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仮名手本忠臣蔵 【 第六 】 財布の連判



 
■ お軽身売りの段
みさき踊りがしゆんだる程に、” 親仁出てみや、ばばんつ、婆ばん連れて親仁出てみや、ばばんつ ” 、麦かつ音の在郷歌。
所も名に負う山崎の小百性、與市兵衛が埴生の住家。今は、早野勘平が浪々の身の隠れ里。女房 お軽は寝乱れし髪取り上げんと櫛箱の、開け{暁}かけて戻らぬ夫、待つ間も解けし投げ島田、言うに言われぬ身の上を、誰にか、つげの水櫛に、髪の色艶すきかえし、品良くしゃんと結い立てしは、在所に惜しき姿なり。
母の齡も杖つきの、野道とぼとぼ、たち帰り、
お軽の母
( おかるの はは )
ヲヽ 娘、髪結やったか。美しゅう、よう出来た。イヤ もう、在所はどこもかも麦秋時分で忙しい。今も藪際で若い衆が麦かつ歌に ” 親仁出てみや、婆ばん連れて ” と歌うを聞く。親仁殿の遅いが気にかかり、在口まで行たれど、ようなふ(甲斐なく)影も形も見えぬ。
お軽
( おかる )
さいな、こりゃ、まぁ、どうして遅い事じゃ。わし、ひと走り、見て来やんしょ。
お軽の母
イヤ なふ、若い女の一人歩くはいらぬ事。殊にそなたは小さい時から在所を歩く事さえ嫌いで、塩谷様へ御奉公にやったれど、どうでも草深い所に縁が有るやら戻りやったが、勘平殿と二人居やれば、おとましい(嫌な)顔も出ぬ。
お軽
ヲヽ かか様の、そりゃ知れた事。好いた男と添うのじゃもの、在所はおろか、貧しい暮しでも苦にならぬ。やんがて盆になって、” と様、出てみやかかんつ、かかん連れて ” という歌の通り、勘平殿とたった二人、踊り見に行きやんしょ。お前も若い時、覚えがあろ。
と、差し合い繰らぬ(恥ずかしげもない)ぐはら娘、気も、わさわさ(ウキウキ)と見へにける。
お軽の母
なんぼ、その様に面白ろおかしゅう言いやっても、心の内はの。。
お軽
イヱ イヱ 済んでござんす。主のために祇園町へ勤め奉公に行くは、かねて覚悟のまえなれど、年寄って、とと様の世話やかしゃんすが。。
お軽の母
そりゃ、言やんな。小身者なれど、兄も塩谷様の御家来なれば、他の世話する様にも無い。
と、親子話しの中道伝い、駕籠をかかせて急ぎ来るは祇園町の一文字屋、
「ここじゃ ここじゃ」と門口から「與市平衛殿、内にか?」と言いつつ入れば、
お軽の母
これは、まぁまぁ 遠いところを。ソレ 娘、たばこ盆。お茶上げましや。
と親子して、槌でお家を掃くじんやの亭主。
一文字屋
( いちもんじや )
さて、夕べは、これの親仁殿も、いかゐ大儀。別条のう戻られましたか?
お軽の母
ヱヽ さては親仁殿と連れ立って来はなされませぬか? これはしたり、お前へ行てから、今において。。
一文字屋
ヤァ 戻られぬか。ハテ 面妖な。ハァヽ もし、稻荷前をぶらついて、かの玉殿につままりやせぬかの。コレ この中(先日)ここへ見に来て極めた通り、お娘の年も丸五年切り。給金は金百両、さらりと手を打った。この親仁が言わるるには「今夜中に渡さねばならぬ金あれば、今晩証文をしたため、百両の金子お貸しなされてくだされ」と、涙をこぼしての頼みゆえ、証文の上で半金渡し、残りは奉公人と引き換えの契約。何がその五十両渡すと悦んで戴き、ほたほた言うて戻られたは、もう四つ(PM 10:00)でもあろうかい。夜道を一人金持ていらぬものと、留めても聞かず戻られたが。ただし、道に。。
お軽
イヱイヱ 寄らしゃる所は、のう、かか様。。
お軽の母
無いとも、無いとも。殊に、一時も早う、そなたやわしに金見せて悦ばさせようとて、息せきと戻らしゃるはずじゃに、合点がいかぬ。
一文字屋
イヤコレ 合点のいく、いかぬは、そっち穿鑿。こちは、さがり(残り)の金渡して、奉公人連れて去の。
と、懐より金取り出し、
一文字屋
後金の五十両、これで都合百両。サァ 渡す、受け取らしゃれ。
お軽の母
お前、それでも親仁殿の戻られぬうちは、のぅ、軽、わが身はやられぬ。
一文字屋
ハテ ぐつぐつと埓の明かぬ。コレ ぐっとも、つすっとも言われぬ與市兵衛の印形、証文がもの言う。今日から金で買い切った体、一日違えば、れこずつ違う。どうで、かうせざ済まいと手を取って引っ立つる。
お軽の母
マァマァ 待って。
と、取り付く母親、突き退け、はね退け、無体に駕籠へ押し込み、押し込み、かき上ぐる門の口。鉄砲に蓑笠打ちかけ、戻りかかって見る勘平、つかつかと内に入り、
早野勘平
駕籠の内なは女房ども。こりゃ マァ どこへ?
お軽の母
ヲヽ 勘平殿、よいところへ、よう戻ってくださった。
と、母の悦び、
その意を得ず。
早野勘平
( はやの かんぺい )
どうでも深い訳があろ。母者人、女房ども、様子聞こう。
と、お家の真ん中、どっかと座れば、文字の亭主、
一文字屋
フゥ さては、こなたが奉公人の御亭じゃの。たとえ男でも何でも、なずけの夫などと脇より違乱、妨げ申す者、これ無く候。
と、
親仁の印形あるからは、こちには構わぬ。早う、奉公人を受け取ろう。
お軽の母
ヲヽ 婿殿、合点がいくまい。かねて、こなたに金の要る様子、娘の話で聞いた故、どうぞ調えて進ぜたいと、いうたばかりで一銭の宛もなし。そこで親仁殿の言わしゃるには、「ひょっと、こなたの気に、女房売って金調えようと、よもや思うてではあるまいけれど、もし、二親の手前を遠慮して居やしゃるまいものでもない。いっそ、この與市兵衛が、婿殿に知らさず娘を売ろう。まさかの時は切り取りするも侍の習い、女房売っても恥にはならぬ。お主の益に立つる金、調えておましたら、まんざら腹も立つまい」と、昨日から祇園町へ折極め(交渉)に行て、今に戻らしゃれぬ故、親子案じて居る中へ、親方殿がみえて「夕べ、親仁殿に半金渡し、後金の五十両と引き換えに娘を連て去のう」と言うてなれど、「親仁殿に逢うての上」と、訳を言うても聞き入れず。今、連て去なしゃるところ、どうしょうぞ、勘平殿。
早野勘平
これはこれは。まずもって、舅殿の心づかい、かたじけない。したが、こちにも、ちっと良い事があれども、それは追って。 親仁殿も戻られぬに、女房どもは渡されまい。
一文字屋
とは何故に?
早野勘平
ハテ いわば、親なり、判がかり。もっとも、夕べ、半金の五十両渡されたでもあろうけれど。
一文字屋
イヤ これ、京大阪を股にかけ、女護の島ほど奉公人を抱える一文字屋、渡さぬ金を渡したと言うて済むものかいの。まだ、その上に確かな事があるてや。これの親仁が、かの五十両という金を手拭いに、ぐるぐると巻いて懐に入れらるる。「そりゃ危ない。これに入れて首に掛けさっしゃれ」と、俺が着ている、この、ひとえ物の縞の布でこしらえた金財布貸したれば、やんがて首に掛けて戻られよう。
早野勘平
ヤァ 何と! こなたが着ている、この縞の布の金財布か?
一文字屋
ヲヽ てや。
早野勘平
あの この、縞てや。。
一文字屋
何と確かな証拠であろうが。
聞くより「はっ」と勘平が、肝先にひしと堪え、そば辺りに目を配り袂の財布見合せば、寸分違わぬ糸入り縞。
(早野勘平)
『南無三宝。さては、夕べ鉄砲で撃ち殺したは、舅であったか!』
「ハァゥ はっ」と、我が胸板を二つ玉で撃ち抜かるるより切なき思い。
とは知らずして女房、
お軽
コレ こちの人、そわそわせずと、やるものかやらぬものか、分別してくださんせ。
早野勘平
ヲヽ なるほど。ハテ もう、あのように確かに言わるるからは、行きゃらずばなるまいか。
お軽
アノ とっ様に逢わいでもかへ?
早野勘平
イヤイヤ 親仁殿にも、今朝、ちょっと逢うたが、戻りは知れまい。
お軽
フウ そんなりゃ、とっ様に逢うてかへ? それなら、そうと言いもせで、かか様にも、わしにも案じさしてばっかり。
と言うに、文字も図に乗って、
一文字屋
七度尋ねて人疑えじゃ。親仁の在り所の知れたので、そっちもこっちも心がよい。まだこの上にも四の五のあれば、いやともに出所[でんど]沙汰(裁判沙汰)。まぁまぁ さらりと済んでめでたい。お袋も御亭も六条参りして、ちと寄らしゃれ。サァサァ 駕籠に早う乗りや。
お軽
アイアイ これ勘平殿、もう、今あっちへ行ぞえ。年寄った二人の親達、どうで、こな様のみんな世話。とりわけて、とっ様はきつい持病、気を付てくださんせ。
と、親の死に目を露しらず、頼む不憫さ、いじらしさ。
(早野勘平)
『いっそ打ち明け、ありのまま、話さんにも、他人あり』
と、心を痛め、堪え居る。
お軽の母
ヲヽ 婿殿、夫婦の別れ、暇乞いがしたかろけれど、そなたに未練な気も出よかと思うての事であろ。
お軽
イヱイヱ なんぼ別れても、主のために身を売れば、悲しうも何ともない。わしゃ勇んで行く、かか様。したが、とと様に逢わずに行くのが。。
お軽の母
ヲヽ それも戻らしゃったら、つい逢いに行かしゃろぞいの。患わぬように灸据えて、息才な顔見せに来てたも。鼻紙、扇も無けりゃ不自由な。何にもよいか、とばついて(あわてて)怪我しやんな。
と、駕籠に乗るまで心をつけ、
お軽の母
さらばや。
お軽
さらば。
お軽の母
何の因果で、人並みな娘を持ち、この悲しい目を見る事じゃ。
と、歯を喰しばり泣きければ、娘は駕籠にしがみ付き、泣くを知らさじ聞かさじと、声をも立てず、むせかへる。
情けなくも駕籠かき上げ、道を速めて急ぎ行く。

■ 勘平腹切の段
母は後を見送り、見送り。
お軽の母
アヽ よしない事言うて、娘も、さぞ悲しかろ。ヲヽ こな人わいの。親の身でさえ思い切りがよいに、女房の事、ぐづぐづ思うて患うてくださんな。この親仁殿は、まだ戻らしゃれぬ事かいのう。こなた、逢うたと言わしゃったの。
早野勘平
アヽ なるほど。
お軽の母
そりゃ、まぁ、どこらで逢わしゃって? どこへ別れて行かしゃった?
早野勘平
されば、別れたその所は、鳥羽か伏見か、淀、竹田、、、
と、口から出次第。
めつぱう彌八・種が島の六・狸の角兵衛、所の狩人三人連れ、親仁の死骸に蓑うち着せて戸板に乗せ、どやどやと内に入り、「夜山しもうて戻りがけ、これの親仁が殺されてゐられた故、狩人仲間が連れてきた」
と聞くより、「はっ」と驚く母、
お軽の母
何者のしわざ! コレ 婿殿、殺した奴は何者じゃ? 敵を取ってくだされ、のう。コレ 親仁殿、親仁殿。
と、呼べど叫べど、その甲斐も泣くより他の事ぞ無き。
狩人ども、口々に「ヲヽ お袋悲しかろ。代官所に願うて詮議して貰わしゃれ。笑止(お気の毒)、笑止」と、うち連れて、皆々、我家へ立ち帰る。
母は涙の暇よりも、勘平がそばへ差し寄って、
お軽の母
コレ 婿殿、よもや、よもや。よもや、よもやとは思へども、合点がいかぬ。なんぼ以前が武士じゃとて、舅の死目見やしゃったら、びっくりもしやるはず。こなた道で逢うた時、金受け取りはさっしゃれぬか。親仁殿が何と言われた? サァ 言わっしゃれ。サァ 何と。どうも返事はあるまいがの。無い証拠はコレ、ここに。
と、勘平が懐へ手を指し入れて引き出すは、
さっきに、ちらりと見ておいた、この財布。コレ 血の付いてあるからは、こなたが親仁を殺したの。
早野勘平
イヤ それは。
お軽の母
それはとは。ヱゝ わごりよ(おめー)はなぁ、隠しても隠されぬ。天道様が明らかな。親仁殿を殺して取った、その金や。誰にやる金じゃ? ムウ 聞えた。身貧な舅、娘を売ったその金を、中で半分くすねておいて、皆やるまいかと思うて、コリャ 殺して取ったのじゃな。今という今までも律儀な人じゃと思うて欺されたが腹が立つわいやい! ヱヽ ここな人でなし。あんまり呆れて涙さえ出ぬわいやい。のぅ愛しや、與市兵衛殿。畜生の様な婿とは知らず「どうぞ元の侍にしてやりたい」と、年寄って夜も寝ずに京三界を駆け歩き、珍材(財産)を投げうって世話さしやったも、返って、こなたの身の仇となったるか。飼い飼う犬に手を食わるると、ようもようも、このように、むごたらしゅう殺された事じゃまで。コリャ どこな鬼よ、蛇よ、と様を返せ! 親仁殿を生けて戻せやい!
と、遠慮会釈もあら男の髻を掴んで引き寄せ、引き寄せ、叩きつけ、
ずだずだに切りさいなんだとて、これで何の腹が癒よ!
と、恨みの数々くどき立て、かっぱ伏して泣き居たる。
身の誤りに勘平も、五体に熱湯の汗を流し、畳に喰い付き天罰と、思い知ったる折こそあれ、
深編笠の侍二人。
原郷右衛門
( はら ごううえもん )
早野勘平、在宿をし召さるか? 原郷右衛門、千崎彌五郎、御意得たし。
とおとなえば、折り悪けれども、勘平は腰ふさぎ、脇挾んで出迎い、
早野勘平
コレハコレハ 御両所共に、見苦しきあばら家へ御出で、かたじけなし。
と、頭を下ぐれば、郷右衛門、
原郷右衛門
見れば家内に取り込みもあるそうな。
早野勘平
イヤ もう、些細な内証事。お構なくとも、いざ、まずあれへ。
原郷右衛門
しからば、左様に致さん。
と、ずっと通り、座に着けば、
二人が前に両手をつき、
早野勘平
この度、殿の御大事に外れたるは拙者が重々の誤り。申し開かん言葉もなし。何卒、それがしが科、御赦しを蒙り、亡君の御年忌、諸家中もろ共、相勤むるように御両所の御取りなし、ひとえに頼み奉る。
と、身をへり下り述べければ、
郷右衛門、取りあへず、
原郷右衛門
まずもって、その方、蓄え無き浪人の身として、多くの金子、御石碑料に調進せられし段、由良之助殿、はなはだ感じ入られしが、「石碑を営むは亡君の御菩提。殿に不忠不義をせし、その方の金子を以って御石碑料に用いられんは、御尊霊の御心にも叶うまじ」とあって、金子は封のまま、相戻さる。
と、言葉のうちより彌五郎、懐中より金取り出し、勘平が前に差し置けば、
「はっ」とばかりに気も顚倒。
母は涙ともろともに、
お軽の母
コリァ ここな悪人づら。今という今、親の罰思い知ったか! 皆様も聞てくだされ。親仁殿が年寄って後生の事は思わず、婿のために娘を売り、金調えて戻らしゃるを待ち伏せして、あのように殺して取った金じゃもの。天道様が無くば知らず、なんで御用に立つものぞ。親殺しの生き盗人に罰を当ててくだされぬは、神や仏も聞えぬ。あの不孝者、お前方の手にかけて、なぶり殺しにしてくだされ! わしゃ腹が立つわいの!
と、身を投げ、伏して泣き居たる。
聞くに驚き、両人、刀おっ取り、弓手馬手に詰めかけ、詰めかけ、彌五郎、声を荒らげ、

落合芳幾
 『 仮名手本忠臣蔵 六段目 』

千崎彌五郎
( せんざき やごろう )
ヤイ 勘平。非義非道の金取って、身の料の詫びせよとは言わぬぞよ。わがような人非人、武士の道は耳に入るまい。親同然の舅を殺し金を盗んだ重罪人は大身槍の田楽刺し、拙者が手料理振るまわん。
と、はったと睨めば、郷右衛門、
原郷右衛門
渇しても盗泉の水を飲まずとは義者のいましめ。舅を殺し取ったる金、亡君の御用金になるべきか。生得汝が不忠不義の根性にて調えたる金と推察あって、突き戻されたる由良之助の眼力、あっぱれ、あっぱれ。
ありながら、ハア? 情け無きは、この事、世上に流布あって、塩谷判官の家来 早野勘平、非義非道を行いしと云わば、汝ばかりが恥ならず亡君の御恥辱と知らざるか、うつけ者! さ程の事のわきまえ無き汝にては無かりしが、いかなる天魔が見入れし。
と、鋭き眼に涙を浮かめ、事をわけ理を責むれば、たまりかねて勘平、もろ肌おし脱ぎ、脇差を抜くより早く腹にぐっと突き立て、
早野勘平
アヽ いずれもの手前、面目も無き仕合せ。拙者が望み叶わぬ時は切腹と、かねての覚悟。我、舅を殺せし事、亡君の御恥辱とあれば、一通り申し開かん。両人ともに聞いてたべ。
夜前、彌五郎殿の御目にかかり、別れて帰る暗らまぎれ、山越す猪に出合い、二つ玉にて撃ち留め、駆け寄って探り見れば、猪にはあらで旅人。南無三宝、過ったり。薬は無きかと懐中を探しみれば、財布に入れたる、この金。道ならぬ事なれども、天より我に与うる金と、直に馳せ行き、彌五郎殿にかの金を渡し、立ち帰って様子を聞けば、撃ち留めたるは我が舅、金は女房を売った金。かほどまで、する事なす事、いすかの觜ほど違う(食い違う)というも、武運に尽きたる勘平が身のなりゆき、推量あれ。
と、血走る眼に無念の涙。
子細を聞くより、彌五郎、ずんど立ち上り、死骸引き上げ、打ち返し、ムウムウ と傷口改め、
千崎彌五郎
郷右衛門殿、これ見られよ。鉄砲疵に似たれども、これは刀でゑぐった傷。ヱヽ 勘平、早まりし。
と言うに、手負いも見てびっくり、
母も驚くばかりなり。
郷右衛門、心づき、
原郷右衛門
イヤコレ 千崎殿。アヽ これにて思い当たったり。御自分も見られし通り、ここへ来る道ばたに鉄砲受けたる旅人の死骸。立ち寄り見れば斧定九郎。強欲な親 九太夫さえ見限って勘当したる悪党者。身のたたずみ無き故に山賊すると聞いたるが、疑いもなく、勘平が舅を討ったは、きゃつが業。
お軽の母
ヱヽ そんなりゃ、あの親仁殿を殺したは、他の者でござりますえ!? ハア はっ!
と、母は手負いにすがり、
コレ 手を合わして拝みます。年寄りの愚痴な心から恨み言うたは、みな誤り。堪えてくだされ勘平殿。必ず死んでくださるな。
と、泣き詫れば、
顔ふり上げ、
早野勘平
ただ今、母の疑いも、我が悪名も晴れたれば、これを冥途の思い出とし、後より追っつき舅殿、死出三途を伴わん。
と、突っ込む刀、引き回せば、
原郷右衛門
アヽ 暫く暫く。思わずも、その方が舅の敵討ったるは、未だ武運に尽きざるところ。弓矢神の御恵みにて、一功立ったる勘平。息のあるうち、郷右衛門が密かに見する物あり。
と、懐中より一巻を取り出し、さらさらと、おし開き、
この度、亡君の敵、高師直を討ち取らんと神文を取り交わし、一味徒党の連判かくのごとし。
と、読みも終らず、苦痛の勘平、
早野勘平
その姓名は、誰々なるぞや?
原郷右衛門
ヲヽ 徒党の人数は四十五人。汝が心底見届けたれば、その方をさし加え、一味の義士四十六人。これを冥途の土産にせよ。
と、懐中の矢立取り出し、姓名を書き記し、
勘平、血判。
早野勘平
心得たり。
と、腹十文字に掻き切り、臟腑を掴んで、しっかと押し、
原郷右衛門
サァ 血判つかまった。
早野勘平
アヽ かたじけなや、ありがたや。我が望み達したり。母人歎いてくださるな、舅の最期も女房の奉公も、反古にはならぬ、この金、一味徒党の御用金。
と言うに、
母も涙ながら、財布と共に二包み、二人が前に差し出し、
お軽の母
勘平殿の魂の入ったこの財布、婿殿じゃと思うて、敵討ちの御供に連れてござってくださりませ。
原郷右衛門
ヲヽ なるほど、もっともなり。
と、郷右衛門、金取り納め、
思へば思へば、この金は縞の財布の紫摩黄金。仏果を得よ。
と言いければ、
早野勘平
アヽ 仏果とは汚らわし。死なぬ、死なぬ。魂魄、この土に留まって敵討ちの御供する。
と言う声も、早や、四苦八苦。
母は涙にかきくれながら、
お軽の母
ナウ 勘平殿、この事を娘に知らし、せめて死目に逢わしてやりたい。
早野勘平
イヤイヤイヤ 親の最期は格別。勘平が死んだ事、必ず知らしてくださるな。お主のために売ったる女房、この事聞いて不奉公せば、お主に不忠するも同然。ただ、そのままにさし置れよ。サァ 思い置く事無し。
と、刀の切先、咽にぐっと刺し貫き、かっぱと伏せ息絶えたり。
お軽の母
ヤァ もう婿殿は死なしゃったか。さてもさても、世の中におれがような因果な者が、また一人あろうか。親仁殿は死なしゃる、頼みに思う婿を先立て、いとし、かはいの娘には生き別れ。年寄ったこの母が一人残って、これがマァ、何と生きて居らりょうぞ。コレ 親仁殿、與市兵衛殿、おれも一緒に連て行てくだされ。
と、取りついては泣き叫び、また立ち上って、
コレ 婿殿、母も共に!
と、すがりついては、伏し沈み。あちらでは泣き、こちらでは泣き、「わっ」とばかりに、どふど伏し、声をはかりに歎きしは目も当てられぬ次第なり。
郷右衛門、突っ立ち上がり、
原郷右衛門
ヤァ これこれ 老母、歎かるるは理りなれども、勘平が最後の様子、大星殿に詳しく語り、入用金手渡しせば満足あらん。首に掛けたるこの金は、婿と舅の七七日、四十九日や五十両。合わせて百両、百ケ日の追善供養、後ねんごろに弔われよ。さらば、さらば。
お軽の母
おさらば。
と見送る涙、見返る涙、涙の、波の立ち返る人も、はかなき、
うきふしや。