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「好色五人女」 暦屋おさん物語


井原西鶴「好色五人女」の巻三「中段に見る暦屋物語」の現代語表記と、関連する絵画を紹介するページです。

1.姿の関守
天和二年の暦「正月一日、吉書(書初め)、よろずに良し。二日、姫はじめ」。神代の昔より、この事、恋知り鳥の教え(SEXのこと)、男女の悪戯、止む事なし。
ここに大経師(表具屋)の美婦とて、浮名の立ち続き、都に情の山(男の心)を動かし、祇園会の月鉾、かつらの眉を争い、姿は清水の初桜未だ咲きかかる風情。唇の麗しきは高尾の小梢、色の盛りと眺めし。住み所は室町通、仕出し衣裳(新趣向の衣装)の物好み、当世女のただ中、広い京にも、また有るべからず。
 喜多川歌麿『 おさんの相

ボストン美術館

人の心も浮き立つ春深くなりて、安井の藤、今を紫の雲のごとく、松さえ色を失い、黄昏の人立ち、東山に、また、姿(美女)の山を見せける。
折節、洛中に隠れなき騒ぎ中間の男四天王、風義人に優れて目立ち、親より譲りの有るに任せ、元日より大晦日まで、一日も色に遊ばぬ事無し。昨日は島原に、もろこし・花崎・かほる・高橋に明けし、今日は四条川原の竹中吉三郎・唐松哥仙・藤田吉三郎・光瀬左近など愛して、衆道・女道を昼夜の分かちも無く様々遊興尽きて、芝居過ぎより、松屋と云える水茶屋に居ながれ、
「今日ほど、見よき地女の出でし事も無し。もしも、我等が目に美しきと見しもある事もや」と、役者の賢き奴を目利頭に、花見帰りを待つ暮々、これぞ計りたる慰みなり。大かたは女中乗物見えぬが心憎し。乱れ歩りきの一群れ、嫌なるも無し、これぞと思うも無し。
「兎角は、よろしき女ばかり書き止めよ」と、硯紙取り寄せて、それを写しけるに、年のほど、34,5と見えて、首筋立ち伸び、目の張り リンとして、額の生え際は自然と麗しく、鼻、思うには少し高けれども、それが堪忍頃なり。下に白ぬめの ひつかえし、中に浅黄ぬめの ひつかえし、上に椛詰めの ひつかえしに、本絵に描かせて、左の袖に吉田の法師が面影、「一人燈の下に古き文など見て、、、」の文談、さりとは子細らしき物好み。
帯は敷瓦の折りビロード、御所かづきの取り回し、薄色の絹足袋。三筋緒の雪踏、音もせず歩りきて、わざとならぬ腰の据り。「あの男めが果報」と見る時、何か、下々へものを言うとて口を開きしに、下歯一枚抜けしに、恋を醒ましぬ。
間ものう、その後より、15,6、7にはなるまじき娘。母親と見えて左の方に付き、右の方に墨衣着たる比丘尼の付きて、下女あまた六尺供を固め、大事に掛る風情。
「さては縁付き前か?」と思いしに、かね(お歯黒)付けて眉無し、顔は丸くして見よく、目に利発表れ、耳の付きよう、しおらしく、手足の指ゆたやかに、皮薄に色白く、衣類の着こなし、また有るべからず。下に黄無垢、中に紫の地無し鹿子。上は鼠じゅすに百羽雀の切りつけ、段染の一幅帯、胸開け掛けて身ぶりよく、ぬり笠にとら打ちて千筋ごよりの緒を付け、見込みの優しさ!
これ一度見しに、脇顔に横に七分あまりの打ち傷あり。更に生まれ付きとは思われず、「さぞ、その時の抱き姥を恨むべし」と、皆々笑うて通しける。
さて、また、21,2なる女の、木綿の手織縞を着て、その裏さえ継ぎ継ぎを、風吹き返され恥をあらわしぬ。帯は羽織の落としと見えて、ものあはれに細く、紫の皮足袋、有るに任せて履き、片し片しの奈良草履、古き置き綿(綿帽子)して、髪はいつ櫛の歯を入れしや? しどもなく乱れしを、つい、そこそこにからげて、身に様子も付けず一人楽しみて行くを見るに、面道具(顔の作り)一つも不足無く、
「世にかかる生れ付きの、また有るものか」と、いずれも見惚れて、
「あの女に良き物を着せて見ば、人の命を取るべし。ままならぬは貧福」と、あはれに痛ましく、その女の帰るに忍びて人を付けける。誓願寺通りの末なる、煙草切りの女と言えり。聞くに胸痛く、煙の種(気になること)ぞかし。
その後に、27,8の女、さりとは花車に仕出し(風流で凝った装い)、三つ重ねたる小袖、みな黒羽二重に、裙取りの紅裏、金の隠し紋。帯は唐織寄島の大幅、前に結びて、髪は投げ島田に平もと結いかけて、対のさし櫛、刷きかけの置手拭。吉弥笠に四つ変わりのくけ紐を付けて、顔自慢に浅くかづき、抜き足、中捻りの歩き姿、
「これこれ、これじゃ、黙れ、黙れ」と、各々、近づくを待ち見るに、三人連れし下女どもに、一人一人、三人の子を抱かせける。さては年子と見えて、おかし。後から「かか様、かか様」と言うを聞かぬ振りして行く。
「あの身にしては、我子ながら、さぞ、うたてかるべし。人の風俗も、産まぬうちが花ぞ」と、その女、無常の起こるほど、どやきて笑いける。
また、豊かに乗物つらせて、女、未だ、13か 4か、髪すき流し、先を少し折り戻し、紅の絹たたみて結び、前髪、若衆のすなる様にわけさせ、金元結にて結わせ、五分櫛の清らなるさし掛け、まずは美しさ! 一つ一つ言うまでも無し。白じゅすに墨形の肌着、上は玉虫色のじゅすに孔雀の切り付け、見え透くように、その上へに唐糸の網を掛け、さても巧みし小袖に、12色のたたみ帯、素足に紙緒の履物。浮き世笠、後より持たせて、藤の八房連なりしをかざし「見ぬ人のため」と云わぬばかりの風儀。今朝から見尽せし美女とも、これに気圧されて、その名ゆかしく訊ねけるに、
「室町のさる息女、今小町」と言い捨てて行く。
花の色はこれにこそあれ、悪戯者とは、後に思い合わせ侍る。

2.してやられた枕の夢
男所帯も気散じ(気楽)なるものながら、お内義の無き夕暮、ひとしお淋しかりき。
ここに大経師の何がし、年久しく、やもめ住みせられける。都なれや、物好きの女もあるに、品形優れて良きを望めば、心に叶い難し。詫びぬれば、身を浮草のゆかり尋ねて「今小町」と云える娘ゆかしく、見に参りけるに、過し春、四條に関居えて見とがめし中にも、藤をかざして覚束か無き様したる人。「これぞ!」と焦がれて、何の彼の無しに縁組みを取り急ぐこそ、おかしけれ。
その頃、下立売烏丸上ル町に、「しゃべりの なる」とて、隠れもなき仲人かか有り。これを深く頼み、樽のこしらえ、願い首尾して、吉日を選びて、おさんを迎えける。
花の夕、月の曙、この男、外を眺めもやらずして、夫婦の語らい深く、三年がほども重ねけるに、明暮れ、世を渡る女の業を大事に、手づから、ベンガラ糸に気を尽くし、末すえの女に手紬を織らせて、わが男の見よげに、始末を本とし(倹約を第一とし)、竈も大くべさせず、小遣帳を筆まめに改め、町人の家に有りたきは、かようの女ぞかし。
次第に栄えて嬉しさ限も無かりしに、この男、東の方に行く事ありて、京に名残りは惜めど、身過ぎ(仕事)ほど悲しきは無し。思い立つ旅衣、室町の親里にまかりて、あらましを語りしに、我娘の留守中を思いやりて、
「よろずに賢き人もがな、後を預けて表向きをさばかせ、内証(家事)はおさんが心助けにも成るべし」と、いずくもあれ、親の慈悲心より思い付けて、年を重ねて召し使いける、茂右衛門と云える若き者を聟の方へ遣しける。
この男の正直、頭(髪の結い)は人任せ、額小さく、袖口五寸に足らず、髪置きして、この方、編笠をかぶらず(廓通いしない)。ましてや脇差をこしらえず。ただ、ソロバンを枕に、夢にも銀儲けの詮索ばかり明かしぬ。
折節、秋も夜嵐いたく、冬の事思いやりて、身の養生のためとて、茂右衛門、灸、思い立ちけるに、腰元の りん、手軽く据える事を得たれば、これを頼みて、もぐさ数捻りて、りんが鏡台に縞の木綿ふとんを折り掛け、初め一つ二つは堪えかねて、お姥から中居から、たけ(下女の通称)までも、そのあたりを押さえて顔しかむるを笑いし。あとほど煙強くなりて、塩灸を待ちかねしに、自然と据え落して、背骨伝いて身の皮縮み、苦しき事暫くなれども、据手の迷惑さを思いやりて、目を塞ぎ歯を食いしめ堪忍せしを、りん、悲しく揉み消して、これより肌を摩り初めて、いつとなく、いとしやとばかり思い込み、人知れず心地悩みけるを、後は沙汰して、おさん様の御耳に入れど、なお、止め難くなりぬ。
りん、卑しかる育ちにして物書く事に疎く、筆の頼りを歎き、久七が心覚えほど、にじり書を羨ましく、密かにこれを頼めば、茂右衛門よりは先へ我が物にしたがるこそ、うたてけれ。
是非なく日数ふる、時雨も偽りの初め頃、おさん様、江戸へ遣わされける御状のついで、
「りんが痴話文、書きてとらせん」と、ざらざらと筆を歩ませ、『茂のじ様まゐる、身より』とばかり、引き結びて、かいやり給ひしを、りん嬉しく、いつぞの時を見合せけるに、店より「たばこの火よ」と言えども、折から庭(台所の土間)に人の無き事を幸いに、その事にかこつけ、かの文を我事我と遣しにける。
茂右衛門も、ながな事(文の中身)は、おさん様の手とも知らず、りんを優しきとばかりに、おもしろおかしき返り事をして、また渡しける。
これを読みかねて、御機嫌よろしき折節、奥様に見せ奉れば、
「おぼしめしよりて、思いもよらぬ御伝え。この方も若い者の事なれば、厭でもあらず候えども、契り重なり候えば、取り上げ婆(産婆さん)が難しく候。さりながら、着物・羽織・風呂銭・身だしなみの事どもを、その方から賃を御かきなされ候わば(負担してくれるなら)、厭ながら叶えてもやるべし」と打ちつけたる文章。
「さりとては憎さも憎し。世界に男の日照はあるまじ。りんも大かたなる(十分な器量)生れつき、茂右衛門めほどなる男を、そもや持ちかねる事や有る」と、重ねて、また文にして歎き、
「茂右衛門を引きなびけて嵌まらせん」と、数々書くどきて遣わされけるほどに、茂右衛門、文面より、あはれ深くなりて、初めのほど嘲りし事の悔しく、そめそめと返事をして、
『5月14日の夜は定まって影待ちあそばしける。必ず、その折を得て逢い見る約束』言い越しければ、おさん様、いずれも女房混じりに声のあるほどは笑いて、
「とてもの事に(いっそのこと)、その夜の慰めにも成りぬべし」と、おさん様、りんに成り代わらせられ、身を木綿なる一重物にやつし、りん不断の寝所に暁方まで待ち給えるに、いつとなく心よく御夢を結び給えり。下々の女ども、おさん様の御声立てさせらるる時、皆々、駆け付くる計略にして、手毎に棒・乳切木・手燭の用意して、所々にありしが、宵よりの騒ぎにくたびれて、我知らず鼾をかきける。
七つ(AM 4:00)の鐘鳴りて後、茂右衛門、下帯を解きかけ、闇がりに忍び、夜着の下に焦がれて、裸身をさし込み、心の急くままに、言葉交わしけるまでも無く、よき事をし済まして、『袖の移香しほらしや』と、また、寝道具を引きせ、さし足して立ち退き、
『さても、こざかしき浮世や。まだ今やなど、りんが男心は有るまじき(男は知らない)と思いしに、我先に、いかなる人か、ものせし事ぞ』と、怖ろしく、
『重ねては、いかな、いかな(もう、止めておこう)』、思い留まるに極めし。
その後、おさんは自ずから夢覚て驚かれしかは、枕外れてしどけなく、帯は解けて手元に無く、鼻紙の訳も無き事に、心恥ずかしくなりて、
『よもや、この事、人に知れざる事あらじ。この上は身を捨て、命限りに名を立て、茂右衛門と死手の旅路の道連れ』と、なお止めがたく、心底申し聞かせければ、茂右衛門、思いの外なる思惑違い。乗りかかったる馬(りんの事)はあれど、君を思えば夜毎に通い、人の咎めも顧みず、外なる事に身をやつしけるは、追っ付け、生死の二つ物掛。これぞ危なし。

3.人をはめたる湖
「世にわりなきは情の道」と源氏にも書残せし。
ここに石山寺の開帳とて、都人、袖を連ね、東山の桜は捨て物になして、行くも帰るも、これや、この関越えて見しに、大かたは今風の女出立ち、どれか一人、後世わきまへて参詣けるとは見えざりき。皆、衣裳比べの姿自慢、この心ざし、観音様も、おかしかるべし。
その頃、おさんも茂右衛門連れて御寺に参り、
「花は命に例えて、いつ散るべきも定め難し。この浦山を、また見る事の知れざれば、今日の思い出に」と、勢田より手ぐり舟を借りて、
「長橋の頼みをかけても、短きは我々が楽しび」と、波は枕の床の山、あらわるるまでの乱り髪、もの思いせし顔はせを、鏡の山も曇る世に、鰐の御崎の逃れ難く、堅田の舟呼ばいも『もしやは、京よりの追手か?』と、心玉も沈みて、長らえて長柄山、我年のほども、ここに例えて、都の富士(比叡山)、二十 [はたち] にも足らずして、やがて消ゆべき雪ならばと、幾度袖を濡らし、志賀の都は昔語りと、我も成るべき身の果てぞと、ひとしおに悲しく、龍灯の上る時、白髭の宮所に着きて神祈るにぞ、いとど身の上はかなし。
「兎角、世に長らえるほど、つれなき事こそ勝れ、この湖に身を投げて長く仏国の語らい」と、言いければ、茂右衛門も、
「惜しからぬは命ながら、死んでの先は知らず。思いつけたる事こそあれ。二人、都への書き置き残し、入水せしと言わせて、この所を立ち退き、いかなる国里にも行きて年月を送らん」と言えば、おさん喜び、
「我も宿を出しより、その心掛けありと、金子 500両、挿み箱に入れ来たりし」と語れば、
「それこそ世を渡る種なれ。いよいよ、ここを忍べ」と、それぞれに筆を残し、
「我々、悪心起こりて、よしなき語らい。これ天命逃れず。身の置所も無く、今月今日、浮世の別れ」と、肌の守りに一寸八分の如来に黒髪のすゑを切り添え、茂右衛門は差し馴れし一尺七寸の大脇差・関和泉守、銅こしらえに巻龍の鉄鍔、それぞと人の見覚えしを後に残し、二人が上着、女草履、男雪踏、これにまで気を付けて、岸根の柳が下に置き捨て、この浜の漁師、調練して岩飛びとて水入りの男を密かに二人雇いて、金銀取らせて、ありましを語れば、心やすく頼まれて、更けゆく時、待ち合せける。
おさんも茂右衛門も身ごしらえして、借家の笹戸開けかけ、皆々を揺すり起して、
「思う子細のあって、ただ今、最期なるぞ」と、駆け出で、あらけなき岩の上にして、念仏の声、幽かに聞えしが、二人、共に身を投げ給う水に音あり。
いずれも泣き騒ぐうちに、茂右衛門、おさんを肩に掛けて、山もと分けて、木深き杉村に立ち退けば、水練は波の下潜りて、思いもよらぬ汀に上りける。
付きづきの者ども、手を打ってこれを歎き、浦人を頼み、様々探して甲斐なく、夜も明け行けば、涙に形見、色々巻き込め、京都に帰り、この事を語れば、人々、世間を思いやりて外へ知らさぬ内談すれども、耳せわしき世の中、この沙汰つのりて、春慰みに言い止む事なくて、是非も無き、いたずらの身や。

4.小判知らぬ休み茶屋
丹波越えの身となりて、道無きかたの草分衣、茂右衛門、おさんの手を引きて、ようよう峯高く登りて、後怖ろしく思えば、生きながら死んだ分になるこそ、心ながら、うたてけれ。なお行く先、柴人の足形も見えず、踏み迷う身のあはれも今、女のはかなく辿りかねて、この苦しさ、息も限りと見えて、顔色変わりて悲しく、岩漏る雫を木の葉に注ぎ、様々養生すれども、次第に頼り少なく、脈も沈みて、今に極まりける。薬にすべき物とても無く、命の終わるを待ち居る時、耳近く寄せて、
「今少し先へ行けば、導べある里近し。さもあらば、この憂きを忘れて、思いのままに枕定めて語らんものを」と歎けば、この事、おさん耳に通じ、
「嬉しや、命に代えての男じゃもの」と、気を取り直しける。
さては、魂に恋慕入り替り、外なき、その身痛ましく、また負うて行くほどに、僅かなる里の垣根に着きけり。ここなん、京への海道と云えり。馬も行き違うほどの岨 [そわ] に道も有りける。
藁葺ける軒に杉折り掛けて「上々諸白あり(上等の酒あり)」。餅も幾日になりぬ、埃をかづきて白き色無し。片店に茶筅・土人形・かぶり太鼓、少しは目馴し都めきて、これに力を得、しばし休みて、この嬉しさに、主の老人に金子一両取らしけるに、猫に傘見せたるごとく、厭な顔つきして、
「茶の銭、置き給え」と言う。
さても、京よりこの所 15里は無かりしに、小判見知らぬ里もあるよと、おかしくなりぬ。
それより、柏原と云う所に行きて、久しく音信絶て無事をも知らぬ姨の元へ尋ね入りて、昔を語れば、さすが、よしみとて、むごからず。親の茂介殿の事のみ言い出して、涙片手、夜すがら話し、明れば、麗しき女郎に不思議を立て、
「いかなる御方ぞ?」と訊ね給うに、これ、さしあたっての迷惑。この事までは分別もせずして、
「これは私の妹なるが、年久しく御所方に宮使いせしが、心地悩みて、都のもの難き住いを嫌い、もの静かなる、かかる山家に似合いの縁もかな、身を引き下げて、里の仕業の庭働き望みにて、伴いまかりける。敷銀(持参金)も 200両ばかり蓄えあり」と、何心もなく当座さばきに語りける。いずくもあれ、欲の世の中なれば、この姨、これに思い付き、
「それは幸の事こそあれ。我が一子、未だ定まる妻とても無し。そなたも退かぬ中なれば、これに」と申しかけられ、さても気の毒勝りける。
おさん忍びて涙を流し、『この行末、いかがあるべし』と、もの思う所へ、かの男、夜更て帰りし、その様、凄まじや! すぐれて背高く、頭は唐獅子のごとく縮み上がりて、髭は熊の紛れて(熊と見間違うほどで)、眼赤筋立て光強く、足手 そのまま松木に等しく、身には割織を着て藤縄の組帯して、鉄炮に切火縄、かますにウサギ・狸を取り入れ、これを渡世すと見えける。その名を聞けば「岩飛の是太郎」とて、この里に隠れもなき悪人。
都衆と縁組みの事を母親語りければ、むくつげなる男も、これを喜び、
「善は急ぎ、今宵のうちに」と、びん鏡取り出して面を見るこそ、やさしけれ。
母は盃の用意とて、塩目黒に口の欠けたる酒徳利を取り回し、筵屏風にて二枚敷ほど囲いて、木枕二つ、薄縁二枚、横縞のふとん一つ、火鉢に割松燃やして、この夕べ、ひとしおに勇みける。
おさん悲しさ、茂右衛門、迷惑。
「かりそめの事を申し出して、これぞ因果と思い定め、この口惜しさ、またも憂き目に、近江の海にて死ぬべき命を長らえしとても、天、我を逃がさず」と、脇差し取りて立つを、おさん押し止めて、
「さりとは短し。様々、分別こそあれ。夜明けて、ここを立ち退くべし。万事は我に任せ給え」と気を鎮めて、その夜は心よく祝言の盃取り交し、
「我は世の人の嫌い給う、ひのえ午なる」と語れば、是太郎、聞きて、
「例えば、ひのえ猫にても、ひのえ狼にても、それには構わず。それがしは、好みて青トカゲを食うてさえ死なぬ命、今年 28まで、虫腹一度起こらず。茂右衛門殿も、これにはあやかり給え。女房どもは上方育ちにして、ものに柔からなるが気にはいらねども、親類の不祥なり」と、膝枕してゆたかに臥ける。悲しき中にも、おかしくなって寝入るを待ちかね、また、ここを立ち退き、なお奥丹波に身を隠しける。
ようよう日数ふりて、丹後路に入りて、切戸の文珠堂に通夜してまどろみしに、夜半と思う時、あらたに霊夢あり。
「汝等、世に無きいたずらして、いずくまでか、その難逃れ難し。されども返らぬ昔なり。向後、浮世の姿を止めて、惜きと思う黒髪を切り出家となり、二人別れ別れに住みて、悪心去って菩提の道に入らば、人も命を助くべし」と、ありがたき夢心に、
「末すえは何になろうとも構わしゃるな。こちや、これが好きにて、身に替えての脇心、文珠様は衆道ばかりの御合点。女道はかつて知ろしめさるまじ」と言うかと思えば、厭な夢覚めて、橋立ちの松の風吹けば、
「塵の世じゃもの」と、なおなお止む事の無かりし。

5.身の上の立ち聞き
悪しき事は身に覚えて、博奕打 負けても黙り、傾城買い 取り上げられて(ぼったくられて)賢こ顔するものなり。喧嘩仕 引け取る分隠し、買い置きの商人 損を包み。これ、皆「闇がりの犬の糞」なるべし。
中にも、いたずら堅気(浮気性)の女を持ち合わす男の身にして、これほど、情け無きものは無し。おさん事も「死にければ是非も無し」と、その通りに世間をすまし、年月の昔を思い出て、憎しという心にも、僧を招きて亡き後を弔いける。あはれや、物好きの小袖も、旦那寺の幡・天蓋と成り、無常の風に翻し、さらに、また、歎きの種となりぬ。
されば、世の人ほど、大胆なるものは無し。茂右衛門、その律儀さ、闇には門へも出でさりしが、いつとなく身の事忘れて、都ゆかしく思いやりて、風俗卑しげに成し、編笠深くかづき、おさんは里人に預け置き、無用の京上り。
敵持つ身よりは、なお怖ろしく行くに、ほどなく広沢辺りより暮々になって、池に影二つの月にも、おさん事を思いやりて、おろかなる涙に袖を浸し、岩に数散る白玉は鳴瀧の山を後になし、御室北野の案内知る由して急げば、町中に入りて、何とやら怖ろしげに、十七夜の影法師も、我ながら我を忘れて、折々、胸を冷やして、住み馴れし旦那殿の町に入りて、密かに様子を聞けば、江戸銀の遅き詮索、若い者、集まって頭つきの吟味、木綿着物の仕立ぎはを改めける。これも皆、色より起こる男ぶりぞかし。
物語せし末を聞くに、さてこそ我事申し出でし、
「さてもさても、茂右衛門めは並びなき美人を盗み、惜しからぬ命、死んでも果報」と言えば、
「いかにもいかにも、一生の思い出」と言うもあり。また、分別らしき人の言えるは、
「この茂右衛門め、人間たる者の風上にも置く奴にはあらず。主人夫妻をたぶらかし、かれこれ、このためし無き悪人」と、義理を詰めて誹りける。茂右衛門、立ち聞きして、
『確か、今のは大文字屋の喜介めが声なり。あはれを知らず、憎さけに ものを言い捨てつる奴かな。おのれには預り手形にして、銀 80目の取り替え(立て替え金)あり。今の代わりに(仕返しに)首押えても取るべし』と、歯ぎしめして立ちけれども、世に隠す身の是非なく、無念の堪忍するうちに、また一人の言えるは、
「茂右衛門は今に死なずに、どこぞ、伊勢の辺りにおさん殿を連れて居るといの。よい事をしおる」と語る。
これを聞くと身に慄い出でて、俄に寒く、足早に立ち退き、三条の旅籠屋に宿借りて、水風呂にも入らず休みけるに、十七夜代待ちの通りしに、十二灯を包みて、
「我身の事、末すえ知れぬように」と祈りける。その身の邪 [よこしま]、愛宕様も何として助け給うべし。
明くれば都の名残りとて、東山、忍び忍びに四条川原に下がり、「藤田狂言つくし、三番続きの始まり」と言いけるに、
『何事やらん、見て帰りて、おさんに話しにも』と、円座借りて遠目を使い、
『もしも、我を知る人も』と、心許なく観しに、狂言も人の娘を盗む所。これさえ気味悪しく、並び先の方見れば、おさん様の旦那殿! 魂消えて、地獄の上の一足飛び。玉なる汗をかきて木戸口に駆け出で、丹後なる里に帰り、その後は京、怖がりき。
折節は菊の節句近づきて、毎年丹波より栗商人の来たりしが、四方山の話しのついでに、
「いや、こなたのお内義様は?」と尋ねけるに、首尾悪しく、返事のしても無し。旦那、苦い顔して、
「それは、てこねた(死におった)」と言われける。栗売り、重ねて申すは、
「ものには似た人も有るものかな。この奥様に微塵も違わぬ人、また若人も生き写しなり。丹後の切戸辺りに有りけるよ」と語り捨てて帰る。
亭主聞きとがめて、人遣し見けるに、おさん 茂右衛門なれば、身内、大勢催して捕えに遣し、その科逃れず。様々の詮議極め、中の使いせし、玉と云える女も、同じ道筋に引かれ、粟田口の露草とはなりぬ。
9月22日の曙の夢、さらさら、最期卑しからず、世語りとはなりぬ。
今も浅黄の小袖の面影見るように、名は残りし。