■ 梅と桜の段
空も弥生のたそがれ時、桃井若狭之助安近の館の行儀、はき掃除。お庭の松も幾千代を守る館の執権職 加古川本藏行国、年も五十路の分別盛り。上下ため付け書院先。
歩み来るとも白洲の下人。
ナント 関内、この間はお上には、でっかち無い(たいへんな)おこしらえ。都からのお客人、昨日は鶴岡の八幡へ御社参。おびただしいお物入。アァ その金の入目が欲しい。その金があったら、この可介、名を改めて楽しむになァ。
何じゃ、名を改めて楽しむとは珍しい。そりゃ、また何と変える?
可介
ハテ 角助と改めて胴を取ってみる気。
関内
ナニ 馬鹿つらな。わりゃ知らないか? 昨日、鶴岡で、これの旦那、若狭之助様、いこう不首尾であったげな。子細は知らぬが、師直殿が大きな恥をかかせたと奴部屋の噂。定めて、また無理をぬかして、お旦那をやりこめおったであろ。
と、さがなき口々。
ヤイヤイ 何をざわざわと、やかましいお上の取り沙汰。殊に御前の御病気。お家の恥辱になる事あらば、この本藏、聞き流しおくべきや。禍いは下僕のたしなみ。掃除の役目仕舞うたら、皆行け、行け。
と和らかに。女小性が持ち出ずる煙草、輪を吹く、雲を吹く。
廊下おとなう衣の香や、本藏がほんさうの(最愛の)一人娘の小浪御寮。母の戸無瀬もろともに、しとやかに立ち出ずれば、
これはこれは、両人とも、御前のお伽(看護)は申さいで、自身の遊びか、不行儀千万。
イヱイヱ 今日は御前様、殊の外の御機嫌。今、すやすやとお休み。それで ナァ 母様。
イャ 申し、本藏殿。先ほど、御前の御物語り、昨日、小浪が鶴岡へ御代参の帰るさ、殿 若狭之助様、高師直殿、言葉争いあそばせしとのお噂。誰が言うと無くお耳に入り、それはそれは、きついお案じ。『夫 本藏、子細詳しく知りながら自らに隠すのかや』とお尋ねあそばす故、小浪に様子を尋ぬれば、これも私と同じ事。『何にも様子は存じませぬ』とのお返事。御病気のさわり、お家の恥になる事なら、、、
加古川本藏
アァ これこれ、戸無瀬、それほどのお返事、なぜ、とっ繕うて申し上げぬ。主人は生得御短慮なるお生れつき。何の、言葉争いなどとは。女わらべの口くせ。一言半句にても、舌三寸の誤りより身を果たすが刀の役目。武士の妻でないか、それほどの事に気が付ぬか。たしなみめさ、たしなみめさ。ナニ 娘。そちは、また、御代参の道すがら、左様の噂は無かりしか。ただし、あったか? ナニ 無い。ヲヽ そのはず、そのはず。ハヽヽヽヽ 何の別してもない事を。よし、よし、奥方のお心休め、直にお目にかからん。
と、立上る折こそあれ。
当番の役人罷り出で「大星由良之助様の御子息、大星力彌様、御出なり」と申し上ぐる。
加古川本藏
ムヽ お客御馳走の申し合せ、判官殿よりのお使いならん。こなたへ通せ。コレ 戸無瀬、その方は御口上受け取り、殿へその通り申し上げられよ。お使者は力彌、娘 小浪と許嫁の婿殿。御馳走申しやれ。まず、奥方へ御対面。
と、言い捨て、一間に入りにける。
戸無瀬は娘をそば近く、
戸無瀬
のう 小浪、とと様の堅苦しいは常なれど、今おっしゃった御口上、受け取る役はそなたにとありそなところを戸無瀬にとは、母が心とはきつい違い。そもじも、また、力彌殿の顔も見たかろ、逢いたかろ。母に代わって出迎いやや。嫌か嫌か?
と問い返せば、「あい」とも「嫌」とも返答は赤らむ顔のおぼこさよ。
母は娘の心を汲み、
アタヽヽ。娘、背を押てたも。
小浪
これは何とあそばせし。
と、狼狽え騒げば、
戸無瀬
イヤ のう、今朝からの心づかい、また持病の癪が差し込んだ。これでは、どうもお使者に逢われぬ。アイタヽヽ 娘、大儀ながら御口上も受け取り、御馳走も申してたも。お主と持病には勝たれぬ、勝たれぬ。
と、そろそろと立ち上がり、
娘や、随分、御馳走申しやや。したが、あまり馳走すぎ、大事の口上忘れまいぞ。わしも婿殿にアイタ
逢いたかろう{家老}の奥様は、気を通してぞ、奥へ行く。
小浪は御あと、伏拝み、伏拝み。
小浪
かたじけない、母様。日ごろ恋し、ゆかしい力彌様。逢わば、どう言を、こう言を
と、娘心のドキドキと、胸に小波を打ち寄する。
畳ざわりも故実を正し入り来る大星力彌、まだ十七の角髪や、二つ巴の定紋に大小。立派、爽やかに、さすが、大星由良之助が子息と見えし、その器量。しづしづと、座になおり、
誰そ、お取り次ぎ頼み奉る。
と、慇懃に相述ぶる。
小浪は「はっ」と手をつかへ、じっと見交わす顔と顔。互いの胸に恋人と、ものも、ゑ言わぬ赤面は、梅と桜の花相撲に枕の行司無かりけり。
小浪、ようよう胸し鎮め、
小浪
これはこれは、御苦労千万に、ようこそお出で。
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ただ今の御口上、受け取る役は私。御口上の趣を、お前の口から私が口へ直におっしゃってくださりませ。
とすり寄れば、
身を控え、
落合芳幾
『 仮名手本忠臣蔵 二段目 』
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大星力彌
ハァ これはこれは不作法千万。惣じて、口上受け取り渡しは、行儀作法第一。
と、畳をさがり手をつかへ、
主人 塩谷判官より若狭之助様への御口上。
「『明日は管領 直義公へ未明より、相詰め申すはずのところ、定めてお客人も早々にお出であらん。しかれば、判官・若狭之助両人は、正七つ時(AM 4:00)に、きっと御前へ相詰めよ』と、師直様より御仰せ。万事間違いの無きように、今一応お使者に参れ」と、主人 判官申し付け候故、右の仕合せ、この通り、若狭之助様へ御申し上げくださるべし。
と、水を流せる口上に、小浪はうっかり顔見とれ、とこう答え[いらえ]も無かりけり。
ヲヽ 聞いた聞いた。使い、大儀。
と、若狭之助、一間より立ち出で、
昨日お別れ申してより、判官殿、間違うて(行き違いになって)お目にかからず。なるほど、正七つ時に貴意得奉らん。委細、承知仕る。判官殿にも御苦労千万と、宜しく申し伝えてくれられよ。お使者、大儀。
大星力彌
しからば、お暇申し上げん。ナニ お取次ぎの女中、御苦労。
と、しづしづ立って見向きもせず、衣紋繕い、立ち帰る。
■ 松伐りの段
本藏、一間より立ち替わり、
加古川本藏
ハァ 殿、これに御入り。いよいよ、明朝は正七つ時に御登城。御苦労千万。今宵も最早、九つ。しばらく御まどろみあそばされよ。
桃井若狭之助
なるほど、なるほど、イヤ なに、本藏、その方に、ちと用あり。密々の事、小浪を奥へ、奥へ。
加古川本藏
ハァ こりゃこりゃ 娘、用事あらば手を打とう。奥へ、奥へ。
と娘を追いやり、合点のいかぬ主人の顔色と、御そばへ立ち寄り、
加古川本藏
先ほどより、お伺い申さんと存ぜしところ、委細つぶさに御仰せくださるべし。
と、さし寄れば
にじり寄り、
桃井若狭之助
本藏、今、この若狭之助が言い出す一言、何によらず畏り奉ると、二言と返さぬ誓言、聞こう。
加古川本藏
ハァ これはこれは、改まったお言葉。畏り入奉るではござれども、武士の誓言は、、
桃井若狭之助
ならぬと言うのか!
加古川本藏
イヤ さにあらず。まず、委細、とっくと承り、、
桃井若狭之助
子細を言わせ、後で意見か。
加古川本藏
イヤ それは。。
桃井若狭之助
言葉を背くか! サァ 何と。
加古川本藏
ハッ はっ、
とばかり、さし俯き、暫く言葉無かりしが。。
胸を極めて指添抜き、片手に刀抜き出し、ちょうちょうちょうと、金打ちし、
本藏が心底かくの通り。とどめも致さず、他言もせぬ。まず、思召しの一通りお急きなされずと、本藏めが胃の腑に落ち着くように、とっくりと承らん。
と、相述ぶる。
桃井若狭之助
ムヽ 一通り語って聞かせん。このたび、管領 足利左兵衛督直義公、鶴岡造営ゆえ、この鎌倉へ御下向。御馳走の役は塩谷判官、それがし両人承るところに、尊氏将軍よりの仰せにて、高師直を御添入。「万事、彼が下知に任せ、御馳走申し上げよ。年配といい、諸事、もの馴れたる侍」と、御意に従い、勝つに乗って日頃のわがまま十倍増し。都の諸武士並居る中、若年のそれがしを見込み、雑言過言。真っ二つにと思えども、お上の仰を憚り、堪忍の胸を押さえしは幾たび。明日は、もはや了簡ならず。御前にて恥面かかせる武士の意地。その上にて討って捨つる。必ず止めるな。日頃、それがしを短慮なりと、奥をはじめ、その方が意見。幾たびか胸に、とっくと合点なれども、無念重なる武士の性根。家の断絶、奥が歎き、思わんにては無けれども、刀の役目、弓矢神への恐れ。戦場にて討ち死にはせずとも、師直一人討って捨つれば天下のため。家の恥辱には代えられぬ。必ず必ず、短気ゆえに身を果す若狭之助、猪武者よ、うろたえ者と、世の人口を思う故、汝にとっくと打ち明かす。
と、思い込んだる無念の涙、五臓を貫く思いなる。
横手を打って、
加古川本藏
したり、したり。ムヽ よう訳をおっしゃった。よう御了簡なされた。この本藏なら、今まで、了簡はならぬところ。
桃井若狭之助
ヤイ 本藏、ナヽ 何と言った。今までは、よう了簡した、堪忍したとは、わりゃ、この若狭之助をさみ(軽蔑)するか。
加古川本藏
これは、お言葉とも覚えず。冬は日陰、夏は日面て、避けて通れば門中にて、行き違いの喧嘩口論無いと申すは町人の譬え。武士の家では杓子定規、避けて通せば方図が無いと申すのが、本藏めが誤りか。御言葉さみ致さぬ心底、御覧に入れん。
と、御そばの小刀抜くより早く、書院なる、召し替え草履かたし(片方)、片手の早寝刃、とっくと合わせ、縁先の松の片枝ずっぱと斬って、手ばしかく鞘に納め、
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サァ 殿、まず、この通りに、さっぱりとあそばせ、あそばせ。
桃井若狭之助
言うにや及ぶ。人や聞く。
と辺りに気をつけ、
加古川本藏
今夜はまだ九つ(AM 0:00)。ぐったりと一休み。枕時計の目覚し、本藏めがしかけ置く。早く早く。
桃井若狭之助
ヲヽ 聞き入れあって満足せり。奥にも逢うて余所ながらの暇乞い。モウ 逢ぬぞよ、本藏。さらば、さらば。
と言い捨てて、奥の一間に入り給う。武士の意気地は是非もなし。
御後ろかげ見送り、見送り、勝手口へ走り出で、
加古川本藏
本藏が家来ども、馬引け、早く!
と言う間もなく、股立ち、しゃんと凛々しげに、御庭に引き出せば、縁よりひらりと打乗って、
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加古川本藏
師直の館まで、続けや、続け!
と乗り出す。
北尾政美
『 浮絵仮名手本忠臣蔵 二段目 』
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沓にすがって、戸無瀬、小浪、
戸無瀬・小浪
コレコレ どこへ? 始終の様子は聞きました。歳にこそよれ、本藏殿、主人に御異見も申さず、合点ゆかぬ。留めます。
と、母と娘が、ぶらぶらぶら 沓にすがり留むれば、
加古川本藏
ヤァ 小差し出た(出しゃばるな)。主人のお命、お家のため思う故に、この仕儀。必ず、この事、殿へ御沙汰致すな。お耳へ入れたら娘は勘当、戸無瀬は夫婦の縁を切る。家来ども、道にて諸事を言い付けん。そこ退け、両人。
戸無瀬・小浪
イヤイヤイヤイヤ。
加古川本藏
シャ 面倒な!
と鐙の端、ひとあて、はっしと当れられて、うんとばかりに、のっけに反るを見向きもせず、
「家来、続け」と馬煙り、追っ立て、打ち立て、力足踏み立ててこそ、
駆けり行く。