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まず、混沌とした神の系列があって、その中で、兄弟夫婦神である「伊邪那岐命」(いざなきの みこと)と「伊邪那美命」(いざなみの みこと)によって日本の国土が造られた。 そして「伊邪那美命」は次々と子の神たちを産んでいくが、火の子を産む際に大火傷を負い、その傷がもとで死んでしまう。 ※ 木村武山 『 伊邪那岐・伊邪那美命 』 1904-6 (M37-39)頃 笠間稲荷美術館 ※ 冨田溪仙 『 伊弉諾尊・伊弉冉尊 』 不明 福岡市美術館 |
「伊邪那美命」が忘れられない「伊邪那岐命」は、彼女を生き返らせようと黄泉の国へ行くのだが、時遅く「伊邪那美命」は既に死の世界のものを食べてしまったため、もはや生き返られなくなっていた。しかも、姿はゾンビと化していたのである。「伊邪那岐命」は 1,500 のゾンビたちに追われて出口である黄泉比良坂(よもつひらさか)を登って必死に逃げる。
※ 青木繁 『 黄泉比良坂 』 1903 (M36) 東京藝術大学大学美術館 逃げ切れたものの「伊邪那美命」を救えずに頭を抱えて帰る「伊邪那岐命」 |
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黄泉の国から戻った「伊邪那岐命」の体から生まれたのが、「天照大御神」(あまてらす おほみかみ)と「月讀命」(つくよみの みこと)と「建速須佐之男命」(たけはや すさのをの みこと)である。
「天照大御神」は太陽神として“高天の原”(たかま の はら)で昼の世界を治めることになる。 |
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さて、上記事件を起こした犯人の「須佐之男命」は罪を問われ、高天の原から追放される。地上に降りた彼は、出雲の国で、その地の娘「櫛名田比賣」(くしなだ ひめ)に求婚する。その際に “八俣大蛇”(やまたの をろち)を退治するのだが、その斬り倒した体の中から太刀が出てくる。これが “草薙の剣”(くさなぎのけん)であり、「須佐之男命」が「天照大御神」に献上し、これも後に三種の神器の一つとなる。
こうして「須佐之男命」は「櫛名田比賣」を妻とし、性格もまともな大人になって宮を造って住まう。 しかし、その後、やはり、会ったことの無い母が、どーしても恋しくて、黄泉に近い “根の堅州國”(ねの かたすくに)へ行ってしまうのだった。 ※ 菱田春草 『 稲田姫(奇縁)』 1899 (M32) 水野美術館 ※ 小杉未醒(放菴) 『 古事記八題 』八岐大蛇 1941 (S16) 出光美術館 ※ 川村清雄 『 素戔鳴尊図屏風 』 不明 細見美術館 |
「須佐之男命」の 6代後の孫が「大穴牟遅神」(おほなむぢの かみ)、後の「大國主神」である。たくさんいる異母兄弟の末っ子であった「大穴牟遅神」は、可哀相に、いじめられっ子であり、いつも兄たち=「八十神」(やそがみ)に苛められていた。
ある日、因幡の地に「八上比賣」(やがみ ひめ)という美人がいることを知った「八十神」たちは、求婚の旅に出る。その道すがら、「大穴牟遅神」は、鰐鮫をからかったことで皮をはがされ、瀕死の状態にあった白うさぎを救う。 さて、因幡に着いた「八十神」たちは、それぞれ「八上比賣」に求婚するが、全員ふられてしまう。彼女は「大穴牟遅神」が良いと言うのである。これには「八十神」たちは激怒。恋の恨みは怖い。帰りの道すがら「この山に赤い猪がいる。オレ達が追い落とすから麓で捕まえろ」と言って、大きな岩を真っ赤に焼いて転げ落とした。純な末っ子である「大穴牟遅神」は、それを受け止め、焼け死んでしまった。 |
![]() | この事を知った彼の母神が、助けてほしいと、高天の原の「神産巣日之命」(かみむすひの みこと)にすがると、「𧏛貝比賣」(きさがひ ひめ)と「蛤貝比賣」(うむぎ ひめ)が遣わされた。貝殻を削って粉にし、それを蛤のエキスで溶いて「大穴牟遅神」の体に塗ると、彼は生き返ったのである。 |
「大穴牟遅神」は、その後も「八十神」たちに殺されそうになったため、「須佐之男命」が支配する根の堅州國へと逃げ込んだ。そこで「須佐之男命」の娘である「須勢理毘賣」(すせり びめ)と出逢い、出逢った瞬間、二人は恋におちてしまう。しかし、父の「須佐之男命」は娘を渡すことには、すんなりとは OKを出してくれない。いくつもの死にそうになる試練を課せられて、それぞれクリアはしていくものの、さすがに『 こりゃたまらん。逃げ出すしかない 』 と意を決した「大穴牟遅神」は、「須佐之男命」が眠っている隙に、太刀と弓矢と琴を失敬した上で、「須勢理毘賣」を背負って駆け落ちに成功するのである。
こうして「大穴牟遅神」は、その太刀と弓矢をもって「八十神」たちを全て倒し、「大國主神」(おおくにぬしの かみ)と名乗り、葦原中國の出雲地方を統率し、さらに国造りを進めていった。葦ばかり茂っていた土地も、稲穂の垂れる国土へとなっていった。
※ 中村岳陵 『 肇国創業絵巻 』 豊葦原瑞穂国 1939 (S14) 宮内庁 三の丸尚蔵館 |
ところで、「天照大御神」は「大國主神」によって国造りが進んでいることを喜びはしたものの、どうも、しっくり来ない。『 もともと伊邪那岐命・伊邪那美命が造った国なのだから、その子が治めるべきよ。だいたい「須佐之男命」の子孫だと、今後、何をしでかすか判らないわ。やっぱり、私の子が治めるべきよね。そうよ、そうよね、そう決めたわ 』 とか考えたらしい。 という訳で、息子を遣わそうとするのだが、葦原中國の国つ神々側も、渡すまいぞと徹底抗戦の構え。高天の原から、様々な知恵の神などが何度も何度も送り込まれるものの、「大國主神」によって、いいように丸め込まれてしまう。 しかし、ついに超怪力で変幻自在の「建御雷神」(たけみかづちの かみ)が遣わされる。「大國主神」の怪力の子「建御名方神」(たけみなかたの かみ)が対抗しようとするも、「建御名方神」が「建御雷神」を掴むと、「建御雷神」は氷に変化し、剣に変化したりした。ひゃー! すごいトランスフォーマー! ※ 小杉未醒(放菴) 『 古事記八題 』 1941 (S16) 出光美術館
「建御雷神」と「建御名方神」との力くらべ
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こうした争いの末、「天照大御神」の孫=「天津日高日子番能邇邇藝命」(あまつ ひこひこ ほの ににぎの みこと)が葦原中國へ遣わされることとなる。天孫降臨 である。この際、神の証として渡されたのが、三種の神器の、"八咫鏡" と "八尺瓊勾玉" と "草薙の剣"。
日向・高千穂の地に降りようとしたところ、“天の八衢”(あめの やちまた)という場所に、怖い形相の神が立っている。誰か? と確認するに、それは「猿田毘古神」(さるだ びこの かみ)という國つ神であり、道中案内をかって出ていたものであった。
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安田靫彦 『 肇国創業絵巻 』 瓊々杵尊降臨 1939 (S14) 宮内庁 三の丸尚蔵館 ※ 安田靫彦 『 天之八衢 』 1939 (S14) 福井県立美術館 ※ 小杉未醒(放菴) 『 古事記八題 』 猿田彦 1941 (S16) 出光美術館 |
「木花の佐久夜毘賣」が火の中で産んだのが、順に、「火照命」(ほでりの みこと)・「火須勢理命」(ほすせりの みこと)・「火遠理命」(ほをりの みこと)。
兄の「火照命」が “海幸彦”(うみさちひこ)、弟の「火遠理命」が “山幸彦”(やまさちひこ)である。 “山幸彦” は、兄の “海幸彦” に、ねだってねだって、やっと釣り竿を借りて海に釣りにいくのだが、釣り針を魚に取られてしまう。素直に謝るのだが、『 その針そのものを返せ!』 と、イケズな兄は許してくれない。 ![]() |
「火遠理命」と「豊玉毘賣」(実はサメの化身であった!)の間に生まれたのが、「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」(あまつ ひこひこ なぎさ たけ うがやふき あへずの みこと)。え~と、その長い長い名前の命は、母である「豊玉毘賣」の妹の「玉依毘賣」(たまより びめ)を妻とし(つまり叔母)、その子たちに「五瀬命」(いつせの みこと)や「神倭伊波禮毘古命」(かむやまと いはれびこの みこと)らが産まれる。この後者が、後の初代天皇「神武天皇」(じんむ てんのう)である。
ある日、「神倭伊波禮毘古命」は、兄の「五瀬命」と共に、もっと広く国を治めようと、日向の地を出て東進を始める。
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岩田正巳 『 肇国創業絵巻 』 神武天皇日向御進発 1939 (S14) 宮内庁 三の丸尚蔵館
※ 安田靫彦 『 神武天皇日向御進発 』 1942 (S17) 歌舞伎座 |
![]() | 「五瀬命」は遠征途中に戦死してしまうのだが、「神倭伊波禮毘古命」は、「天照大御神」から支援に送られた太刀と “八咫烏”(やたがらす)の先導も受けて、吉野の山も越えて大和の地を平定していく。 |
こうして、紀元前 660年 2月11日、神武天皇は橿原宮にて御即位となる。この日が、今日の「建国記念日」。 ※ 前田青邨 『 肇国創業絵巻 』 熊野御難航 1939 (S14) 宮内庁 三の丸尚蔵館 ※ 吉村忠夫 『 肇国創業絵巻 』 布都御魂の剣 1939 (S14) 宮内庁 三の丸尚蔵館 ※ 服部有恒 『 肇国創業絵巻 』 金鵄の祥瑞 1939 (S14) 宮内庁 三の丸尚蔵館 ※ 中村岳陵 『 肇国創業絵巻 』 饒速日命帰順 1939 (S14) 宮内庁 三の丸尚蔵館 ※ 吉村忠夫 『 肇国創業絵巻 』 橿原宮御即位 1939 (S14) 宮内庁 三の丸尚蔵館
『 肇国創業絵巻 』(ちょうこく そうぎょう えまき) は 1940 (S15)に神武天皇即位 2600年を記念して開催された「紀元二千六百年奉祝美術展覧会」に出品された、2巻・11図からなる日本創世神話を描いたもの
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時代は下って、、、第12代「景行天皇」(けいこう てんのう)の三男が「小碓命」(をうすの みこと)、後の「倭建命」である。「小碓命」は父に忠誠心が高いものの、荒ぶる性格であった。 景行天皇が、とある 2人の姫を宮に上がらせようと、次男の「大碓命」(おほうすの みこと)を使いに出したところ、こともあろうに「大碓命」は 2人を横取りして自分の妻にしてしまう。不審に思った景行天皇が「小碓命」に確認に行かせると、事情を知る「小碓命」は、父に対して不敬だと、有無も言わさず「大碓命」の手足をひきもがいて殺してしまった。さすがに、その異常な性格を憂えた天皇は「小碓命」に西国の平定を命じる。 西国の荒神を倒した「小碓命」は「倭建命」(やまと たけるの みこと)と名を変え、大和に帰るが、天皇からは、さらに東国の平定を命ぜられる。『 父は認めてくれないのか 』 と嘆きつつも東国を平定していく。 |
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東国で、沼に荒神が居るので退治してほしいと頼まれ、草海原を進んで行くに、背後から野火が追ってくることに気づき、自分が謀られたことを知る。とっさに手にした "草薙の剣" で周りの草を切り倒し、逆に向かい火により食い止めることで助かる。
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堂本印象 『 火退 』(ほそけ) 1938 (S13) 宮内庁 三の丸尚蔵館
まだ幼顔も残る「倭建命」。火に取り囲まれて狼狽えるも、逆境を跳ね返そうする場面。
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さらに東へと進め海道を行く時に、波が非常に荒く、船を進めることができなくなった。そのとき、妻(の一人)である「弟橘比賣命」(おと たちばな ひめの みこと)が、『 私が代わりに人柱となって海が静まるようにしましょう 』 といって入水する。それによって、やっと荒波がおさまった。
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青木繁 『 大和武尊 』 1906 (M39) 東京国立博物館
妻を失い、傷心の「倭建命」
この後も東国を平定していくのだが、大和への帰還途中に急死してしまう。 死の少し前の一首。 倭は 國のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし |
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岩田正巳 『 神功皇后 』 1931 (S06) 新潟市美術館
「神功皇后」(じんぐう こうごう)は、第14代「仲哀天皇」(ちゅうあい てんのう)の皇后。「仲哀天皇」が、新羅遠征せよとの神託を受けつけなかったが故に神の怒りに触れて急死したため、身重の体で新羅への遠征を果たす。 |
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藤田嗣治 『 日本昔噺 』 仁徳天皇 1923
第16代「仁徳天皇」(にんとく てんのう)。山の上から国を見渡すと、家々から炊事の煙が上っていないことに気づく。これは民が貧しいからであると、3年間、税徴収をストップした。 |
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和田英作 『 くものおこない(衣通姫)』 1905 (M38) 歌舞伎座
「衣通王」(そとほし の おう)は、≪古事記≫ では第19代「允恭天皇」(いんぎょう てんのう)の娘「軽大郎女」(かる の おおいらつめ)。白い肌が衣を通すほど輝いていたため付いた名前。「允恭天皇」崩御後に即位予定であった、実兄である「木梨の軽王」(きなし の かる の おう)との近親結婚という大事件を起こし、二人は無理矢理引き離されるものの、最後は心中してしまうという悲劇。 ≪日本書記≫ では「允恭天皇」に寵愛された姫として登場している。この作品は、蜘蛛の動きを見て、『 今日こそは来てくださりそうだわ 』 と期待に胸ふくらませるシーン。 |
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※ 上村松園 『 花がたみ 』 1915 (T04) ◆ 松伯美術館 世阿弥作、謡曲「花筐」に登場する「照日前」(てるひ の まえ)。 第26代「継体天皇」(けいたい てんのう)が皇子時代に寵愛した女性で、別れ別れになったことで気がふれそうになり、もらった花筐を手に、ふらふらと天皇に会いにくるシーン。謡曲の創作上の女性だが、実際にも、そういう想いに苦しんだ人がいたのだろう。 |
漢字や、よみがなの表記は書籍によって違いがあるため、ココでは、岩波文庫 『 古事記 』 倉野憲司 校注 (昭和38年) によった。 当ページは、掲載絵画の追加等により、適宜、更新の予定 - Ver. 1.0 : 2013 (H25). 4.21 公開 - Ver. 2.0 : 2013 (H25). 4.29 『 肇国創業絵巻 』 等の情報を追加 - Ver. 2.1 : 2013 (H25). 7. 3 川村清雄作品情報を追加 - Ver. 2.2 : 2015 (H27). 2.11 フォント変更、レイアウト変更、リンク切れ修正等 |