1.大節季は想いの闇
ならい風激しく、師走の空雲の足さえ速く、春の事ども取り急ぎ、餅突く宿の隣には、小笹手ごとに煤掃きするもあり。天秤の金冴えて、取りやりも世の定めとて忙し。棚下を引き連れ立ちて、「こんこん小盲目に、お一文くだされませい」の声やかましく、古札納め・雑器売り・榧・かち栗・鎌倉海老、通町には破魔弓の出見世・新物・足袋・雪駄。「足を空にして」と兼好が書き出し思い合わせて、今も世帯持つ身の暇なき事にぞ有りける。
早や、押し詰めて 28日夜半に、わやわやと火宅の門は車長持ち牽く音、葛籠・かけ硯、肩に掛けて逃ぐるもあり。穴蔵の蓋、とりあえず軽る物(絹物)を投げ込めしに、時の間の煙となって、焼野の雉子、子を思うがごとく、妻をあはれみ老母を悲しみ、それぞれの導べの方へ立ち退きしは、更に悲しさ限り無かりき。
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ここに本郷の辺に八百屋八兵衛とて、売人、昔は俗姓賤しからず。この人、一人の娘あり。名は、お七と云えり。年も 16、花は上野の盛り、月は隅田川の影清く、かかる美女のあるべきものか! 都鳥、その業平に時代違いにて見せぬ事の口惜し。これに心を掛けざるは無し。
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池田輝方『 お七 』 1905 (M38)
福富太郎コレクション資料室
火事を起こして恋い焦がれる様。しかし、お七が火を付けたのはボヤ程度であったので、これは彼女の心象風景であろう。
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この人、火元近づけば母親に付き添い、年ころ頼みをかけし旦那寺、駒込の吉祥寺といえるに行きて、当座の難を凌ぎける。この人この人に限らず、あまた御寺に駆け入り、長老様の寝間にも赤子泣く声、仏前に女の二の布物を取り散らし、あるいは主人を踏み越え、親を枕とし、訳もなく臥しまろびて明くれば、饒鉢 [にょうはち]、鉦 [どら] を手水だらいにし、お茶湯天目も仮のめし椀となり、この中の事なれば、釈迦も見赦し給うべし。
お七は母の親大事にかけ、坊主にも油断のならぬ世の中と、よろずに気を付け侍る。折節の夜嵐を凌ぎかねしに、亭坊(住持)、慈悲の心から着替えのあるほど出して貸されける中に、黒羽二重の大振袖に、桐・銀杏の並べ紋、紅裏を山道の裾取り、訳らしき小袖の仕立て、焚きかけ(香のかほり)残りて、お七、心に留まり、
『いかなる上臈か、世を早うなり給い、形見も辛しと、この寺にあがり物(奉納もの)か』と、我が年の頃思い出して、あはれに痛ましく、会い見ぬ人に無常起こりて、
『思えば夢なれや、何事もいらぬ世や、後生こそ誠なれ』と、しおしおと沈み果て、母人の珠数袋を開けて願いの玉の緒、手に掛け、口のうちにして題目いとまなき折から、
やごとなき若衆の、銀の毛抜き片手に、左の人差し指に有るか無きかの棘の立ちけるも心に掛かると、暮方の障子を開き、身を悩みおわしけるを、母人見かね給い「抜き参らせん」と、その毛抜きを取って、しばらく悩み給えども、老眼の定かならず、見付くる事難くて、気毒なるありさま。
お七、見しより『我なら目時の目にて(視力が良いので)、抜かんものを』と思いながら、近寄りかねて佇むうちに、母人呼び給いて「これを抜きて参らせよ」との由、嬉し。彼の御手を取りて難儀を助け申しけるに、この若衆、我を忘れて、自が手(お七の手)を痛く締めさせ給うを、離れ難かれども、母の見給うをうたてく、是非も無く立ち別れさまに、覚えて(わざと)毛抜きを取りて帰り、また返しにと跡を慕い、その手(若衆の手)を握り返せば、これより互いの想いとは成りける。
お七、次第に焦がれて、
「この若衆、いかなる御方ぞ?」と納所坊主に問いければ、
「あれは、小野川吉三郎殿と申して、先祖、正しき御浪人衆なるが、さりとは優しく、情の深き御方」と語るにぞ、なお、想い増さりて、忍び忍びの文書きて人知れず遣わしけるに、便りの人変わりて(入れ違いに)、結句、吉三郎方より思惑数々の文、送りける。心ざし、互いに入り乱れて、これを「諸思い」とや申すべし。
両方、共に返事無しに、いつとなく浅からぬ恋人・恋われ人、時節を待つうちこそ浮世なれ。大晦日は想いの闇に暮れて、明くれば新玉の年の初め。女松・男松を立て飾りて、暦見そめしにも「姫はじめ」おかしかりき。されども、よき首尾無くて、ついに枕も定めず。君がため若菜祝いける日も終りて、9日 10日過ぎ、11日、12、13、14日の夕暮、早や、松の内も皆になりて(終わって)、甲斐なく立ちし名こそ、はかなけれ。
2.虫出しの雷もふんどしかきたる君様
春の雨、玉にも抜ける柳原のあたりより参りけるの由、15日の夜半に外門あらけなく叩くにぞ、僧中(全ての僧)夢驚かし聞けるに、
「米屋の八左衛門、長病なりしが、今宵、相い果て申されしに、思い設けし(前から覚悟していた)死人なれば、夜のうちに野辺へ送り申したき」との使いなり。出家の役なれば、数多の法師召し連れられ、晴間を待たず、傘を取りどりに御寺を出て行き給いし後は、70に余りし庫裏姥(台所で働く姥)一人、12,3なる新発意(新たに仏門に入った者)一人、赤犬ばかり。残り物とて松の風淋しく、虫出しの雷響き渡り、いずれも驚きて、姥は年越の夜の煎大豆取り出すなど、天井のある小座敷を訪ねて身を潜めける。
母の親、子を思う道に迷い、我をいたわり夜着の下へ引き寄せ「厳しく鳴る時は耳塞げ」など、心を付け給いける。女の身なれば、恐ろしさ限りも無かりき。されども『吉三郎殿に逢うべき首尾、今宵ならでは』と思う下心ありて、
「さても浮世の人、何とて雷を恐れけるぞ。捨てから命、少しも我は恐ろしからず」と、女の強からずして良き事に、無用の言葉、末すえの女どもまで、これを誹りける。
ようよう更け過ぎて、人、皆、自ずからに寝入りて、鼾は軒の玉水の音を争い、雨戸の隙間より月の光もありなしに、静かなる折節、客殿を忍び出でけるに、身に震い出でて足元も定めかね。枕浴衣に臥したる人の腰骨を踏みて、魂消ゆるがごとく、胸いたく上気して、ものは言われず手を合わして拝みしに、この者、我を咎めざるを不思議と、心を止めて眺めけるに、食炊かせける女の、むめという下子なり。それを乗り越えて行くを、この女、裙を引き留めけるほどに、また胸騒ぎして『我、留むるか』と思えば、さにはあらず。小判紙一折、手に渡しける。
『さても、さても、いたずら仕付けて、かかる忙しき折からも、気の付きたる女ぞ』と嬉しく、方丈(住持の居屋)に行きてみれども、彼の兒人 [せいじん] の寝姿見えぬは、悲しくなって、台所に出でければ、姥目覚し「今宵、鼠めは」とつぶやく片手に、椎茸のにしめ、あげ麩、葛袋など取りおくも、おかし。しばしあって我を見付けて「吉三郎殿の寝所は、そのその小坊主とひとつに、三畳敷に」と、肩叩いて囁きける。思いの外なる情知り、『寺には惜しや』と、いとしくなりて、してゐる紫鹿子の帯解きて取らし、姥が教えるに任せ行くに、夜や、八つ頃(AM2:00頃)なるべし。
常香盤の鈴落ちて響き渡る事しばらくなり。新発意、その役にやありつらん。起き上がりて糸かけ直し、香、盛り継ぎて座を立たぬ事、とけしなく(待ち遠しく)、寝所へ入るを待かね、女の出来心にて、髪をさばき、怖い顔して闇がりより脅しければ、さすが仏心備わり、少しも驚く気色なく、
「汝、元来、帯解け広げにて、世に徒ものや(淫奔女)。たちまち消え去れ。この寺の大黒(僧侶の妻)になりたくば、和尚の帰らるるまで待て」と、目を見開き申しける。お七、白けて、走り寄り、
「こなたを抱て寝に来た」と言いければ、新発意笑い、
「吉三郎様の事か。おれと今まで跡さして臥しける。その証拠にはこれぞ」と、こぶくめ(綿入れ)の袖をかざしけるに、白菊などいえる留木の移り香、『どうもならぬ』とうち悩み、その寝間に入るを、新発意声立て、
「はぁ、お七さま、よい事を」と言いけるに、また驚き、
「何にても、そなたの欲しき物を調え進ずべし。黙り給え」と言えば、
「それならば、銭80と、松葉屋のかるたと、浅草の米饅頭 5つと、世にこれより欲しき物は無い」と言えば、
「それこそやすい事。明日は、早々、遣し申すべき」と約束しける。この小坊主、枕傾け「夜が明たらば三色貰うはず。必ず貰うはず」と、夢にも現にも申し寝入りに静まりける。
その後は心まかせになりて、吉三郎寝姿に寄り添いて、何とも言葉なく、しどけなくもたれかかれば、吉三郎、夢覚て、なお身を震わし小夜着の袂を引きかぶりしを、引き退け、
「髪に用捨もなき事や(髪が乱れました)」と言えば、吉三郎、せつなく
「私は 16になります」と言えば、お七、
「私も 16になります」と言えば、吉三郎、重ねて、
「長老様が怖や」と言う。
「おれも長老様は怖し」と言う。何とも、この恋始め、もどかし。
後は二人ながら涙をこぼし、不埓なりしに、また、雨のあがり雷あらけなく響きしに、
「これは、ほんに怖や」と、吉三郎にしがみ付きけるにぞ、自ずから、わりなき(堪えきれない)情深く、
「冷えわたりたる手足や」と、肌へ近寄せしに、お七、恨みて申し侍るは
「そなた様にも憎からねばこそ、よしなき文給りながら、かく身を冷やせしは、誰させけるぞ」と首筋に喰つきける。いつとなく訳もなき首尾して、ぬれ初めしより袖は互いに、「限りは命(死が分かつまで)」と定めける。
ほどなく曙の近く、谷中の鐘せわしく、吹上の榎の木、朝風激しく。
「うらめしや。今寝温もる間もなく、あかぬは別れ、世界は広し、昼を夜の国もがな」と俄かに願い、とても叶わぬ心を悩ませしに、母の親「これは!」と訪ね来て引っ立てゆかれし。思えば「むかし男」の鬼一口の雨の夜の心地して、吉三郎あきれ果て悲しかりき。
新発意は宵の事を忘れず、「今の三色の物を賜らずば、今夜のありさま告げん」と言う。母親、立ち帰りて「何事か知らねども、お七が約束せし物は、我が請にたつ」と言い捨て帰られし。いたずらなる娘持ちたる母なれば、大方なる事は聞かでも合点して、お七よりは、なお心を付けて、明の日早く、その、もて遊びの品々、調えて送り給いけるとや。
3.雪の夜の情宿
油断のならぬ世の中に、殊更見せまじきものは、道中の肌付金・酒の醉に脇指・娘のきわに捨坊主と、御寺を立ち帰りてその後は、厳しく改めて恋を裂きける。されども、下女が情にして文は数通わせて、心のほどは互に知らせける。
ある夕べ、板橋近き里の子と見えて、松露・土筆を手籠に入れて、世を渡る業とて売り来たれり。お七親のかたに買い止めける。その暮れは春ながら雪降りやまずして、里まで帰る事を歎きぬ。亭主あはれみて、
「何心もなく、つゐ庭の片角にありて(土間の片隅にでも寝て)、夜明けなば帰れ」と言われしを嬉しく、牛房・大根の莚、片寄せ、竹の小笠に面をかくし、腰蓑身にまとい一夜を凌ぎける。嵐、枕に通い、土間冷えあがりけるにぞ、大かたは命も危うかりき。
次第に息も切れ、眼も眩みし時、お七、声して
「先ほどの里の子あはれや、せめて湯なりとも飲ませよ」とありしに、飯炊きの梅が、下の茶碗に汲みて久七に差し出しければ、男受け取りて、これを与えける。
「かたじけなき、御心入れ」と言えば、暗まぎれに前髪をなぶりて、
「我も(お前も)、江戸においたらば念者(男色の兄貴分)のある時分じゃが、痛しや」と言う。
「いかにも浅ましく育ちまして、田をすく馬の口を取り、眞柴刈より他の事を存じませぬ」と言えば、足をいらいて(いじって)
「奇特にあかがりを切らさぬよ。これなら口を少し」と、口を寄せけるに、この悲しさ、切なさ、歯を食い締めて涙をこぼしけるに、久七、分別して
「いやいや、根深・ニンニク食いし口中も知れず」と止めける事の嬉し。
その後、寝時になりて、下々は、うちつけ階子を登り、二階にともし火影薄く、主は戸棚の錠前に心を付くれば、内儀は「火の用心」よくよく言い付けて、なお、娘に気遣いせられ、中戸差し固められしは、恋路つなきれて、うたてし。
八つの鐘の鳴る時、面の戸叩いて、女と男の声して、
「申し、姥様。ただ今、悦びあそばしましたが(出産されました)、しかも若子様にて、旦那さまの御機嫌」と、しきりに呼ばわる。家内起き騒ぎて、「それは、嬉しや」と、寝所よりすぐに夫婦連れ立ち、出さまに、まくり・かんぞうを取り持ちて、片しがたしの草履を履き、お七に門の戸を閉めさせ、急ぐ心ばかりにゆかれし。
お七、戸を閉めて帰りさまに、暮方、里の子思いやりて、下女に「その手燭まで」とて、面影を見しに、豊かに臥して、いとど、あはれの増りける。「心よく有りしを、そのまま、おかせ給え」と下女の言えるを聞かぬ顔して近く寄れば、肌に付けし兵部卿のかほり、何とやらゆかしくて、笠を取り除け見れば、やことなき脇顔のしめやかに、鬢もそそけざりし(乱れていない)をしばし見とれて、その人の年頃に思いいたして、袖に手を差し入れて見るに、浅黄羽二重の下着。「これは!」と心を止めしに、吉三郎殿なり。人の聞くをも構わず、
「こりゃ、何として、かかる御姿ぞ!」としがみ付きて歎きぬ。吉三郎も面見合わせ、ものゑ言わざる事しばらくありて、
「我、隠す方を変えて、せめては、君をかりそめに見る事願い、宵の憂き思いおぼしめしやられよ」と、初めよりの事どもを、つどつどに語りければ、
「兎角は、これへ、御入りありて、その御恨みも聞きまゐらせん」と、手を引きまゐらすれども、宵よりの身の痛み是非もなく、あはれなり。ようよう、下女と手を組みて、車にかき乗せて、つねの寝間に入りまゐらせて、手の続くほど摩りて幾薬を与え、少し笑い顔嬉しく、
「盃事して、今宵は心にあるほどを語り尽くしなん」と喜ぶ所へ、親父帰らせ給ふにぞ、重ねて憂き目に遭いぬ。
衣桁の陰に隠して、さらぬあり様にて、
「いよいよ、おはつ様は親子とも御まめか?」と言えば、親父喜びて、
「ひとりの姪なれば、とやかく気遣いせしに、重荷降した」と機嫌良く、産着の模様せんさく、
「よろず祝いて、鶴亀松竹のすり箔は?」と申されけるに、
「遅からぬ御事、明日御心静かに」と、下女も口々に申せば、
「いやいや、かやうの事は早きこそ良けれ」と、木枕、鼻紙をたたみかけて、ひな形を切らるるこそ、うたてけれ。
ようよう、そのほど過ぎて、色々たらして寝せまして、語りたき事ながら、ふすま障子一重なれば、漏れゆく事を怖ろしく、灯の影に硯紙置きて、心のほどを互いに書きて、見せたり見たり。これを思えば「鴛のふすま」とや言うべし。夜もすがら書くどきて、明け方の別れ、またも無き恋があまりて(語り尽くすことが出来ず)、さりとては、もの憂き世や。
4.世に見納めの桜
それとは言わずに(事情を誰にも打ち明けず)明け暮れ、女心のはかなや、逢うべき頼りも無ければ、ある日、風の激しき夕暮に、いつぞや寺へ逃げ行く世間の騒ぎを思い出して、『また、さもあらば、吉三郎殿に逢い見る事の種とも成りなん』と、よしなき出来心にして悪事を思い立つこそ、因果なれ。少しの煙立ち騒ぎて、人々不思議と心懸け見しに、お七が面影を現しける。これを訊ねしに、包まず有りし通りを語りけるに、世のあはれとぞ成りにける。
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北澤映月『 焔(八百屋お七朝顔日記深雪)』
1974 (S49) 松岡美術館
今日は神田のくづれ橋に恥を晒し、または、四谷・芝の浅草・日本橋に人こぞりて見るに惜まぬは無し。これを思うに、仮にも人は悪事をせまじき物なり。天、これを赦し給はぬなり。
この女、思い込みし事なれば、身のやつるる事なくて、毎日ありし昔のごとく、黒髪を結わせて麗しき風情。惜しや、17の春の花も散り散りに、ほととぎすまでも総鳴きに、卯月の初めず方、「最期ぞ」と勧めけるに、心中更に違わず、夢幻の中ぞと、一念に仏国を願いける心ざし。さりとては痛わしく、手向花とて咲き遅れし桜を一本持たせけるに、うち眺めて、
世の哀 春ふく風に 名を残し おくれ桜の けふ散し身は
と吟しけるを、聞く人、ひとしおに痛まわしく、その姿を見送りけるに、限りある命のうち、入相(夕暮れ)の鐘つく頃、品かはりたる道芝の辺にして、その身はうき煙となりぬ。人皆いずれの道にも煙は逃れず、殊に不便は、これにぞありける。
それは昨日、今朝見れば塵も灰も無くて、鈴の森、松風ばかり残りて、旅人も聞き伝えて、ただは通らず。廻向して、その跡を弔いける。されば、その日の小袖、郡内縞の切れ切れまでも世の人拾い求めて、末すえの物語の種とぞ思いける。
近付きならぬ人さえ、忌日忌日に、しきみ折り立て(仏前花を供え)、この女を弔いけるに、その契りを込めし若衆は如何にして最期を尋ね問わざる事の不思議と、諸人沙汰し侍る折節、吉三郎は、この女にここち悩みて、前後をわきまえず、憂き世の限りと見えて便り少なく、現のごとくなれば、人々の心得にて、この事を知らせなば、よもや命も有るべきか。
「常々申せし言葉のすゑ、身の取り置き(身の回りの整理)までして最期のほどを待ち居しに、思えば人の命や」と、首尾よしなに申しなして、「今日明日の内には、その人、ここにましまして思ふままなる御けん」など言いけるにぞ、ひとしお心を取り直し、与える薬を他になして、
「君よ恋し、その人まだか」とそぞろ事言うほどこそあれ。
知らずや、今日は早や 35日と、吉三郎には隠して、その女弔いける。それより、49日の餅盛など、お七親類、御寺に参りて、
「せめて、その恋人を見せ給へ」と歎きぬ。様子を語りて、
「またも、あはれを見給うなれば、よしよし、その通りに(まぁ、そのままに)」と道理を責めければ、
「さすが、人たる人なれば、この事聞きながら、よもや長らえ給ふまじ。深く包みて病気もつつがなき身の折節、お七が申し残せし事どもをも語り慰めて、我子の形見に、それなりとも思い晴らしに」と、卒塔婆書き立てて、手向けの水も涙に乾かぬ石こそ無き人の姿かと、跡に残りし親の身、無常の習いとて、これ、逆の世や。
5.様子あっての俄か坊主
命ほど頼み少なくて、また、つれなきものは無し。なかなか死ぬれば恨みも恋も無かりしに、百ヶ日に当たる日、枕、初めて上がり、杖竹を便りに、寺中静かに初立ちしけるに、卒塔婆の新しきに心を付けて見しに、その人の名に驚きて、
「さりとては知らぬ事ながら、人はそれとは言わじ。遅れたるように取沙汰も口惜し」と、腰の物に手を掛けしに、法師取り付き、様々留めて、
「とても死すべき命ならば、年月語りし人に暇乞いをもして、長老さまにも、その断りを立て、最期を極め給えかし。子細は(その訳は)、そなたの兄弟契約の御方より、当寺へ預け置き給えば、その御手前への難儀、かれこれ覚しめし合せられ、この上ながら、憂名の立たざるように(悪い評判が立たないように)」と諌めしに、この断り至極して、自害思い止まりて、兎角は世に長らえる心ざしにはあらず。
その後、長老へかくと申せば、驚かせ給いて、
「その身は懇ろに契約の人、わりなく愚僧を頼まれ預りおきしに、その人、今は松前に罷りて、この秋の頃は必ず、ここにまかるのよし、くれぐれ、このほども申し越されしに、それよりうちに、申し事(ひと悶着)もあらば、さしあたっての迷惑、我ぞかし(わしは困る)。兄分帰られての上に、その身はいか様ともなりぬべき事こそあれ」と、色々異見あそばしければ、日頃の御恩思い合せて、
「何か仰せはもれし」と、お請け申しあげしに、なお、心もとなく覚しめされては、物を取りて、あまたの番を添られしに、是非なく、常なる部屋に入りて人々に語しは、
「さても、さても、わが身ながら、世上の誹りも無念なり。未だ若衆を立てし身の、よしなき人のうき情けに、もだし難くて、あまつさえ、その人の難儀、この身の悲しさ。衆道の神も仏も我を見捨て給いし」と感涙を流し、
「殊更、兄分の人帰られての首尾、身の立つべきにあらず。それより内に、最期急ぎたし。されども、舌喰い切り、首絞めるなど、世の聞えも手ぬるし。情に一腰貸し給え。なに長らえて甲斐無し」と、涙に語るにぞ、座中、袖をしぼりて深くあはれみける。
この事、お七親より聞きつけて、
「御歎き、もっともとは存じながら、最期の時分、くれぐれ申し置きけるは、『吉三郎殿、誠の情ならば、浮き世捨させ給い、いかなる出家にもなり給いて、かくなり行く跡をとわせ給いなば、いかばかり忘れ置くまじき。二世(来世)までの縁は朽まじ』と申し置きし」と、様々申せども、中々、吉三郎、聞き分けず。いよいよ思い極めて、舌喰い切る色めの時、母親、耳近く寄りて、しばし囁き申されしは、何事にかあるやらん。吉三郎、頷きて「ともかくも」と言えり。
その後、兄分の人も立ち帰り、至極の異見申し尽くして出家と成りぬ、この前髪の散るあはれ、坊主も剃刀なげ捨て、盛りなる花に時の間の嵐のごとく、思い比ぶれば、命は有りながら、お七最期よりは、なお、あはれなり。古今の美僧、これを惜しまぬは無し。総じて恋の出家、誠あり。吉三郎兄分なる人も、故郷松前に帰り、墨染の袖とは成りけるとや。
さてもさても、取り集めたる恋(男色女色乱れての恋)や、あはれや、無常なり、夢なり、現なり。