logo  気になるアート.com : 南薫造

南薫造
 絵画作品と所蔵美術館

みなみ くんぞう 1883(M16). 7.21 - 1950(S25). 1. 6

南薫造
青木繁 と近い世代の、明治の日本洋画黎明期の画家。そういう時代において、「水彩畫が見度かつたので、先づ英國」という意図で、早や東京美術学校卒業後にイギリスへ留学している。初期の頃の、柔らかい空気の人物画は、とても心地よい。
西洋女性 』1909 (M42) 61.0*73.0 渋谷区立松濤美術館

切手  書籍・画集を買う

 Title  Year  Museum  I
美校一隅
1904 (M37) 広島県立美術館
瀬戸内海
1905 (M38) 東京藝術大学大学美術館
自画像
1907 (M40) 東京藝術大学大学美術館
笛を吹く男
1907 (M40) 目黒区美術館
英国農夫の顔
1907 (M40) 広島県立美術館
赤衣の男
1907 (M40)頃 広島県立美術館
スコットランド老人
1908 (M41) 東京国立近代美術館
夕に祈る
1908 (M41) 東京国立近代美術館
二人の少女
1908 (M41) ウッドワン美術館
坐せる女
1908 (M41) 広島県立美術館
ロンドン河畔
1908 (M41) 広島県立美術館
白壁の農家
1908 (M41) 広島県立美術館
夜景
1908 (M41)頃 東京藝術大学大学美術館
(フランス女性)
1908 (M41)頃 ひろしま美術館
少女    南薫三:少女
1909 (M42) 東京国立近代美術館
西洋女性
1909 (M42) 松濤美術館
小童
1909 (M42) 広島県立美術館
日本髪の少女
1911 (M44)頃 ふくやま美術館
六月の日
1912 (M45) 東京国立近代美術館
石割り
1912 (M45) 広島県立美術館
印度アグラの聖地
1916 (T05) 郡山市立美術館
三ッ口港の景
1917 (T06) 倉敷市立美術館
1919 (T08) ふくやま美術館
農村風景2
1920 (T09)頃 広島県立美術館
牧草を刈る
1921 (T10) 呉市立美術館
すまり星
1921 (T10) 東京藝術大学大学美術館
ピアノ
1921 (T10) 広島県立美術館
木立
1923 (T12) ふくやま美術館
震災の街
1923 (T12) ふくやま美術館
こでまりのある静物
1924 (T13) 呉市立美術館
川筋の家
1925 (T14) 郡山市立美術館
山湖初秋
1926 (S01) 長野県立美術館
ピアノの前の少女
1927 (S02) ひろしま美術館
広島大本営軍務親裁
1928 (S03) 聖徳記念絵画館
細流
1928 (S03) 南薫造記念館
海浜の造船所
1928 (S03) 蘭島閣美術館
テニスコート
1929 (S04) 広島県立美術館
台湾風景
1930 (S05) 広島県立美術館
丘(朝鮮開城)
1936 (S11) ウッドワン美術館
少女3
1936 (S11)頃 広島県立美術館
池畔夏景
1937 (S12) ウッドワン美術館
洞爺湖畔
1938 (S13) ウッドワン美術館
雲の影走る
1940 (S15) 京都市京セラ美術館
雪の日
1940 (S15) 広島県立美術館
犬吠岬
1940 (S15) 広島県立美術館
高原の村の朝
1941 (S16) ひろしま美術館
曝書
1946 (S21) 広島県立美術館
1947 (S22) 呉市立美術館
麦刈り
1947 (S22) 広島県立美術館
安浦風景
1947 (S22)頃 ウッドワン美術館
瀬戸内海風景
1948 (S23)頃 郡山市立美術館
蒲刈島風景
1949 (S24) 広島県立美術館
瀬戸内
1949 (S24)頃 松濤美術館
軽井沢渓流
不明 講談社野間記念館
風景
不明 松濤美術館
風景
不明 横須賀美術館
老松のある海
不明 ふくやま美術館
不明 ふくやま美術館
軍港
不明 ふくやま美術館
川原
不明 ふくやま美術館
花だん(花園)
不明 ふくやま美術館
室内
不明 ふくやま美術館
童子
不明 ふくやま美術館
西洋婦人(B)
不明 ふくやま美術館
帽子の少年
不明 ふくやま美術館
不明 呉市立美術館
房州の小道
不明 蘭島閣美術館

【 略歴 】
 1883 (M16): 7/21 広島県 呉市 生まれ
 1902 (M35): 東京美術学校 西洋画科入学。岡田三郎助 に師事
 1907 (M40): イギリス留学
 1909 (M42): フランス,イタリア,ドイツ,オランダ,ベルギーをめぐる
 1910 (M43): アメリカに渡り、帰国。白馬会に参画
 1913 (T02): 日本水彩画会の創立に参加
 1916 (T05): インド訪問
 1924 (T13): 白日会の設立に参加
 1929 (S04): 帝国美術院会員
 1930 (S05): 「水彩畫の描き方」刊行
 1932 (S07): 東京美術学校教授
 1939 (S14): 陸軍省の嘱託として中国の戦跡を回る
 1950 (S25): 1/6 逝去