平安時代から修験者らの霊場であり,室町時代には大伽藍を有する大寺であったが,明治以降衰退してしまい,現在はこじんまりとした寺院となっている。標高1,000m ある八溝山の 8合目にあり,途中の道は対向車とギリギリすれ違いそうな狭い箇所も多い。中世時代,その登山が困難なことから麓まで来ただけでは「八溝知らずの 偽坂東」と言われていたというが,常陸国の山奥に行けない事自体の意味でもあるだろう。
こういう人里離れた山奥の観音寺を訪れていると「
応以 天 龍 夜叉 乾闥婆 阿修羅 迦楼羅 緊那羅 摩候羅迦 人非人等身 得度者 即皆現 之 而為説法
」と,人では非ざる者たちも集まっている姿が思い浮かぶ。