人 御味方の御忠節として、29日に逢坂
(滋賀県大津市)
まで両人、御迎えに参らる。御機嫌 申すばかりも無し。
東山 智恩院に至りて、信長御居陣。諸手の勢衆、白川と粟田口・祇園・清水・六波羅・鳥羽・竹田の在々所々に陣取り侯。
この時、大郷
(*3)
の御腰物、 荒木信濃荒木村重 に下され、名物の御脇差、 細川兵部大輔細川藤孝 殿へ。
4月3日、まず、洛外の堂塔寺庵を除き、御放火侯。この上にても、上意次第たるべきの旨、御扱いをかけられ侯へども、御許容なきの間、御了簡に及ばれず。
翌日、また、御構えを押え、上京 御放火侯。
ここにて、かかわり難くおぼしめされ、御和談あるべきの旨、上意侯。
「 もっとも 」の由侯て、4月6日、信長公 御名代として、 津田三郎五郎織田信広 御入眼
[じゅがん]
の御礼 仰せ上げられ、異なる子細なく侯間、

*3
:郷義弘 作

6-05:
百済寺伽藍 御放火の事
7月7日、信長公、御帰陣。その日は守山
(滋賀県守山市)
に御陣取り、これより直ちに百済寺
(滋賀県東近江市)
へ御出で、2,3日御逗留あって、
鯰江
(滋賀県東近江市)
の城に 佐々木右衛門督六角義治 立て籠もるを、
攻め衆人数: 佐久間右衛門尉佐久間信盛蒲生右兵衛大輔蒲生賢秀丹羽五郎左衛門尉丹羽長秀柴田修理亮柴田勝家 に仰せ付けられ、四方より取り詰め、付城させられ侯。
近年、鯰江の城、百済寺より持ち続け、一揆同意たるの由、聞こし召し及ばる。
4月11日、百済寺 堂塔・伽藍・坊舎・仏閣、ことごとく灰燼となる。哀れなる様、目も当てられず。
その日、岐阜に至りて御馬を納められ侯ひき。

6-06:
大船 作られ侯事
公儀足利義昭 、右の御憤りを休ませられず、終に天下御敵たるの上、定めて湖境として相塞がせらるべし。その時のために大船をこしらえ、5千も 3千も一度に押し付け越さるべき 』の由候て、
5月22日、佐和山
(滋賀県彦根市)
へ御座を移され、多賀・山田
(滋賀県犬上郡)
山中の材木を取らせ、佐和山麓 松原へ、勢利川通り引き下し、国中の鍛冶・番匠・杣を召し寄せ、 御大工: 岡部又右衛門岡部又右衛門 棟梁にて、
「 舟の長さ 30間(55m)、横 7間(13m)、櫓を 100挺立たさせ、艫舳に櫓を上げ、丈夫に致すべき 」の旨、仰せ聞かされ、在 佐和山なされ、油断なく、夜を日に継ぎて仕り侯間、ほどなく、7月 3日、出来訖んぬ。事もおびただしき大船、上下、耳目を驚かすこと、案の如し。
7月 5日、【 公方足利義昭 様、また御敵の御色を立てられ、御構えには 日野 ( 日野輝資 )日野輝資 殿・
藤宰相殿・ 伊勢守殿・三淵大和守 置かれ、真木島
(京都府宇治市)
に至りて御座を移され侯!】の由、注進これあり。
すなわち、7月6日、信長公、かの大船に召され、風吹き侯といえども、坂本ロ
(滋賀県大津市)
ヘ押し付け、御渡海なり。その日は坂本に御泊。
7月7日、御入洛、二条 妙覚寺に御陣を居えられ侯。猛勢を以て御構え取り巻かる。公家衆、大軍に耳目を驚かし、御詫言申し、人質進上申さる。各々も御同陣にて候なり。

6-07:
公方様 真木島に至りて御退座の事
7月16日、真木島 へ信長 御馬を寄せられ、五ヶ庄
(京都府宇治市)
の上、やなぎ山に御陣を取らさせられ、
「 すなわち、字治川乗り渡し、真木島 攻め破らるべき 」の旨、仰せ出ださる。
誠に名も高き宇治川、漲り下って逆巻き流るる大河の表、渺々として冷しく、たやすくうち越すべき事、大事と、各々存知せられ侯といえども、ご容赦あるべき御気色これなく、
「 延引致すにおいては、信長公 御先陣なさるべき 」の旨に侯。遁れがたき題目なり。
ついては「 両手を分ちて打ち越すべき 」の趣、仰せ出だされ侯。
さ候間、先例に任せ、川上 平等院の丑寅(北東)より、昔、梶原と佐々木四郎、先陣を争いて渡らせられ侯所
(*4)
を、 稲葉伊予稲葉一鉄 ・ 息: 右京助稲葉貞通 ・ 同:彦六 先陣にて、
斎藤新五斎藤利治氏家左京助氏家直昌伊賀伊賀守安藤守就不破河内不破光治 ・ 息: 彦三不破直光丸毛兵庫頭丸毛長照
息: 三郎兵衛丸毛兼利飯沼勘平飯沼長継市橋伝左衛門市橋利尚種田助丞種田正隣 、どっと打ち越し、平等院の門前へ打ち上り、鬨の音を上げて、すなわち、近辺に煙を揚げらる。
また、川下 五ヶ庄、前川を西に向いて越され候衆:
佐久間右衛門佐久間信盛丹羽五郎左衛門丹羽長秀柴田修理亮柴田勝家羽柴筑前守羽柴秀吉蜂屋兵庫頭蜂屋頼隆
明智十兵衛明智光秀荒木摂津守荒木村重長岡兵部大輔細川藤孝 ・ 息: 與一郎 ( 細川忠興 )細川忠興
蒲生右兵衛大輔蒲生賢秀 ・ 息: 忠三郎 ( 蒲生氏郷 )蒲生氏郷永原筑前守永原重康進藤山城守進藤賢盛
後藤喜三郎後藤高治永田刑部少輔永田正貞山岡美作守山岡景隆 ・ 息: 孫太郎 ( 山岡景宗 )山岡景宗山岡玉林山岡景猶
多賀新左衛門多賀常則山崎源太左衛門 ( 山崎秀家 )山崎秀家 ・平野・ 小河孫一小川祐忠
弓徳左近兵衛 ( 久徳左近兵衛 )久徳左近兵衛青地千代寿 ( 青地元珍 )青地元珍
京極小法師 ( 京極高次 )京極高次池田孫次郎 ( 池田秀雄 )池田秀雄

ココでは、稲葉貞通=「右京助」という名前で、他に「彦六」という名の弟がいることになっているが、その他では 稲葉貞通自身が「彦六」という名前になっているので混乱。要注意。
ここでは、結構、若年層が駆り出されている。戦力が足りなかったのか、急速に拡大させていくニーズがあったのであろう。
*4 参考
「平家物語」宇治川先陣

6-08:
真木島にて御降参 公方様 御浪人の事
7月18日 巳刻(10:00)、両口一度に、その手その手を争い、中島へ西へ向って、どっと打ち渡され侯。誠に事もおびただしく、大河、御威光を以て難なく打ち越し、暫く人馬の息をつかせ、その後、真木島へ心懸け、南向きに旗首を揃え、真木島より出でる足軽を追い立て、 佐久間佐久間信盛蜂屋蜂屋頼隆 両手へ、随分の頸数 50余り討ち取るなり。
四方より真木島外構えを乗り破り、焼き上げ攻められ、
公方足利義昭 様、『 御城廓はこれに過ぎたる御構え、これなし 』とおぼし召され御動座侯といえども、今は詮なく、御手前の御一戦に取り詰め侯。
『 今度、させる御不足も御座無きのところ、ほどなく御恩を忘れ御敵になられ侯の間、ここにて御腹めさせ候わんずれども、天命恐ろしく、御行衛おぼし召すままにあるべからず。御命を助け、流し参せられ侯て、先々にて、人の褒貶に乗せ申さるべき 』由にて、若公様をば止め置かれ、
「 怨みをば、恩を以て報ぜらるる 」の由にて、河内国 若江の城
(大阪府東大阪市)
まで、 羽柴筑前守秀吉羽柴秀吉 御警固にて、送り屈けらる。誠に、日頃は輿車美々しく御粧いの御成り、歴々の御上﨟たち、歩立ち・赤足にて、取る物も取り敢えず御退座。
一年 御入洛のみぎりは、信長公 供奉なされ、誠に草木もなびくばかりの御威勢にて、甍を並べ前後を囲い、「 御果報いみじき公方様なり 」と、諸人 敬い侯へき。
この度は引き替え、御鎧の袖を濡らさせられ、「貧報公方」と上下指を差し嘲哢をなし、御自滅と申しながら、哀れなるあり様、目も当てられず。
真木島には、信長より 細川六郎細川昭元 殿を入れ置き申され、諸勢南方表 打ち出だし、在々所々焼き払う。 7月21日、京都に至りて御馬を納められ訖んぬ。
公方足利義昭 様御同意として、叡山の麓、一乗寺に足懸りこしらえ、 渡辺宮内少輔 ・
磯貝新右衛門磯貝久次 両人 立て籠り侯、降参申し退散。( 磯貝新右衛門磯貝久次 、紀伊国山中に蟄居侯のを、誅せられ侯なり。→ #11-04
山本対馬守山本対馬 、静原山に砦を構え、御敵として居城なり。 明智十兵衛明智光秀 に仰せ付けられ、取り詰めをかせられ、
今度 上京 御放火について、町人迷惑仕るべしとおぼし召さる。地子銭・諸役銭等、指しかせられ、「 かたじけなき 」の由、申し侯て、即時に町々家屋、元の如く出来訖んぬ。
天下の所司代: 村井長門守村井貞勝 に仰せ付けられ、在洛候て、天下諸色
[しょいろ]
申し付けられ侯なり。

6-09:
大船にて高島へ御働き、木戸・田中両城攻めらるる事
7月26日、信長公 御下り、直ちに江州 高島
(滋賀県高島市)
表、かの大船を以て御参陣。陸は御敵城:木戸
(滋賀県大津市)
・田中
(滋賀県高島市)
両城へ取り懸け攻められ、海手は大船を押し付け、信長公 御馬廻を以て攻めさせらるべきところ、降参申し罷り退く。
すなわち、木戸・田中両城、 明智十兵衛明智光秀 に下さる。 高島の 浅井下野浅井久政 ・同: 備前浅井長政 、彼ら進退の知行所へ御馬を寄せられ、 林與次左衛門林員清 所に至りて御居陣なさる。当表、ことごとく御放火。

6-10:
岩成 討ち果たされ候事
さるほどに、 公方足利義昭 様より仰せ付けられ、淀
(京都府京都市)
の城に、 岩成主税頭岩成友通
番頭大炊頭諏訪飛騨守 両 3人、立て籠り侯。 羽柴筑前守秀吉羽柴秀吉 、調略を以て、
番頭大炊・諏訪飛騨 両人を引き付け、御忠節仕るべき旨、御請け申す。
しかる間、 永岡兵部大輔細川藤孝 に仰せ付けられ、淀へ手遣い侯ところ、 岩成主税頭岩成友通 、城中を懸け出で侯。すなわち、両人として、たて出だし侯。
斬って回り侯を、 永岡兵部大輔細川藤孝 臣下: 下津権内下津権内 と申す者、組み討ちに頸を取り、高島へ持参侯て、頸を御目に懸け、
「 高名比類なき 」の旨、御感なされ、かたじけなくも、召されたる御道服を下され、面目の至り、冥加の次第なり。
何方も御存分に属せられ、8月4日、濃州 岐阜に至りて御帰陣。

6-11:
阿閉 謀叛の事
8月 8日、江北: 阿閉淡路守阿閉貞征 、御味方の色を立て、すなわち、夜中、信長 御馬を出だされ、その夜、御敵城:月ガ瀬
(滋賀県東浅井郡)
の城、開け退き侯なり。
8月10日、大嶽
(滋賀県東浅井郡)
の北、山田山
(滋賀県長岡市)
にことごとく陣取らせ、越前への通路 御取り切り侯。
朝倉式部大輔義景朝倉義景 後巻として、2万ばかり罷り立ち、與語・木本・田部山
(滋賀県長浜市)
に陣取り候。
近年、 浅井下野守浅井久政 、大嶽の下、焼尾という所こしらえ、浅見対馬 を入れ置き侯。これまた、 阿閉淡路阿閉貞征 と同心に、御味方の色を立て、御忠節とし、
8月12日、大嶽の下、焼尾へ、浅見対馬 覚悟にて、御人数引き入れ侯。
その夜は、以ての外 風雨に侯といえども、虎後前山には信長公の御息嫡男: 勘九郎織田信忠 殿を置き申され、信長、雨に濡れさせられ侯て、御馬廻 召し連れられ、太山 大嶽へ御先懸けにて攻め上らせられ、既に乗り入るべきところ、
越前より、番手として、斎藤・小林・西方院、3大将 人数 500ばかり立て籠り、色々降参仕り侯。 もっとも討ち果たさるべき事に侯へども、
『 風雨といい、夜中、大嶽 落去の体、 朝倉左京大夫朝倉義景 存知せられまじき侯の間、この者ども命を助け、敵陣へ送り遣わされ、この表かかわり難き仕合せ、敵の勢衆に知らせ、その上、 朝倉左京大夫朝倉義景 陣所へ打ち向けらるべき 』の御存分にて、右籠城の者、敵所へ送り遣わさる。
大嶽には、 塚本小大膳塚本小大膳不破河内不破光治 ・ 同: 彦三不破直光丸毛兵庫丸毛長照 ・同: 三郎兵衛丸毛兼利 入れ置かれ、直ちにまた、丁野
[よう]
の山、信長 御取り懸け侯。
平泉寺の玉泉坊 番手として立て籠り侯。これも御侘言申し、罷り退く。
然らば、信長 御諚には、
「 必定! 今夜、 朝倉左京大夫朝倉義景 退散すべく侯! 」
先手に差し向け侯衆: 佐久間右衛佐久間信盛柴田修永門柴田勝家瀧川左近滝川一益蜂屋兵庫頭蜂屋頼隆
羽柴筑前羽柴秀吉丹羽五郎左衛門丹羽長秀氏家左京助氏家直昌伊賀伊賀守安藤守就稲葉伊予稲葉一鉄稲葉左京助稲葉貞通 ・稲葉彦六・ 蒲生右兵衛大輔蒲生賢秀蒲生忠三郎蒲生氏郷永原筑前永原重康進藤山城守進藤賢盛 ・理田刑部少輔・ 多賀新左衛門多賀常則弓徳左近久徳左近兵衛阿閉淡路阿閉貞征 ・ 同: 孫五郎 ( 阿閉貞大 )阿閉貞大山岡美作守山岡景隆 ・ 同: 孫太郎山岡景宗山岡玉林山岡景猶 、 この他、歴々の諸卒、
「 ここを逃し侯はぬ様に覚悟仕るべき 」の旨、再往再三 仰せ遣わさる。
その上、御いらでなされ、13日夜中に越前衆陣所へ、信長、また御先懸けなされ、駆けつけられ侯。然れども、度々仰せ遣わされ侯 御先陣に差し向け侯衆 油断侯て、信長の御先懸けなされ侯を承り侯て、御後へ参られ侯。地蔵山を越え侯て御目にかかり侯へば、
「 数度 仰せ合せられ侯に、見合せ侯段、各々手前の卑怯、曲事!!」の由、御諚侯ところに、信長へ越され申し、面目も御座なきの旨、 瀧川滝川一益柴田柴田勝家丹羽丹羽長秀蜂屋蜂屋頼隆
羽柴羽柴秀吉稲葉稲葉一鉄 はじめとして、謹んで申し上げられ侯。 佐久間右衛門佐久間信盛 涙を流し、
「 さように仰せられ侯へども、我々ほどの内の者は持たれまじく 」と、自讃を申され侯。 信長 御腹立ち 斜ならず、
「 その方は男の器用を自慢にて侯か? 何を以ての事! 片腹痛き申し様なり!」と仰せられ、御機嫌悪く、
御分別の如く、 朝倉左京大夫義景朝倉義景 廃軍侯のを討ち取り、頸ども、我も我もと持参候。この時、御馬に召し御出だし侯。
「 中野河内
(滋賀県長浜市)
口、刀根
(福井県敦賀市)
口、二手に罷り退き侯。何方へ付き候て、然るべく候はんや?」と相支え、僉議まちまち侯ところに、信長 御諚には、
「 引檀
(福井県敦賀市)
・敦賀の味方城を心懸け 退くべく侯間、引檀ロヘ人数を付け侯へ 」と御諚侯。
妙案、中野河内ロヘは雑兵を退け、 朝倉左京大夫朝倉義景 、名ある程の者どもを召し列れ、敦賀を指して逃れ候。やがて、刀根山の嶺にて懸け付け、心ばせの侍衆、帰し合い帰し合い、相支え塞ぎ戦ひ候へども敵わず、敦賀まで 11里(43km) 追い討ちに、頸数 3千余あり。
注文(手前にて見知の分):朝倉治部少輔・朝倉掃部助・三段崎六郎・朝倉権守・朝倉土佐守・河合安芸守・青木隼人佐・鳥居與七・窪田将監・詫美越後・山崎新左衛門・土佐掃部助・山崎七郎左衛門・山崎肥前守・山崎自林坊・細呂木治部少輔・伊藤九郎兵衛・中村五郎右衛門・中村三郎兵衛。中村新兵衛 ← 金松又四郎兼松正吉 、これを討ち取る。
長島大乗坊・和田九郎右衛門・和田清左衛門・引檀六郎二郎・小泉四郎右衛門・
濃州龍興斎藤龍興印牧弥六左衛門、この他、宗徒の侍 数多討ち死。
ここに、 不破河内守不破光治 が内の 原野賀左衛門と申す者、印牧弥六左衛門 を生け捕り、御前へ参り侯。御尋ねによりて前後の始末申し上ぐるのところ、
「 神妙の働き、是非なきの間、忠節致し侯はば、一命を御助けなさるべし 」と、御諚侯。ここにて、印牧 申す様に、
朝倉朝倉義景 に対し、日頃、遺恨深重の事に侯といえども、今この刻、歴々討ち死侯ところに、述懐を申し立て生き残り、御忠節叶はざる時は、当座を申したるとおぼし召し、御扶持もこれなく侯へば、実儀も外聞も見苦しく候はんの間、腹を仕るべし 」と申し乞い、生害。前代未聞の働き、名誉、是非に及ばず。
同日、落城の数:大嶽・焼尾・月ガ瀬・丁野山・田部山・ 義景朝倉義景 本陣 田上山・引檀・敦賀・賤ケ岳・若州 粟屋越中 ( 粟屋勝久 )粟屋勝久 所へ指し向け侯て付城、共に 10ヶ所退散。
さるほどに、信長、年来、御足半を御腰に付けさせられ侯。
今度 刀根山にて、 金松又四郎兼松正吉 、武者一騎 山中を追い懸け、終に討ち止め、頸を持参侯。その時、素足に罷り成り、足は紅に染めて参り侯を御覧じ、日頃 御腰に付けさせられ候 御足半、この時
「 御用に立てられ侯 」由、御諚侯て、 金松兼松正吉 に下さる。且は冥加の至り、面目の次第なり。
信長公、御武徳両道 御達者の故、案の内の大利を得させられ、
14日, 15日, 16日、敦賀に御逗留。所々の人質取り固め、
17日、木目峠
(福井県敦賀市)
打ち越え、国中へ御乱入。
8月18日、府中
(福井県越前市)
龍門寺に至りて御陣を居えさせられ、 朝倉左京大夫義景朝倉義景 、我が館:一乗の谷
(福井県福井市)
を引き退き、大野郡の内、山田庄
(福井県大野市)
六坊と申し侯所へ逃れ侯。
さしも、やむごとなき女房達、輿車は名のみ聞きて、取る物も取り敢えず、徒歩裸足にて、我先に我先にと 義景朝倉義景 の後を慕いて落ちられなり。誠に、目も当てられず、申すは、なかなか愚かなり。
然るところに、 柴田修理亮柴田勝家稲葉伊予稲葉一鉄氏家左京助氏家直昌伊賀伊賀守安藤守就 はじめとして、
「 平泉寺口へ 義景朝倉義景 を追いかけ、御人数 差し遣わされ、その上、諸卒手分けをして、山中へ分け入りて探し侯へ 」と仰せ出だされ、毎日、100人 200人ずつ、一揆ども、龍門寺 御大将陣へ括り縛り召し列れ参り侯を、御小姓衆に仰せ付けられ、際限なく討たせられ、目も当てられざる様体なり。
ここに、野仁の者ども、気高きかと有る人と見えたる女房の、下女をも連れ侯はで、唯一人これあるを探し出し、五三日いたらぬ奴原、止め置き侯ところに、ある時、硯を借りて鼻紙の端に書き置きをして、たばかり出で、井戸へ身を投げ果てられ侯。
後に、人々、これを見れば、この歌なり。
ありをれば よしなき雲も 立かかかる  いざや入なむ 山のはの月
と、一首を書き置き、この世の名残り、これまでなり。見る人、哀れに思いて涙を流さずという者無し。
平泉寺の僧衆、御忠節仕るべきの由に候て、人数を出だし、手を合せ、
朝倉左京大夫義景朝倉義景 、遁れ難き様体なり。
ここに、朝倉同名に 式部大輔と申す者、情なく 義景朝倉義景 に腹を切らせ、鳥井與七・
高橋甚三郎、介錯を致し、両人の者も追腹仕り侯。中にも 高橋甚三郎 働き比類なきの由に侯。
朝倉式部大輔義景朝倉義景 の頸を府中 龍門寺へ持たせ越し、8月24日、御礼申さる。名字の総領といい、親類といい、前代未聞の働きなり。 義景朝倉義景 の母儀、並びに、嫡男:阿君九 を尋ね出だし、 丹羽五郎左衛門丹羽長秀 に仰せ付けられ、生害候なり。
さて、国衆縁々を以て、帰参の御礼、門前市をなす事に侯。すなわち、 義景朝倉義景 が頸、
長谷川宗仁長谷川宗仁 に仰せ付けられ、京都へ上らせ、獄門に懸けさせられ、越前一国平均侯間、国中の掟を仰せ付けられ、 前波播磨守前波吉継 、守護代として置かせられ、
8月26日、信長公、江北 虎後前山まで御馬を納めらる。
8月27日、夜中に、 羽柴筑前守羽柴秀吉 、京極つぶらへ取り上り、 浅井下野浅井久政 ・ 同: 備前浅井長政 父子の間を取り切り、まず、 下野浅井久政 居城を乗っ取り候。ここにて、浅井福寿庵、腹を仕り侯。さるほどに、年来、目を懸けられ候、鶴松大夫 と申し侯て - 舞をよく仕り侯者にて侯 - 下野浅井久政 を介錯し、さてその後、鶴松大夫 も追腹仕り、名誉 是非なき次第なり。
羽柴筑前守羽柴秀吉下野浅井久政 が頸を取り、虎後前山へ罷り上り、御目に懸けられ侯。
翌日、また、信長、京極つぶらへ御上り侯て、 浅井備前浅井長政 ・赤生美作 生害させ、 浅井父子の頸、京都へ上らせ、これまた、獄門に懸けさせられ、また、 浅井備前浅井長政 10歳の嫡男 御座侯を尋ね出し、関ヶ原という所に磔に懸けさせられ、年来の御無念を散ぜられ訖んぬ。ここにて、江北 浅井が後、一職進退に、 羽柴筑前守秀吉羽柴秀吉 へ、御朱印を以て下され、かたじけなく面目の至りなり。
9月4日、信長、直ちに佐和山へ御出でなされ、
「 鯰江の城攻め破るべき 」の旨、 柴田柴田勝家 に仰せ付けられ候。すなわち、取り詰め侯ところ、 佐々木右衛門督六角義治 降参候て、退散なり。何方も御存分に任せらる。
9月6日、信長公、岐阜に至りて御帰陣。
さるほどに、 杉谷善住坊杉谷善住坊 、鉄砲の上手にて侯。
先年、信長、千草峠 御越えのみぎり、 佐々木承禎六角義賢 に頼まれ侯て、山中にて、鉄砲二玉を込み、12,3間(23m) 隔て無情に撃ち申す。されども、天道昭覧にて、信長の御身に少し宛、撃ちかすり、鰐の口 御遁れ侯て、岐阜御帰陣 侯ひき。→ #3-05
この頃、 杉谷善住坊杉谷善住坊 は 鯰江香竹 を頼み、高島に隠居侯を、 磯野丹波磯野員昌 召し捕え、
9月10日、岐阜へ 菅屋九右衛門菅屋長頼祝彌三郎祝重正 、両人御奉行として、千草山中にて鉄砲を以て撃ち申し侯 子細を御尋ねなされ、おぼし召すままに御成敗を遂げらる。
立て埋みにさせ、頸をノコギリにて挽かせ、日頃の御憤を散ぜられ、上下一同の満足、これに過ぐべからず。
9月24日、信長、北伊勢に至りて御馬を出だされ、その日は 大柿
(岐阜県大垣市)
の城、御泊。
25日、太田の城
(岐阜県海津市)
、小稲葉山に御陣取り。
江州衆は、八風、おふじ畑 越えにて、26日、桑名表へ人数打ち出だし、西別所
(三重県桑名市)
に一揆立て籠り候を、
佐久間右衛門佐久間信盛羽柴筑前守羽柴秀吉蜂屋兵庫頭蜂屋頼隆丹羽五郎左衛門丹羽長秀 4人として、取り懸け、攻め破り、数多 斬り捨てられ侯。
柴田修理柴田勝家瀧川左近滝川一益 両人は、坂井の城
(三重県桑名市)
、片岡という者の構え、取り巻き攻められ候のところ、降参申し、10月6日 退き出で、
右両人 直ちに、深谷部の近藤の城 取り懸け、かね掘りを入れ攻められ、
これも御侘言申し、罷り退く。
10月8日、信長、東別所
(三重県桑名市)
へ御陣を寄せさせられ、これにより、伊坂・萱生・赤堀
(三重県四日市市)
・多奈部
(三重県いなべ市)
・桑部・南部
(三重県桑名市)
・千草・長深、田辺九郎次郎・中島勘解由左衛門、いずれも人質進上侯て、御礼申し上げ侯。
ここに、白山
(三重県津市)
の 中島将監、御礼に罷り出でず侯。しかる間、 佐久間佐久間信盛
蜂屋蜂屋頼隆丹羽丹羽長秀羽柴羽柴秀吉 、この 4人を仰せ付けられ、築山を築き、かね掘りを入れ攻められ侯。かかわり難く存知、この上にて御侘言申し、退散。
さるほどに、京都 静原山に立て籠りし御敵: 山本対馬山本対馬
明智十兵衛明智光秀 調略を以て生害させ、頸を北伊勢 東別所まで持ち来し進上。
御敵をなす者、ことごとく御存分に属し、御威光申すに足らず。
北伊勢一篇に罷りなり、河内長島も過半相果て、迷惑仕るの由に候。矢田
(三重県桑名市)
の城 、御普請 丈夫に仰せ付けられ、 瀧川左近滝川一益 入れ置かる。
10月25日、信長、北伊勢より御馬を納められ、左は多芸山、茂りたる高山なり。右手は入川足入り多くありて、茂りたる事、大方ならず。山下に道一筋めぐり回って節所なり。
信長、退かせられしを見申し、御後ろへ河内の奴原、弓・鉄砲にて、山々先々へ移り回り、道の節所を支え、伊賀・甲賀のよき射手の者ども馳せ来て、さしつめ引きつめ、散々に討ち倒す事、際限無し。雨強く降りて、鉄砲は互いに入らざる物なり。 ここに越前衆の内、 毛屋猪介毛屋猪介 、ここにては支え合せ、かしこにては叩き合い、数度の働き比類無し。
信長公の一長:林新次郎 残し置かれ、数度追い払い、節所の詰りにては相支え、火花を散らし相戦う。林新次郎、ならびに、家子郎等、枕を並べ討ち死なり。
林 与力に、賀藤次郎左衛門と申す者、尾張国 久々取合いの内、ここはという時には良き矢を仕り侯て、人々存知たる射手なり。この度も、先へ懸かる武者をば射倒し、林新二郎と一所に討ち死。名誉という事も愚かなり。
その日は、午刻(12:00)より薄暮に及び、以ての外の風雨にて、下の人足等、寒死侯べき。夜に入って大柿城まで御出で、10月26日、岐阜 御帰陣なり。
霜月(11月) 4日、信長、御上洛。二条 妙覚寺 御寄宿。
三好左京大夫三好義継 殿、非儀を相構えらるるによって、
家老の衆:多羅尾右近・池田丹後守・野間佐吉 両3人、別心を企て、
金山駿河、万端一人の覚悟に任せ侯の間、金山駿河 を生害させ、
佐久間右衛門佐久間信盛 を引き入れ、天主の下まで攻め込み侯のところ、
敵い難くおぼし召し、御女房衆・御息達、皆、刺し殺し、斬って出で、余多の者に手を負わせ、その後、 左京大夫三好義継 殿、腹十文字に切り、比類なき御働き、哀れなる有様なり。
御相伴の人数:那須久右衛門・岡飛騨守・江川、右 3人、追腹仕り、名誉の次第、この節なり。
若江の城、両 3人御忠節に付いて、預け置かる。
12月 2日、信長公、岐阜に至りて御帰城候なり。



この巻の登場人物と他巻リンク

織田信長 [39歳]

青地元珍 [13] あおち もとたか

明智光秀 [45] あけち みつひで

 織田の家臣。明智十兵衛
 6-02: 公方様御謀叛 付17ヶ条
 6-03: 石山・今堅田 攻められ候...
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-08: 真木島にて御降参 公方様...
 6-09: 大船にて高島へ御働き、木...
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 8-03: 河内国新堀城攻め干され...
 8-06: 禁中において親王様 御鞠...
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 9-03: 原田備中、御津寺へ砦 討...
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-03: 御名物召し置かるるの事
 10-08: 片岡の城 攻め干さる事
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 11-01: 御茶の湯の事
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...
 12-01: 摂津国 御陣の事
 12-05: 丹波国 波多野兄弟 張...
 12-06: 赤井悪右衛門 退参の事
 12-12: 謀書の事
 12-13: 伊丹城 謀叛の事
 12-18: 伊丹城 相果たし、御成...
 13-08: 因幡・伯耆両国に至り...
 13-11: 佐久間・林佐渡・丹羽...
 14-01: 御爆竹の事
 14-02: 御馬揃えの事
 14-07: 8月朔日 御馬揃えの事
 15-05: 木曾義政 忠節の事
 15-14: 人数備えの事
 15-25: 家康公・穴山梅雪 御上...
 15-26: 羽柴筑前守秀吉、備中...
 15-29: 明智日向 西国出陣の事
 15-31: 明智日向守 逆心の事
 15-32: 信長公 本能寺にて御腹...
 15-33: 中将信忠卿、二条にて...
 15-34: 江州安土城御留守居衆...
 2-01: 六条合戦の事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-10: 志賀御陣の事
 4-05: 叡山御退治の事
 5-01: 武者小路 御普請の事
 5-03: 奇妙様 御具足初めに 虎後...

浅井長政 [28] あざい ながまさ

浅井久政 [47] あざい ひさまさ

朝倉義景 [60] あさくら よしかげ

足利義昭 [36] あしかが よしあき

足利義輝 [没] あしかが よしてる

阿閉貞大 [--] あつじ さだひろ

阿閉貞征 [45] あつじ さだゆき

荒木村重 [38] あらき むらしげ

安藤守就 [70] あんどう もりなり

飯沼長継 [--] いいぬま ながつぐ

池田秀雄 [45] いけだ ひでお

磯貝久次 [--] いそがい ひさつぐ

磯野員昌 [50] いその かずまさ

市橋利尚 [--] いちはし としひさ

稲葉一鉄 [58] いなば いってつ

稲葉貞通 [27] いなば さだみち

岩成友通 [--] いわなり ともみち

氏家直昌 [--] うじいえ なおまさ

岡部又右衛門 [--] おかべ またえもん

小川祐忠 [--] おがわ すけただ

織田信忠 [18] おだ のぶただ

 信長の嫡男。勘九郎
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 7-09: 河内長島一篇に仰せ付けら...
 8-03: 河内国新堀城攻め干され...
 8-04: 三州 長篠 御合戦の事
 8-12: 菅九郎殿 岩村 御存分に仰...
 8-13: 菅九郎殿 御位の事
 9-01: 安土 御普請の事
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-07: 松永謀叛 並びに 人質...
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 10-10: 中将信忠御位の事
 10-14: 中将信忠へ御名物11種...
 11-01: 御茶の湯の事
 11-03: 回禄せし御弓衆 御折檻...
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-10: 小相撲の事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...
 12-01: 摂津国 御陣の事
 12-03: 二条殿・烏丸殿・菊庭...
 12-05: 丹波国 波多野兄弟 張...
 12-06: 赤井悪右衛門 退参の事
 12-07: 荒木 伊丹城・妻子捨て...
 12-14: 氏政 甲州表へ働きの事
 13-05: 阿賀の寺内 申し付くる...
 13-08: 因幡・伯耆両国に至り...
 13-09: 大坂退散の事
 14-01: 御爆竹の事
 14-02: 御馬揃えの事
 14-06: 因幡国 鳥取城 取り詰...
 14-07: 8月朔日 御馬揃えの事
 14-11: 伊賀国へ 信長 御発向...
 15-01: 御出仕の事
 15-02: 御爆竹の事
 15-03: 伊勢大神宮 上遷宮の事
 15-05: 木曾義政 忠節の事
 15-06: 信州 高遠の城、中将信...
 15-08: 武田四郎 甲州 新府 退...
 15-09: 信長公 御乱入の事
 15-10: 武田四郎 父子 生害の事
 15-12: 武田典厩 生害、下曾禰...
 15-18: 諸勢 帰陣の事
 15-19: 御国割りの事
 15-20: 恵林寺 御成敗の事
 15-22: 信州 川中島表、森勝蔵...
 15-25: 家康公・穴山梅雪 御上...
 15-33: 中将信忠卿、二条にて...
 15-34: 江州安土城御留守居衆...
 5-03: 奇妙様 御具足初めに...

織田信広 [--] おだ のぶひろ

兼松正吉 [31] かねまつ まさよし

 織田の武将。金松又四郎
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 3-09: 野田福島御陣の事

蒲生氏郷 [17] がもう うじさと

蒲生賢秀 [39] がもう たかひで

烏丸光康 [60] からすま みつやす

久徳左近兵衛 [--] きゅうとく さこんひょうえ

京極高次 [10] きょうごく たかつぐ

粟屋勝久 [--] くりや かつひさ

毛屋猪介 [--] けや いのすけ

後藤高治 [--] ごとう たかはる

斎藤龍興 [25] さいとう たつおき

斎藤利治 [32] さいとう としはる

佐久間信盛 [45] さくま のぶもり

 織田の家臣。佐久間右衛門
 6-05: 百済寺伽藍 御放火の事
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-08: 真木島にて御降参 公方様...
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 7-04: 蘭著待 切り取らるるの事
 7-05: 佐々木承禎、石部城退散の事
 7-09: 河内長島一篇に仰せ付けら...
 8-03: 河内国新堀城攻め干され...
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 8-14: 御家督 御譲りの事
 9-04: 御後巻 再三 御合戦の事
 9-05: 西国より大船を催し 木津...
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-02: 内裡 御築地の事
 10-03: 御名物召し置かるるの事
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-11: 大船 堺津にて御見物の事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...
 13-01: 播州 三木落居の事
 13-03: 大坂退散 御請け誓紙の事
 13-09: 大坂退散の事
 13-11: 佐久間・林佐渡・丹羽...
 15-02: 御爆竹の事
 0-09: 備後守 病死の事
 0-18: 勘十郎殿 林 柴田 御敵の事
 0-23: 鳴海之城へ御砦の事
 0-24: 今川義元 討ち死の事
 1-04: 信長御入洛十余日の内に...
 2-06: 阿坂の城 退散の事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-06: 落窪合戦の事
 3-07: たけくらべ・かりやす砦の事
 3-10: 志賀御陣の事
 4-03: 大田口合戦の事
 4-04: 志むら攻め干さるるの事
 5-02: 交野へ 松永 砦仕り侯て 追...
 5-03: 奇妙様 御具足初めに 虎後...
 5-04: 味方ヶ原合戦の事

柴田勝家 [51] しばた かついえ

 織田の家臣。柴田修理亮
 6-03: 石山・今堅田 攻められ候...
 6-05: 百済寺伽藍 御放火の事
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 7-04: 蘭著待 切り取らるるの事
 7-09: 河内長島一篇に仰せ付けら...
 8-03: 河内国新堀城攻め干され...
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 10-06: 柴田 北国 相働くの事
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 12-06: 赤井悪右衛門 退参の事
 12-16: 親王様 二条御新造へ行...
 13-04: 能登・加賀両国、柴田...
 13-05: 阿賀の寺内 申し付くる...
 13-11: 佐久間・林佐渡・丹羽...
 13-12: 賀州一揆 歴々 生害の事
 14-01: 御爆竹の事
 14-02: 御馬揃えの事
 14-06: 因幡国 鳥取城 取り詰...
 15-11: 越中富山の城、神保越...
 15-12: 武田典厩 生害、下曾禰...
 0-09: 備後守 病死の事
 0-12: 深田松葉 両城 手替わりの事
 0-15: 柴田権六 中市場 合戦の事
 0-18: 勘十郎殿 林 柴田 御敵の事
 0-25: 家康公 岡崎の御城へ...
 1-04: 信長御入洛十余日の内に...
 2-06: 阿坂の城 退散の事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-06: 落窪合戦の事
 3-07: たけくらべ・かりやす砦の事
 3-10: 志賀御陣の事
 4-03: 大田口合戦の事
 4-04: 志むら攻め干さるるの事
 5-02: 交野へ 松永 砦仕り侯て 追...
 5-03: 奇妙様 御具足初めに...

島田秀満 [--] しまだ ひでみつ

下津権内 [--] しもづ ごんない

進藤賢盛 [--] しんどう たかもり

菅屋長頼 [--] すがや ながより

杉谷善住坊 [--] すぎたに ぜんじゅぼう

多賀常則 [--] たが つねのり

滝川一益 [48] たきがわ かずます

武田信玄 [52] たけだ しんげん

種田正隣 [--] たねだ まさちか

塚本小大膳 [--] つかもと こだいぜん

永田正貞 [--] ながた まささだ

永原重康 [--] ながはら しげやす

日乗朝山 [--] にちじょう ちょうざん

丹羽長秀 [38] にわ ながひで

 織田の家臣。丹羽五郎左衛門
 6-03: 石山・今堅田 攻められ候...
 6-05: 百済寺伽藍 御放火の事
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 7-02: 前波生害、越前一揆蜂起の事
 7-04: 蘭著待 切り取らるるの事
 7-09: 河内長島一篇に仰せ付けら...
 8-01: 御分国 道作り 仰せ付けら...
 8-02: 公家領 徳政にて仰せ付け...
 8-03: 河内国新堀城攻め干され...
 8-04: 三州 長篠 御合戦の事
 8-06: 禁中において親王様 御鞠...
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 9-01: 安土 御普請の事
 9-04: 御後巻 再三 御合戦の事
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-03: 御名物召し置かるるの事
 10-06: 柴田 北国 相働くの事
 10-07: 松永謀叛 並びに 人質...
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 10-13: 三州吉良へ御鷹野の事
 10-14: 中将信忠へ御名物11種...
 11-01: 御茶の湯の事
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-14: 安部二右衛門 御忠節の事
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...
 12-01: 摂津国 御陣の事
 12-03: 二条殿・烏丸殿・菊庭...
 12-05: 丹波国 波多野兄弟 張...
 12-09: 宇治橋 取り懸けの事
 12-10: 北畠中将殿 御折檻状の事
 12-18: 伊丹城 相果たし、御成...
 13-01: 播州 三木落居の事
 13-05: 阿賀の寺内 申し付くる...
 14-02: 御馬揃えの事
 14-03: 高天神 干殺し 歴々 討...
 14-04: 和泉 巻尾寺 破滅の事
 14-06: 因幡国 鳥取城 取り詰...
 14-09: 能登・越中 城々破却の事
 14-10: 伊賀国、三介殿に仰せ...
 14-11: 伊賀国へ 信長 御発向...
 15-14: 人数備えの事
 15-19: 御国割りの事
 15-23: 信長公 甲州より御帰陣...
 15-25: 家康公・穴山梅雪 御上...
 15-28: 家康公・穴山梅雪、奈...
 0-05: 景清 あざ丸刀の事
 0-40: 加治田之城 御味方に参る事
 0-41: 犬山両おとな 御忠節の事
 0-42: 濃州 伊木山へ御上りの事
 0-43: 堂洞砦 攻めらるの事
 1-04: 信長御入洛十余日の内に...
 2-05: 名物 召され置きの事
 2-06: 阿坂の城 退散の事
 3-02: 名物 召し置かるるの事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-07: たけくらべ・かりやす砦の事
 3-08: 姉川合戦の事
 3-10: 志賀御陣の事
 4-01: 佐和山城 渡し進上の事
 4-04: 志むら攻め干さるるの事
 4-06: 御修理造り畢るの事
 5-01: 武者小路 御普請の事
 5-03: 奇妙様 御具足初めに...

羽柴秀吉 [36] はしば ひでよし

 織田の家臣。羽柴筑前守
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-08: 真木島にて御降参 公方様...
 6-10: 岩成 討ち果たされ候事
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 7-02: 前波生害、越前一揆蜂起の事
 7-10: 樋口夫婦 御生害の事
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 9-01: 安土 御普請の事
 9-04: 御後巻 再三 御合戦の事
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-03: 御名物召し置かるるの事
 10-06: 柴田 北国 相働くの事
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 10-10: 中将信忠御位の事
 10-12: 但馬・播磨、羽柴に申...
 10-13: 三州吉良へ御鷹野の事
 11-01: 御茶の湯の事
 11-04: 磯野丹波・磯貝新左衛...
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-07: 洪水の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...
 12-03: 二条殿・烏丸殿・菊庭...
 12-05: 丹波国 波多野兄弟 張...
 12-07: 荒木 伊丹城・妻子捨て...
 12-14: 氏政 甲州表へ働きの事
 13-01: 播州 三木落居の事
 13-05: 阿賀の寺内 申し付くる...
 13-08: 因幡・伯耆両国に至り...
 13-11: 佐久間・林佐渡・丹羽...
 14-03: 高天神 干殺し 歴々 討...
 14-06: 因幡国 鳥取城 取り詰...
 14-07: 8月朔日 御馬揃えの事
 14-12: 因幡国 鳥取 果て口の事
 14-13: 伯耆国 南条表 発向の事
 14-14: 淡路島 申し付けらるる...
 14-15: 悪党 御成敗の事
 15-02: 御爆竹の事
 15-05: 木曾義政 忠節の事
 15-13: 中国表 羽柴筑前 働き...
 15-26: 羽柴筑前守秀吉、備中...
 1-04: 信長御入洛十余日の内に...
 2-06: 阿坂の城 退散の事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-07: たけくらべ・かりやす砦の事
 3-08: 姉川合戦の事
 3-10: 志賀御陣の事
 4-02: 箕蒲合戦の事
 5-03: 奇妙様 御具足初めに 虎後...

長谷川宗仁 [34] はせがわ そうにん

蜂屋頼隆 [39] はちや よりたか

祝重正  [--]  はふり しげまさ

林員清  [--]  はやし かずきよ

日野輝資 [18] ひの てるすけ

不破直光 [--] ふわ なおみつ

不破光治 [--] ふわ みつはる

細川昭元 [25] ほそかわ あきもと

細川忠興 [10] ほそかわ ただおき

細川藤孝 [39] ほそかわ ふじたか

前波吉継 [32] まえば よしつぐ

松永久秀 [63] まつなが ひさひで

松永久通 [30] まつなが ひさみち

丸毛兼利 [--] まるも かねとし

丸毛長照 [--] まるも ながてる

三好義継 [24] みよし よしつぐ

村井貞勝 [53] むらい さだかつ

山岡景佐 [42] やまおか かげすけ

山岡景隆 [47] やまおか かげたか

山岡景猶 [--] やまおか かげなお

山岡景宗 [34] やまおか かげむね

山崎秀家 [26] やまざき ひでいえ

山本対馬 [--] やまもと つしま

六角義賢 [52] ろっかく よしかた

六角義治 [28] ろっかく よしはる