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信長公記(巻の8)

巻の8 の現代語表記と登場人物関連のページです。

巻の8
 1575 (天正 3) 年 乙亥
8-01:
御分国 道作り 仰せ付けられし事
去る年、月迫りに「 国々、道を作るべき 」の旨、坂井文介・高野藤蔵・篠岡八右衛門・
山口太郎兵衛 4人を御奉行として仰せ付けられ、御朱印を以て御分国中 御触れ、これあり。ほどなく正月中、出来訖んぬ。
江川には舟橋を仰せ付けられ、嶮路を平らげ石を退けて大道とし、道の広さ 3間(5.5m)に、中路辺の左右に松と柳を植え置き、所々の老若 罷り出で、水をそそぎ、微塵を払い、掃除を致し侯べき。
先年より、御分国中 数多これある諸関・諸役の儀等、御免ゆえを以て、路次の滞り、いささか以てこれ無し。誠に難所の苦労を忘れ、牛馬の助け、万民穏やかに往還をなし、黎民 烟戸ささず。「生前の思い出、有り難き次第なり」と、尊卑十指を挙げて、かたじけなく拝し申し侯。御齢は朔母と同じく、福は須達に斉し。諸人これを存ずるのみ。
2月27日、御上洛。捶井
(岐阜県不破郡)
まで御出で、翌日、雨降り、御滞留。
29日、佐和山
(滋賀県彦根市)
丹羽五郎左衛門丹羽長秀 所に御座なさる。
3月3日、永原
(滋賀県野洲市)
御泊。
次日、御出京、相国寺 御寄宿。
3月16日、 今川氏真 御出仕、「百端帆」御進上。以前も「千鳥の香爐」「宗祗香爐」御進献のところ、「宗祗香爐」御返しなされ、「千鳥の香爐」留め置かせられ候へき。
今川殿、鞠を遊ばさるるの由、聞こしめし及ばれ、3月20日、相国寺にて御所望。
御人数: 三條殿 父子 ・ 藤宰相殿 父子 ・ 飛鳥井飛鳥井雅教 殿父子 ・ 弘橋殿・五辻殿・鷹司殿・ 烏丸烏丸光康 殿。信長は御見物。

8-02:
公家領 徳政にて仰せ付けられ侯事
4月朔日、仰せ出でらるる趣:
既に近代、禁中 御廃壊の条、先年より御修理の儀 仰せ付けられ、成就せしめ畢んぬ。しかしながら、公家方 御怠転に及ばるるの間、方々沽却の地、 村井民部丞村井貞勝
丹羽五郎左衛門丹羽長秀 両人に仰せ付けられ、徳政として、公家衆の本領 還付せらる。
主上・公家・武家ともに御再興。天下無双の御名誉、これに過ぐべからず。

8-03:
河内国 新堀城 攻め干され 並びに誉田城 破却の事
3月下旬、 武田四郎武田勝頼 、三州の内、足助
(愛知県豊田市)
口へ相働き侯。
即、信長の嫡男: 織田菅九郎織田信忠 、尾州衆 召し列ねられ、御出陣侯。
4月6日、信長、京都より直ちに南方へ御馬を出だされ、その日、八幡
(京都府八幡市)
に御陣 懸けられ、次日、若江
(大阪府東大阪市)
に至りて御陣取り、大坂より若江へ差し向け侯。付城:萱振
[かいぼり]
へは御手遣りも無く、直ちに奥へ御通りなさる。
4月8日、 三好笑岩三好康長 立て籠りし高屋
(大阪府羽曳野市)
へ取り懸け、町を破られ、不動坂口 相支え、押しつ押されつ、数ヶ度戦うなり。
伊藤與三右衛門 弟:伊藤二介、度々の先懸けにて数ヶ所の傷を被り、討ち死なり。この時、信長 は駒ヶ谷山より御目の下に御見物なされ、晴がましき働きなり。
その日は、誉田の八幡
(大阪府羽曳野市)
、道明寺河原
(大阪府藤井寺市)
へ取り続き、段々に陣取る。信長 は駒ヶ谷山に御陣を張らせられ、万方へ足軽 仰せ遣わさる。
佐久間右衛門佐久間信盛柴田修理亮柴田勝家丹羽五郎左衛門丹羽長秀塙九郎左衛門原田直政 、谷々入々まで御放火、その上、麦苗薙ぎ拾つ。
4月12日に、住吉
(大阪府大阪市)
へ御陣替え。
13日、天王寺
(大阪府大阪市)
に至りて御馬を寄せられ、畿内・若狭・近江・美濃・尾張・伊勢・丹後・丹波・播磨・根来寺・四谷の衆、残らず罷り立ち、天王寺・住吉・遠里小野 近辺 陣取るなり。
4月14日、大坂へ取り寄せ、作毛ことごとく薙ぎ捨て、御人数 十万余騎のつもりなり。かように上下結構なる大軍見及ぼざる由にて、都鄙の貴賤、皆、耳目を驚かすばかりなり。
4月16日、遠里小野
(大阪府大阪市)
へ 信長 御陣取り、近辺 耕作、信長 御自身 薙せられ、
堺の近所に新堀
(大阪府堺市)
と申す出城こしらえ、十河因幡守香西越後香西越後 大将として立て籠もる。
4月17日、御馬寄せられ、取巻き攻めらる。
4月19日、夜に入り、諸手揉み合い、火矢を射ち入れ 埋め草を入れ 攻めさせられ、大手・搦手へ斬って出ず。然るに、 香西越後香西越後 生捕りに罷りなり、縄懸かり、眼をすがめ、口をゆがめ、御前へ参り侯。
夜中には侯へども、 香西香西越後 と御見知り侯て、日頃、屈せざる働き仰せ聞かせられ、誅させられ侯。
討ち捕る頸の注文: 香西越後香西越後 ・十河因幡・十河越中・十河左馬允・三木五郎太夫・藤岡五郎兵衛・東村・大和・東村備後。 この他、究竟の侍 170余討ち死。
高屋に立て籠もる 三好笑岩三好康長友閑松井友閑 を以て御侘言。御赦免 侯ひしなり。 塙九郎左衛門原田直政 仰せ付けられ、河内国中 高屋の城はじめとして、ことごとく破却。
大坂一城 落去、幾程もあるべからず。
4月21日、京都に至りて御馬 納められ、天下諸色 仰せ付けらる。
4月27日、御下り。坂本より 明智明智光秀 が舟にて佐和山まで御渡海なさるべきのところ、以ての外 風出で侯て、常楽寺へ御上り侯て、陸を佐和山へ御成り。
4月28日 辰刻(8:00)、岐阜 御帰城。

8-04:
三州 長篠 御合戦の事
5月13日、三州 長篠
(愛知県新城市)
後詰として、信長・同嫡男: 菅九郎織田信忠 、御馬を出だされ、その日、勢田に御陣を懸けられ、当社 八剣宮 廃壌し正体無きを御覧じ、御造営の儀、御大工: 岡部又右衛門岡部又右衛門 に仰せ付けられ侯ひき。
5月14日、岡崎
(愛知県岡崎市)
に至りて御着陣。次日、御逗留。16日、牛窪
(愛知県豊川市)
の城 御泊。当城 御警固として、 丸毛兵庫頭丸毛長照 福田三河守福田三河守 置かれ、17日、野田原
(愛知県新城市)
に野陣を懸けさせられ、18日、押し詰め、志多羅
(愛知県新城市)
の郷、極楽寺山に御陣を居られ、 菅九郎織田信忠 、新御堂山に御陣取。
志多羅の郷は一段 地形くぼき所に侯。敵方へ見えざる様に、段々に御人数 3万ばかり立て置かる。先陣は国衆の事、侯の間、 家康徳川家康 、たつみつ坂の上、高松山に陣を懸け、
瀧川左近滝川一益羽柴藤吉郎羽柴秀吉丹羽五郎左衛門丹羽長秀 両 3人、同:有海原へ打ち上げ、 武田四郎武田勝頼 にうち向い、東向きに備えらる。
家康徳川家康瀧川滝川一益 陣取りの前に、馬防ぎのため柵を付けさせられ、
かの 有海原は、左は鳳来寺山より西へ太山続き、また、右は鳶の巣山より西へうち続きたる深山なり。岸を、乗本川、山に付きて流れ侯。両山 北南のあわい、わずかに 30町(3.3km) には過ぐべからず。鳳来寺山の根より滝沢川 北より南、乗本川へ落ち合い侯。長篠は、南西は川にて平地の所なり。
川を前にあて、 武田四郎武田勝頼 、鳶の巣山に取り上り居陣侯はば 何れともなすべからず侯ひしを、長篠へは攻め衆 7首差し向け、 武田四郎武田勝頼 、滝沢川を越し来、有海原 30町(3.3km) ばかり踏み出し、前に谷を当て、甲斐・信濃・西上野の小幡・駿州衆・遠江衆・三州の内:作手
[つくで]
・ 段嶺
[だみね]
・ 武節
[ぶせち]
衆を相加え、1万 5千ばかり、13所に西向きに打ち向き備え、互いに陣のあわい 20町(2.2km) ばかりに取り合い侯。
「 今度、間近く寄り合い侯事、天の与うる所に侯間、ことごとく討ち果たさるべき 」の旨、信長 御案を回らせられ、
「 御味方一人も破損せず侯様に 」御賢意 加えらる。 坂井左衛門尉酒井忠次 召し寄せられ、
家康徳川家康 御人数の内、弓・鉄砲しかるべき仁を召列れ、 坂井左衛門尉酒井忠次 を大将として、2千ばかり、ならびに、信長の御馬廻 鉄砲 500挺、 金森五郎八金森長近佐藤六左衛門佐藤秀方
青山新七 息・賀藤市左衛門、御検使として相添え、都合 4千ばかりにて、
5月20日 戌刻(20:00)、乗本川をうち越え、南の深山を回り、長篠の上、鳶の巣山へ。
5月21日 辰刻(8:00)、取り上げ旗がしらを押し立て、凱声を上げ、数百挺の鉄砲を、どっと放ち懸け、攻め衆を追っ払い、長篠の城へ入り、城中の者と一手になり、敵陣の小屋小屋 焼き上ぐ。籠城の者、たちまち運を開き、7首の攻め衆、案の外の事にて侯間、廃忘風 来たって、さして廃北致すなり。
信長は、 家康徳川家康 陣所に高松山とて小高き山 御座侯に、取り上げられ、敵の働きを御覧じ、
「 御下知次第 働くべき 」の旨、かねてより仰せ含められ、鉄砲 千挺ばかり、
佐々蔵介佐々成政前田又左衛門前田利家野々村三十郎 ( 野々村正成 )野々村正成福富平左衛門福富秀勝
塙九郎左衛門原田直政 御奉行として、近々と足軽 懸けられ御覧じ侯。前後より攻められ、御敵も人数を出だし侯。
1番、山懸三郎兵衛、推し太鼓を打ちて懸かり来なり侯。鉄砲を以て散々に撃ち立てられ、引き退く。
2番に、 正用軒 ( 武田信廉 )武田信廉 入れ替え、懸かれば退き、退けば引き付け、御下知の如く、鉄砲にて過半人数撃たれ侯へば、その時、引き入るなり。
3番に、西上野小幡 一党、赤武者にて入れ替え懸かり来たる。関東衆、馬上の功者にて、これまた馬入るべき行てにて、推し太鼓を打ちて懸かり来たる。人数を備え侯。身隠しとして、鉄砲にて待ち受け撃たせられ侯へば、過半打ち倒され、無人になりて引き退く。
4番に、 典厩
[てんきゅう]
( 武田信豊 )
武田信豊
一党、黒武者にて懸かり来たる。かくの如く、御敵 入れ替え侯へども、御人数 1首も御出で無し。鉄砲ばかりを相加え、足軽にて会釈。ねり倒され、人数を討たせ、引き入るなり。
5番に、 馬場美濃守 、押し太鼓にて懸かり来なり。人数を備え、右同断に勢衆、撃たれ引き退く。
5月21日、日の出より寅卯(東南東微東) の方へ向けて未刻(14:00) まで、入れ替り入れ替り相戦い、諸卒をうたせ、次第次第に無人なりて、何れも、 武田四郎武田勝頼 旗本へ馳せ集まり、敵い難く存知候。敵、鳳来寺さして、どっと廃軍致す。
その時、前後の勢衆を乱し追わせられ、討ち捕る頸 見知る分:山懸三郎兵衛・西上野小幡・横田備中・川窪備後・真田源太左衛門・土屋宗蔵・甘利藤蔵・杉原日向・名和無理介・仁科・高坂又八郎・興津・岡部・竹雲・恵光寺・根津甚平・土屋備前守・和気善兵衛・馬場美濃守。
中にも、馬場美濃守 手前の働き、比類無し。この他、宗徒の侍・雑兵 1万ばかり討ち死侯。あるいは山へ逃げ上り飢死、あるいは橋より落され川へ入り水に溺れ、際限なく侯。 武田四郎武田勝頼 秘蔵の馬、小口にて乗り損じたる。「一段乗り心地、比類なき駿馬」の由侯て、信長 御厩に立て置かれ、三州の儀、仰せ付けられ、
5月25日、濃州 岐阜 御帰陣。
今度の競
[きお]
いに、 家康徳川家康 駿州へ御乱入、国中焼き払い、御帰陣。
遠州 高天神
(静岡県掛川市)
の城、 武田四郎武田勝頼 、相かかわり候も、落去、幾程もあるべからず。
岩村
(岐阜県恵那市)
の城:秋山・大島・座光寺 大将として、甲斐・信濃の人数立て籠もる。直ちに、 菅九郎織田信忠 、御馬を寄せられ御取巻くの間、これまた落着たるべき事、勿論に侯。
三・遠 両国 仰せ付けられ、 家康徳川家康 、年来の愁眉を開き、御存分に達せらる。
昔も、かように御味方つつがなく、強敵を破損せられしためし、これ無し。武勇の達者、武者の上の果報なり。あたかも、照る日の輝き 朝露を消すが如し。御武徳は、これ車輪なり。御名を後代に揚げんと欲せられ、数ヶ年は山野・海岸を栖として、甲冑を枕とし、弓箭の本意、業として、うち続く御辛労、なかなか申すに足らず。

山懸三郎兵衛: 山県昌景
馬場美濃守:  馬場信春

8-05:
山中の猿 御憐愍の事
さるほどに哀れなる事あり。
美濃国と近江の境に、山中
(岐阜県不破郡)
という所あり。道のほとりに、かたわ者、雨露に打たれ乞食して居たり。京都 御上下に御覧じ、あまりに不便におぼし召し、
「 総別、乞食は住所不定。この者は何も変わらず ここにある事、如何様 子細あるべし?」と、ある時、御不審 立てられ、在所の者に御尋ねあり。
所の者、由来を申し上げ侯。
「 昔、当所、山中の所にて 常盤御前 を殺し奉り侯。その因果に依りて、先祖の者、代々かたわ者と生れて、あの如く乞食仕り候。「山中の猿」とは、この者の事なり 」と、申し上げ候。
6月26日、にわかに御上洛。御取り紛れ半ば、かの者の事をおぼしめし出だされ、木綿 20反 御手づから取り出だし持たさせられ、山中の宿にて御馬を控えさせられ、
「 当町の者ども、男女によらず、何れも罷り出で侯へ。ものを仰せ付けられ侯はん 」と、御諚侯。
『 いかなる事をか仰せ出ださるべき?』と、難儀ながら罷り出で侯ところ、
木綿 20反、乞食の猿に下され侯。所の者ども受け取り、
「 この半分を以て隣家に小屋をさし、飢死せざる様に情を懸けて置き侯へ 」と上意に侯。「 その上、この隣郷の者ども、麦出来侯はば 麦を 1度、秋後には米を 1度、1年に 2度ずつ、毎年 心落ちに少しずつ取らせ侯はば、信長 御祝着なさるべし 」と仰せ出ださる。
かたじけなさの余りに、乞食の猿が事は言うに及ばず、山中町中の男女、袖を絞らぬ者も無し。御伴の上下、皆 落涙なり。
御伴衆、いずれも何れも 御扶持を加えられ、有り難き仕合せ、申すばかり無き様体なり。
かくの如く御慈悲深き故に、諸天の御冥利あって、御家門、長久に御座侯と感じ申すなり。

8-06:
禁中において親王様 御鞠遊ばさるるの事
6月26日、御上洛。その日、佐和山にて少し御休息なされ、早舟に召され、坂本に至りて御渡海。少し風有り。御小姓衆 5,6人召し列れられ、
6月27日、御上着。相国寺 御寄宿。
7月朔日、摂家・清花、その他、
播州の 別所小三郎 ( 別所長治 )別所長治別所孫右衛門 ( 別所重宗 )別所重宗三好笑岩三好康長 ・武田孫犬・ 逸見駿河 ( 逸見昌経 )逸見昌経粟屋越中粟屋勝久 ・熊谷伝左衛門・山縣下野守・内藤筑前・白井・松宮・畑田、在洛。 塩河伯耆 ( 塩河長満 )塩河長満 、この者、御馬 拝領。畿内諸国 面々、御出仕これあり。
7月3日、禁中において 親王 ( 誠仁親王 )誠仁親王 様、御鞠遊ばさる。式掌の儀式、御結構 申すに足らず。御馬廻ばかり召し列れられ、御鞠過し侯て、信長、黒戸の御所御を、き縁まで御祗候。かたじけなくも、天盃、御さいの内にて御拝領。御見物は清涼殿の御庭なり。
御鞠の次第:
御黒戸御所
親王誠仁親王 様、御鞠 御人数の事。
卿 御たてゑぼし、御直衣、色二あい、御さしぬき、後に召させられ候はば、御そば続きなり。色紅、各々御ゑぼしなり。御白洲の上に猫飼を敷かるるなり。
三條大納言 殿
飛鳥井大納言飛鳥井雅教 殿
甘露寺中納言 殿
山科左衛門督 殿
左大弁宰相 殿
左頭中将 殿
烏丸弁 殿
中院 殿
三條侍従 殿
広橋 殿
権右少弁 殿
新蔵人 殿
直衣 色白
かみ 色紫
かみ 色玉虫
かみ 色紫
かみ 色蜥蜴
御かぶり 束帯
かみ 紫色紋紗
かみ 色紫染色
かみ 色紺 地絵あり
かみ 紺地紋紗
かみ 黄色緑青絵
かみ 柳色
御指貫
御葛袴



 





勧修寺大納言殿
庭田新大納言殿
藤宰相殿
源宰相中将殿
三條宰相中将殿
飛鳥井中将殿
竹内右兵衛佐殿
水無瀬殿
日野殿
永孝殿
薄殿
狩衣 色檜皮
狩衣 色萌黄
かみ 色紫
かみ 色紫
かみ 色萌黄
かみ 色玉虫
かみ 萌黄色
かみ 萌黄紋紗
かみ 色紫
かみ 金紗
素襖
御指貫









 
7月3日、「 信長、御官位を進められ侯へ 」の趣、勅諚 御座侯といえども、御斟酌にて御請けこれ無し。
ただし、内々、御心持ち侯ふや、御家老の御衆: 友閑松井友閑 は「宮内卿法印」、
夕庵武井夕庵 は「二位法印」、 明智十兵衛明智光秀 は「維任日向」になされ、
簗田左衛門太郎簗田広正 は「別喜右近」に仰せ付けられ、 丹羽五郎左衛門丹羽長秀 は「惟住」にさせられ、かたじけなきの次第なり。
7月6日、上下京衆、妙顕寺にて能を仕り御目に懸け侯。御桟敷の内、摂家・清花の御衆、ならびに、 夕庵武井夕庵友閑松井友閑 ・ 長安・長雲等ばかりなり。御能 8番あり。
勧世與左衛門・勧世又三郎、大鼓 御所望にて仕り侯。
7月15日、御下。

8-07:
越前御進発、賀・越 両国仰せ付けらるるの事
さるほどに、江州 勢田
(滋賀県大津市)
の橋、 山岡美作守山岡景隆木村次郎左衛門 ( 木村高重 )木村高重 両人に仰せ付けられ、若州 神宮寺山・朽木山中より材木を取り、7月12日 吉日の由に侯て、柱立つ。橋の広さは 4間(7.3m)、長さ 180間(327m) 余。双方に欄干をやり、
「 末代のために侯の間、丈夫に懸け置かるべき 」の旨、仰せ付けられ侯。天下の御ためとは申しながら、往還人・旅人、御憐愍なり。
15日、常楽寺
(滋賀県蒲生郡)
まで御出で、16日、捶井
(岐阜県不破郡)
に御泊。17日、楚根
(岐阜県大垣市)
へ御立ち寄り。 稲葉伊予稲葉一鉄 、かたじけなきの由侯て、孫どもに能をさせ、御目に懸けらる。その時、差させられ侯 御腰物、彦六稲葉貞通 息 ( 稲葉典通 )稲葉典通 に下さる。
7月17日、岐阜 御帰城。
8月12日、勢州へ御進発。その日は捶井に御陣取り。
13日、大谷 羽柴筑前守羽柴秀吉 が所に御泊。この時、惣人衆へ筑前守 所より兵粮を出ださる。
14日、敦賀
(福井県敦賀市)
に御泊。 武藤宗右衛門武藤舜秀 所に御居陣。
御敵、相かかわり侯城々:
虎杖
(福井県南条郡)
の城、丈夫にこしらえ、下間和泉 ( 下間頼俊 ) 大将にて、賀州・越州の一揆ども罷り出で相かかわり侯なり。
木目峠、石田
(福井県鯖江市)
の西光寺 大将として、一揆ども引率し在陣なり。
鉢伏の城、専修寺阿波賀三郎 兄弟、越前衆 相かかわり、
今城 ・
火燧ヶ城
(福井県南条郡)
、両城丈夫にこしらえ、往古の如く、能美川・新道川、ニッの川の落ち合うを関切り、水を湛え(*1)下間筑前守 ( 下間頼照 )下間頼照 大将にて相抱ぬ。
大良越え
(福井県南条郡)
・杉津
(福井県敦賀市)
の城、大塩
(福井県越前市)
円強寺、加賀衆 相加り、在城なり。
海手に新城こしらえ、若林長門・息:甚七郎 父子 大将にて、越前衆 警固に出でらるるなり。
府中
(福井県越前市)
の内、龍門寺こしらえ、三宅権丞、これあり。
かくの如く、塞く取り詰め、足懸り構え、堅固に相抱うべきの旨に侯。
8月15日、以ての外 風雨に侯といえども、先兵ことごとく打ち出でらる。越前浪人衆 先陣として、 前波九郎兵衛 子、 富田彌六富田長繁毛屋猪介毛屋猪介
 佐久間右衛門佐久間信盛柴田修理亮柴田勝家瀧川左近滝川一益羽柴筑前守羽柴秀吉惟任日向守明智光秀
 惟住五郎左衛門丹羽長秀別喜右近簗田広正長岡兵部大輔細川藤孝原田備中原田直政蜂屋兵庫蜂屋頼隆
 荒木摂津守荒木村重稲葉伊予稲葉一鉄稲葉彦六稲葉貞通氏家左京助氏家直昌伊賀伊賀守安藤守就磯野丹波磯野員昌
 阿閉淡路守阿閉貞征阿閉孫五郎阿閉貞大不破河内不破光治不破彦三不破直光武藤宗右衛門武藤舜秀
 神戸三七信孝織田信孝津田七兵衛信澄織田信澄織田上野守織田信包北畠中納言織田信雄 /同:伊勢衆
はじめとして、3万余騎、その手その手を争い、大良越え諸口より御乱入。
 海上を働く人数: 粟屋越中粟屋勝久逸見駿河逸見昌経 ・粟屋彌四郎・内藤筑前・熊谷伝左衛門・
 山縣下野守・白井・松宮・寺井・香川・畑田。
丹後より働くの衆: 一色一色義道 殿 ・矢野・大島・桜井、
数百艘 相催し、旗がしら打ち立て打ち立て、浦々湊々へ上り、所々に煙を挙げられ侯。円強寺・若林長門父子、人数を出だし侯。 惟任日向明智光秀羽柴筑前羽柴秀吉 両人として、屑せず追い崩し、2- 300討ち捕る。両人の居城 乗り込み、焼き払う。
8月15日に、頸を敦賀へ進上侯て、信長へ御目に懸けられ侯。
8月15日 夜に入り、府中 龍門寺:三宅権丞 立て籠り侯。構え忍び入り、乗っ取り、近辺 放火侯。木目峠・鉢伏・今城・火燧城にこれある者ども、後を焼き立てられ、胆を潰し、府中を指して罷り退き侯を、 羽柴筑前守羽柴秀吉惟任日向守明智光秀 両人として、府中の町にて、賀州・越前、西国の一揆 2千余騎 斬り拾てらる。手柄の程、是非に及ばず。
阿波賀三郎・阿波賀與三 兄弟、御赦免の御侘言申し上げ侯といえども、御許容なく、
原田備中原田直政 に仰せ付けられ、生害させられ侯。
16日、信長、敦賀を御立ちなされ、御馬廻、その外 1万余騎 召し列れられ、木目峠 うち越え、府中 龍門寺:三宅権丞 構えまで御陣を寄せらる。ここにて、 福田三河守福田三河守 仰せ付けられ、路地 御警固のため、今城に置かせられ侯。
下間筑後下間頼照 ・下間和泉・専修寺、山林に隠れ居侯を引き出だし、頸を斬り、
これを御宮笥
[おみやげ]
として、 朝倉孫三郎朝倉景健 、頸 持ち来、御赦免の御侘言 申し侯といえども、
御同心なく、向駿河 に仰せ付けられ、生害させられ候。
ここに希異の働きあり。右の様子 見申し、 孫三郎朝倉景健 家来:金子新丞 父子・山内源右衛門と申す者、両 3人追腹仕る。これらの働き見申し候て、向駿河、胆を消し、感じ申され侯。
8月18日、 柴田修理柴田勝家惟住五郎左衛門丹羽長秀津田七兵衛織田信澄 両 3人、鳥羽
(福井県鯖江市)
の城へ取り懸け、攻め破り、5- 600斬り拾てられ侯。
金森五郎八金森長近原彦次郎 ( 原政茂 )原政茂 、濃州口より郡上
(岐阜県郡上市)
表へ相働き、根尾
(岐阜県本巣市)
・徳山より、大野郡へ打ち入り、数ヶ所 小城ども攻め破り、数多斬り拾て、諸口より手を合せ放火侯。これによりて、国中の一揆、既に廃忘致し、取る物も取り敢えず、右往左往に山々へ逃げ上り侯。
「 押し次第、山林を尋ね捜して、男女を隔てず斬り捨つべき 」旨、仰せ出だされ、8月15日より19日まで御着到。しこうして、諸手より搦め取り進上侯分、12,250余と記すの由なり。御小姓衆へ仰せ付けられ、誅させられ侯。その他、国々へ奪い取り来たる男女、その数を知らず。生け捕りと誅させられたる分、合わせて 3- 4万にも及ぶべく侯しか。
8月23日、一乗の谷
(福井県福井市)
へ、信長 御陣 移さる。参陣は、賀州まで
稲葉伊予稲葉一鉄 父子 ・ 惟任日向守明智光秀羽柴筑前守羽柴秀吉永岡兵部大輔細川藤孝別喜右近簗田広正 打ち入るの趣、御注進有り。
8月28日、豊原
(福井県板井市)
へ御陣を寄せらる。
さるほどに、堀江
(福井県あわら市)
・小黒
(福井県鯖江市)
の西光寺、連々申し上ぐる筋目これあり、御赦免の御礼申し上げ候。賀州 能美郡・江沼郡 2郡 御手に属すの間、檜屋城・大正寺山
(石川県加賀市)
、2つこしらえ、 別喜右近簗田広正佐々権左衛門 ( 佐々長秋 )佐々長秋 、ならびに、掘江 相加え入れ置かせられ、10余日の内に賀越両国、仰せ付けらる。御威光、なかなか申すばかり無し。
9月2日、豊原より北庄
(福井県福井市)
へ、信長御越しなされ、城取り御縄張させられ、御要害 仰せ付けらる。北庄 御普請場にて、高島打下
(滋賀県高島市)
林與次左衛門林員清 、生害させられ侯。
子細は、先年、志賀御陣の時、 浅井浅井長政朝倉朝倉義景 引き出だし、早舟にて渋矢
[さびや]
を射懸け申し緩怠の条々、御遺恨に侯ひしか。
越前国、 柴田修理柴田勝家 に 8郡下さる。→ #0-25
大野郡の内 3分の2、 金森五郎八金森長近 に仰せ付けられ、3分の1、 原彦次郎原政茂 に下され、大野郡に在城侯なり。府中に足懸けを構え、 不破彦三不破直光佐々蔵介佐々成政前田又左衛門前田利家 両 3人に 2郡下され、在城なり。
敦賀郡、 武藤宗右衛門武藤舜秀 が在地なり。 惟任日向守明智光秀 、直ちに丹波へ相働くべきの旨に侯。
丹後国、 一色一色義道 殿へ参られ侯。
丹波国 桑田郡・舟井郡、 細川細川藤孝 殿へ進めらる。
荒木摂津守荒木村重 、これも越前より直ちに播州奥郡へ相働き、人質執り固め参るべきの旨、仰せ付けられ侯。
9月14日、信長、豊原より北庄まで御馬 納られ侯。 瀧川左近滝川一益原田備中原田直政
惟住五郎左衛門丹羽長秀 両 3人として、北庄 足羽山に御陣屋 御普請 申し付けられ、御馬廻・御弓衆、歴々 前後固め、結構さ、なかなか興を催すことに侯。賀越両国の諸侍 馳せ集まり、有縁を以て帰参の御礼、門前 市をなす事に侯。
賀州 奥郡の一揆ども、信長 御帰陣の由 承り及び侯か、人数を出だし侯。 羽柴筑前羽柴秀吉
「 天の与うる所の由 」候て、駆け付け、一戦に及び、究竟の者 頸数 250余討ち捕り、これより帰陣。
  掟 条々   越前国
国中へ非分の課役申し懸くべからず。但し、さし当たる子細ありて申し付くべきにおいては、我々へ相尋ぬべし。それに随い申し出ずべき事。
国に立て置き侯 諸侍を、雅意
[ずい]
に扱うべからず、いかにも、ねんごろにして、しかるべく侯。さ候とて、帯紐を解き侯様にはあるまじく侯。要害、かれこれ気遣い、肝要に侯。領知方 厳重に相渡すべき事。
公事篇の儀、順路憲法たるべし。努々、贔屓偏頗を存ぜず、裁許すべし。もしまた、双方 存分休まざるにおいては、雑掌を以て我々に相尋ね、落着すべく侯事。
京家領の儀、乱以前、当知行においては、還附すべし。朱印次第たるべき事。但し、理これあり。
分国いずれも諸関停止の上は、当国も同前たるべき事。
大国を預け置くの条、万端につきて気遣い油断あっては、曲事に侯。第一、武篇 肝要に侯。武具兵粮嗜み侯て、5年も 10年も慥かにかかずらうべき分別、勿論に侯。所詮、欲を去り、執るべき物を申し付け、所務侯様に覚悟なすべく候。
子供寵愛せしめて、猿楽・遊興・見物など停止すべき事。
鷹を使うべからず。但し、足場とも見るべきためには、しかるべく候。さも候はずば、無用に侯。子供の儀は子細あるべからず候事。
領中の員数に寄るべく侯といえども、2,3ヶ所も給人付けず、これは、忠節の輩、それぞれに随って、扶助すべき地侯由申し、かかわりおくべく侯。武篇に励み侯へども、恩賞すべき所領これ無しと、諸人見及び候はば、げには勇も忠義も浅かるべきの条、その分別、もっともに候。給人付けず侯間は、蔵納なすべき事。
事新しき子細に侯といえども、何事においても、信長申す次第に覚悟肝要に侯。さ侯とて、無理非法の儀を心に思いながら、巧言申し出づるべからず侯。その段も、何とぞ、かまいこれあらば、理りに及ぶべく、聞き届け、それに随うべく侯。
とにもかくにも、我々を崇敬して、影後ろにても、あだに思うべからず。我々ある方へは足をもさ指さざるように、心持ち肝要に侯。その分に侯へば、侍の冥加ありて、長久たるべく侯。分別専用に侯事。
   天正 3年 9月 日
越前国の儀、多分、 柴田柴田勝家 覚悟せしめ侯。両 3人をば、 柴田柴田勝家 目付として、両郡申し付け置くの条、善悪をば、 柴田柴田勝家 方より告げ越すべく侯。互いに磨き合わせ侯様に、分別専一侯。用捨においては、曲事たるべき者なり。
   天正 3年 9月 日
不破河内守不破光治 殿、 佐々内蔵助佐々成政 殿、 前田又左衛門前田利家 殿
かくの如く仰せ付けられ、 9月23日、北庄より府中まで御出で、24日、椿坂
(滋賀県長浜市)
、御泊。25日、捶井に御陣宿。
9月26日、岐阜 御帰城。

*1 参考「平家物語」火打合戦
この掟にて、信長を崇めよ的な指示が明記されている。

8-08:
大坂 三軸進上の事
10月3日、奥州へ取りに遣わされ侯 御鷹、50足 上せ侯内、23足 召し上げられ、その他は各々召し置かる。
10月10日、御上洛。今度の上鷹 14足、鷂
[はいた]
3足 座させ 御上京。その日、捶井に御泊。次日、柏原
(滋賀県米原市)
まで、三條殿・水無瀬殿、御迎えとして御下り、佐和山
(滋賀県彦根市)
に御泊。
12日、永原
(滋賀県野洲市)
御寄宿。勢田の橋 出来申すにつきて、御一見なさるべきため、陸を御上京。事も、おびただしき橋の次第なり。各々、耳目を驚かされ侯。然して、摂家・清花・隣国の面々等、勢田・逢坂・山科・粟田口辺に御迎え衆 満々て、崇敬 斜ならず。二条 妙光寺に至りて御上着。
10月19日、奥州 伊達 ( 伊達輝宗 )伊達輝宗 方より名馬、がんぜき黒・白石鹿毛 御馬 2、並びに鶴取りの御鷹 2足 進上。とりわけ、鹿毛御馬、奥州にても隠れなき乗り心、比類なき駿馬にて、御意に合い、秘蔵 斜ならず。これは、龍の子の由に侯なり。
 御鷹居:菅小太郎, 御馬添え:樋口
信長、その日、清水へ御成り、 村井長門村井貞勝 に仰せ付けられ、右の御使衆、清水にて御振舞、これあり。
  御返書注文
虎皮 5枚、豹皮 5枚、段子 10巻、志々羅 20端  以上。
2人の使者に黄金 2枚下され、御礼申し、罷り下るなり。
10月20日、播州の赤松・小寺・ 別所別所長治 、その他、国衆 参洛侯て、御礼これあり。
10月21日、 大坂門跡顕如 の儀、 三好笑岩三好康長友閑松井友閑 両人 御使申し、御赦免なり。
「小玉檻」
(*2)
「枯木」
(*3)
「花の絵」
(*4)
、3軸進上侯て、年寄ども罷り参り、
平井 ( 平井越後 )平井越後八木 ( 矢木駿河 )矢木駿河 守 ・今井、御礼これあり。
天下に隠れなき「三日月の葉茶壺」
(*5)
三好笑岩三好康長 進上にて侯ひしなり。

*2
:「小玉檻」 玉澗 作の小幅の掛絵
*3
:「枯木」  玉澗 作の梅の掛絵
*4
:「花の絵」 趙昌 作
*5
:「三日月の葉茶壺」 ルソンの壺。本能寺の変にて焼失

8-09:
御茶の湯の事
10月23日、 飛騨の国司: 姉小路中納言卿姉小路自綱 御上洛侯て、御礼これあり。栗毛の御馬 御進上。一段に侯 駿馬にて、御秘蔵 斜ならず。
10月28日、京・堺の数寄仕り候者 17人召し寄せられ、妙光寺にて御茶下され侯。
御座敷の飾:
一 御床に「晩鐘」、「三日月の御壺」
一 違い棚に置物。七つ台に「白天目」。内赤の盆に「つくもがみ」
一 下には合子しめきり置かれ、「おとごせの御釜」
一 「松島の御壺」の御茶
一 茶道は 宗易 。
各々生前の思い出、かたじけなき題目なり 以上。

8-10:
信長 御昇殿の事
さるほどに、大将 御拝賀の政 執行せらるべきのため、10月初めより、 木村次郎左衛門木村高重 御奉行として、禁中に陣座 御建立。即時に出来し訖んぬ。
天正 3年 乙亥 11月 4日
信長 御昇殿ありて、「大納言」の御位に任ぜられ、
同 7日、御拝賀の御礼。御名代として 三條大納言 殿をもって仰せ上げられ、その時の御警固として、御弓の衆 100人供奉侯のところ、
かたじけなくも、 天子( 正親町天皇 )正親町天皇 より御かわらけ出だされ、頂戴。
上古末代の面目、御威光これに過ぐべからず。この節、信長、「右大将」に重ねて御官位を進められ、砂金・巻物、その数を尽し 閲覧に備えられ、諸公家衆 御支配侯て、知行を参らせられ、御名誉の次第なり。

8-11:
武田四郎 岩村にて勝利を失うの事
さるほどに、 【 武田四郎武田勝頼 、岩村
(岐阜県恵那市)
へ後巻として、甲斐・信濃の土民百姓等まで狩り催し罷り出で、既に打ち向う 】の由、注進侯の間、
11月14日 戌刻(20:00)、京都を御立ちなされ、夜を日に継ぎ、15日に岐阜に至りて御下。

8-12:
菅九郎殿 岩村 御存分に仰せ付けらるるの事
去んぬる 10日の夜、岩村
(岐阜県恵那市)
の攻め衆の陣取る水精山へ、敵方より夜討ちを入れ候。すなわち、 河尻與兵衛河尻秀隆毛利河内毛利長秀 ・浅野左近・猿荻甚太郎、ここかしこを支え、水精山を追い払い、岩村の城に立て籠り、柵を引き破り、夜討の者と一手になり候はんと仕り候を、信長御息: 織田菅九郎織田信忠 、御先懸けなされ、城へ追い入りさせられ、今度の御働き、御高名 申すばかり無し。
夜党の者、山々へ逃散し侯を尋ね出だし、甲斐・信濃の大将 21人、究竟の侍 1,100余斬り捨て、岩村籠城の者、筋力を投げうち、「 一命 お助けなされ侯の様に 」と、
塚本小大膳塚本小大膳 を以て御侘申し候。ここにて、 塚本小大膳塚本小大膳 目付に 塙伝三郎塙伝三郎 仰せ付けらる。
8月 11月 21日、秋山・大島・座光寺、御赦免の御礼 申し上げ侯を召し捕り、濃州 岐阜へ召し寄せられ、右 3人、長良の河原に磔に懸け置かれ、その他、諸卒、遠山市丞丸へ追い攻めさせられ侯。時刻移さず斬って出で、遠山二郎三郎・遠山市丞・遠山三郎四郎・遠山徳林・遠山三右衛門・遠山田脇・遠山藤蔵、斬って出で、散々に斬り崩し、余多に手を負わせ、終に生害侯。残党ことごとく焼き殺しになされ侯。
武田四郎武田勝頼 、この由承り侯て、本国へ曲なく馬を入れ侯。 菅九郎織田信忠 、御存分に仰せ付けられ、岩村の城、 河尻與兵衛河尻秀隆 入れ置かれ、霜月24日、岐阜に至りて御帰陣。

8-13:
菅九郎殿 御位の事
今般、 菅九郎織田信忠 、比類なき御働きにつきて、かけまくも、かたじけなく 天帝正親町天皇 より御院宣を蒙り、「秋田城介」に任ぜられ、御冥加の至りなり。

8-14:
御家督 御譲りの事
11月28日、信長、御家督、 秋田城介織田信忠 へ渡し進めらる。
誠に、信長 30年 御粉骨おかれ、御屋形の造り 金銀を鏤め、星切りの御太刀 - これは、曽我五郎 所持の太刀なり - その他、集め置かせられたる御道具、三国の重宝、数を尽し、尾州・濃州共に御与奪なされ、
信長、御茶の湯道具ばかり召し置かれ、 佐久間右衛門佐久間信盛 私宅へ御座を移され、
御父子共 御果報、大慶、珍重々々。



この巻の登場人物と他巻リンク

織田信長 [41歳]

明智光秀 [47] あけち みつひで

 織田の家臣。惟任日向守
 8-03: 河内国新堀城攻め干され...
 8-06: 禁中において親王様 御鞠...
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 9-03: 原田備中、御津寺へ砦 討...
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-03: 御名物召し置かるるの事
 10-08: 片岡の城 攻め干さる事
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 11-01: 御茶の湯の事
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...
 12-01: 摂津国 御陣の事
 12-05: 丹波国 波多野兄弟 張...
 12-06: 赤井悪右衛門 退参の事
 12-12: 謀書の事
 12-13: 伊丹城 謀叛の事
 12-18: 伊丹城 相果たし、御成...
 13-08: 因幡・伯耆両国に至り...
 13-11: 佐久間・林佐渡・丹羽...
 14-01: 御爆竹の事
 14-02: 御馬揃えの事
 14-07: 8月朔日 御馬揃えの事
 15-05: 木曾義政 忠節の事
 15-14: 人数備えの事
 15-25: 家康公・穴山梅雪 御上...
 15-26: 羽柴筑前守秀吉、備中...
 15-29: 明智日向 西国出陣の事
 15-31: 明智日向守 逆心の事
 15-32: 信長公 本能寺にて御腹...
 15-33: 中将信忠卿、二条にて...
 15-34: 江州安土城御留守居衆...
 2-01: 六条合戦の事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-10: 志賀御陣の事
 4-05: 叡山御退治の事
 5-01: 武者小路 御普請の事
 5-03: 奇妙様 御具足初めに 虎後...
 6-02: 公方様御謀叛 付17ヶ条
 6-03: 石山・今堅田 攻められ候...
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-08: 真木島にて御降参 公方様...
 6-09: 大船にて高島へ御働き、木...
 6-11: 阿閉 謀叛の事

浅井長政 [没] あざい ながまさ

朝倉景健 [39] あさくら かげたけ

 越前の武将。朝倉孫三郎
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 3-08: 姉川合戦の事

朝倉義景 [没] あさくら よしかげ

飛鳥井雅教 [55] あすかい まさのり

阿閉貞大 [--] あつじ さだひろ

阿閉貞征 [47] あつじ さだゆき

姉小路自綱 [35] あねこうじ よりつな

 飛騨の大名。姉小路中納言
 8-09: 御茶の湯の事
 3-03: 観世大夫・今春大夫 立合...

荒木村重 [40] あらき むらしげ

安藤守就 [72] あんどう もりなり

磯野員昌 [52] いその かずまさ

一色義道 [--] いっしき よしみち

稲葉一鉄 [60] いなば いってつ

稲葉貞通 [29] いなば さだみち

稲葉典通 [9] いなば のりみち

氏家直昌 [--] うじいえ なおまさ

正親町天皇 [58] おおぎまち てんのう

岡部又右衛門 [--] おかべ またえもん

織田信雄 [17] おだ のぶかつ

織田信包 [32] おだ のぶかね

織田信澄 [17] おだ のぶすみ

織田信孝 [17] おだ のぶたか

織田信忠 [20] おだ のぶただ

 信長の嫡男。勘九郎
 8-03: 河内国新堀城攻め干され...
 8-04: 三州 長篠 御合戦の事
 8-12: 菅九郎殿 岩村 御存分に仰...
 8-13: 菅九郎殿 御位の事
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 10-01: 雑賀御陣の事
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 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 10-10: 中将信忠御位の事
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 11-01: 御茶の湯の事
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 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
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 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...
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 12-05: 丹波国 波多野兄弟 張...
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 13-09: 大坂退散の事
 14-01: 御爆竹の事
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 15-33: 中将信忠卿、二条にて...
 15-34: 江州安土城御留守居衆...
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 6-11: 阿閉 謀叛の事
 7-09: 河内長島一篇に仰せ付けら...

金森長近 [51] かなもり ながちか

烏丸光康 [62] からすま みつやす

河尻秀隆 [48] かわじり ひでたか

木村高重 [--] きむら たかしげ

粟屋勝久 [--] くりや かつひさ

香西越後 [--] こうさい えちご

毛屋猪介 [没] けや いのすけ

顕如   [35]  けんにょ

酒井忠次 [48] さかい ただつぐ

佐久間信盛 [47] さくま のぶもり

 織田の家臣。佐久間右衛門
 8-03: 河内国新堀城攻め干され...
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 8-14: 御家督 御譲りの事
 9-04: 御後巻 再三 御合戦の事
 9-05: 西国より大船を催し 木津...
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-02: 内裡 御築地の事
 10-03: 御名物召し置かるるの事
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-11: 大船 堺津にて御見物の事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...
 13-01: 播州 三木落居の事
 13-03: 大坂退散 御請け誓紙の事
 13-09: 大坂退散の事
 13-11: 佐久間・林佐渡・丹羽...
 15-02: 御爆竹の事
 0-09: 備後守 病死の事
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 4-04: 志むら攻め干さるるの事
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 5-03: 奇妙様 御具足初めに 虎後...
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 7-09: 河内長島一篇に仰せ付けら...

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佐々成政 [39] さっさ なりまさ

佐藤秀方 [--] さとう ひでかた

誠仁親王 [23] さねひと しんのう

塩河長満 [37] しおかわ ながみつ

柴田勝家 [53] しばた かついえ

 織田の家臣。柴田修理亮
 8-03: 河内国新堀城攻め干され...
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 10-06: 柴田 北国 相働くの事
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 12-06: 赤井悪右衛門 退参の事
 12-16: 親王様 二条御新造へ行...
 13-04: 能登・加賀両国、柴田...
 13-05: 阿賀の寺内 申し付くる...
 13-11: 佐久間・林佐渡・丹羽...
 13-12: 賀州一揆 歴々 生害の事
 14-01: 御爆竹の事
 14-02: 御馬揃えの事
 14-06: 因幡国 鳥取城 取り詰...
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 0-18: 勘十郎殿 林 柴田 御敵の事
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 3-10: 志賀御陣の事
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 7-09: 河内長島一篇に仰せ付けら...

下間頼照 [59] しもつま よりてる

滝川一益 [50] たきがわ かずます

武井夕庵 [--] たけい せきあん

武田勝頼 [29] たけだ かつより

武田信廉 [43] たけだ のぶかど

武田信豊 [26] たけだ のぶとよ

伊達輝宗 [31] だて てるむね

塚本小大膳 [--] つかもと こだいぜん

徳川家康 [32] とくがわ いえやす

富田長繁 [没] とだ ながしげ

簗田広正 [--] やなだ ひろまさ

丹羽長秀 [40] にわ ながひで

 織田の家臣。丹羽五郎左衛門
 8-01: 御分国 道作り 仰せ付けら...
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 8-04: 三州 長篠 御合戦の事
 8-06: 禁中において親王様 御鞠...
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 9-01: 安土 御普請の事
 9-04: 御後巻 再三 御合戦の事
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-03: 御名物召し置かるるの事
 10-06: 柴田 北国 相働くの事
 10-07: 松永謀叛 並びに 人質...
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 10-13: 三州吉良へ御鷹野の事
 10-14: 中将信忠へ御名物11種...
 11-01: 御茶の湯の事
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-14: 安部二右衛門 御忠節の事
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...
 12-01: 摂津国 御陣の事
 12-03: 二条殿・烏丸殿・菊庭...
 12-05: 丹波国 波多野兄弟 張...
 12-09: 宇治橋 取り懸けの事
 12-10: 北畠中将殿 御折檻状の事
 12-18: 伊丹城 相果たし、御成...
 13-01: 播州 三木落居の事
 13-05: 阿賀の寺内 申し付くる...
 14-02: 御馬揃えの事
 14-03: 高天神 干殺し 歴々 討...
 14-04: 和泉 巻尾寺 破滅の事
 14-06: 因幡国 鳥取城 取り詰...
 14-09: 能登・越中 城々破却の事
 14-10: 伊賀国、三介殿に仰せ...
 14-11: 伊賀国へ 信長 御発向...
 15-14: 人数備えの事
 15-19: 御国割りの事
 15-23: 信長公 甲州より御帰陣...
 15-25: 家康公・穴山梅雪 御上...
 15-28: 家康公・穴山梅雪、奈...
 0-05: 景清 あざ丸刀の事
 0-40: 加治田之城 御味方に参る事
 0-41: 犬山両おとな 御忠節の事
 0-42: 濃州 伊木山へ御上りの事
 0-43: 堂洞砦 攻めらるの事
 1-04: 信長御入洛十余日の内に...
 2-05: 名物 召され置きの事
 2-06: 阿坂の城 退散の事
 3-02: 名物 召し置かるるの事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-07: たけくらべ・かりやす砦の事
 3-08: 姉川合戦の事
 3-10: 志賀御陣の事
 4-01: 佐和山城 渡し進上の事
 4-04: 志むら攻め干さるるの事
 4-06: 御修理造り畢るの事
 5-01: 武者小路 御普請の事
 5-03: 奇妙様 御具足初めに...
 6-03: 石山・今堅田 攻められ候...
 6-05: 百済寺伽藍 御放火の事
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 7-02: 前波生害、越前一揆蜂起の事
 7-04: 蘭著待 切り取らるるの事
 7-09: 河内長島一篇に仰せ付けら...

野々村正成 [39] ののむら まさなり

羽柴秀吉 [38] はしば ひでよし

 織田の家臣。羽柴筑前守
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 9-01: 安土 御普請の事
 9-04: 御後巻 再三 御合戦の事
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-03: 御名物召し置かるるの事
 10-06: 柴田 北国 相働くの事
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 10-10: 中将信忠御位の事
 10-12: 但馬・播磨、羽柴に申...
 10-13: 三州吉良へ御鷹野の事
 11-01: 御茶の湯の事
 11-04: 磯野丹波・磯貝新左衛...
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-07: 洪水の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...
 12-03: 二条殿・烏丸殿・菊庭...
 12-05: 丹波国 波多野兄弟 張...
 12-07: 荒木 伊丹城・妻子捨て...
 12-14: 氏政 甲州表へ働きの事
 13-01: 播州 三木落居の事
 13-05: 阿賀の寺内 申し付くる...
 13-08: 因幡・伯耆両国に至り...
 13-11: 佐久間・林佐渡・丹羽...
 14-03: 高天神 干殺し 歴々 討...
 14-06: 因幡国 鳥取城 取り詰...
 14-07: 8月朔日 御馬揃えの事
 14-12: 因幡国 鳥取 果て口の事
 14-13: 伯耆国 南条表 発向の事
 14-14: 淡路島 申し付けらるる...
 14-15: 悪党 御成敗の事
 15-02: 御爆竹の事
 15-05: 木曾義政 忠節の事
 15-13: 中国表 羽柴筑前 働き...
 15-26: 羽柴筑前守秀吉、備中...
 1-04: 信長御入洛十余日の内に...
 2-06: 阿坂の城 退散の事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-07: たけくらべ・かりやす砦の事
 3-08: 姉川合戦の事
 3-10: 志賀御陣の事
 4-02: 箕蒲合戦の事
 5-03: 奇妙様 御具足初めに 虎後...
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-08: 真木島にて御降参 公方様...
 6-10: 岩成 討ち果たされ候事
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 7-02: 前波生害、越前一揆蜂起の事
 7-10: 樋口夫婦 御生害の事

蜂屋頼隆 [41] はちや よりたか

林員清  [--]  はやし かずきよ

原政茂  [--] はら まさしげ

原田直政 [--] はらだ なおまさ

塙伝三郎 [--] ばん でんざぶろう

平井越後 [--] ひらい えちご

福富秀勝 [--] ふくずみ ひでかつ

福田三河守 [--] ふくだ みかわのかみ

不破直光 [--] ふわ なおみつ

不破光治 [--] ふわ みつはる

別所重宗 [46] べっしょ しげむね

別所長治 [17] べっしょ ながはる

逸見昌経 [53] へみ まさつね

細川藤孝 [41] ほそかわ ふじたか

前田利家 [37] まえだ としいえ

松井友閑 [--] まつい ゆうかん

丸毛長照 [--] まるも ながてる

三好康長 [--] みよし やすなが

武藤舜秀 [--] むとう きよひで

村井貞勝 [55] むらい さだかつ

毛利長秀 [34] もうり ながひで

矢木駿河 [--] やぎ するが

山岡景隆 [49] やまおか かげたか