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仮名手本忠臣蔵 【 第九 】 山科の雪転


■ 雪転しの段
風雅でも無く、洒落れで無く、しょうことなしの山科に、由良之助が侘び住まい。祇園の茶屋に昨日から雪の夜明し、朝戻り。太鼓・中居に送られて、酒がほたへる(ふざけて)雪こかし(転がし)。雪はこけいで、雪こかされ、人体捨てし(立場を捨てた)遊びなり。
太鼓持ち
旦那、申し、旦那、お座敷の景ようござります。
お庭の藪に雪持ってなった所、とんと絵に描いた通り、けうとい(すばらしい)じゃないか、のう、お品。
お品
サァ この景を見て、他へはどっちへも行きとうはござりますまいがな。
大星由良之助
( おおぼし ゆらのすけ )
ヘッ 『朝夕に 見ればこそあれ 住吉の 岸の向いの 淡路島山』という事知らぬか。自慢の庭でも内の酒は呑めぬ、呑めぬ。ヱヽ 通らぬ奴、通らぬ奴。サァサァ、奥へ奥へ。奥は何処にぞ、お客がある
と、先に立って飛石の、言葉もしどろ、足取りもしどろに、見ゆる酒機嫌。
お石
( おいし )
お戻りそうな。
と女房のお石が軽う汲んで出る。茶屋の茶よりも気のはな香が、
お寒からろう。
と悋気せぬ言葉の塩茶、酔い覚まし。
一口飲んで、後、打ち明け(庭にこぼし)、
大星由良之助
ヱ 奥、無粋なぞや、無粋なぞや。折角、面白う酔うた酒覚めせとは。アヽヽアヽ 降ったる雪かな。いかに余所の和郎達が、さぞ悋気とや見給うらん。それ、雪は打綿に似て、飛で中入れとなり。奥は、かか様と言えば、とっと世帯じむと言えり。加賀の二布へお見回りの遅いは御用捨、伊勢海老と盃、穴の稻荷の玉垣は、朱うなければ信が覚めるという様なものかい。ヲイ これこれこれ、こぶら返りじゃ、足の大指折った折った。おっとよし、おっとよし。ついでに、こうじゃと、足先で。
お石
アァ これ、ほたえさしやんすな。たしなみしやんせ。酒が過ぎるとたわいがない。ほんに世話でござろうの。
と、もの柔らかにあいしらう。
力彌、心得、奥より立ち出で、
大星力彌
( おおぼし りきや )
申し申し、母人、親父様は御寢なったか? これ上げられい。
と差し出す親子が所作を塗り分けても、下地は同じ桐枕。
大星由良之助
ヲヽヲヽ
応は夢うつつ。
大星力彌
イヤ もう、皆、去にやれ。
太鼓持ち
ハイハイハイ、そんならば旦那へ宜しう。
『若旦那、ちと御出で』を目使いで、去に際悪う帰りける。
声聞えぬまで行き過ぎさせ、由良之助、枕を上げ、
大星由良之助
ヤァ 力彌、遊興に事寄せ丸めた、この雪。所存あっての事じゃが、何と心得たぞ?
大星力彌
ハッ 雪と申すものは、降る時には少の風にも散り、軽い身でござりましょうとも、あのごとく一致して丸まった時は、嶺の雪吹に岩をも砕く大石同然。重いは忠義。その重い忠義を思い丸めた雪も、あまり日数を延べ過しては、と思し召しての、、
大星由良之助
イヤイヤ、由良之助親子、原郷右衛門など四十七人連判の人数は、ナ 皆、主なしの日陰者。日陰にさへ置けば溶けぬ雪。急く事は無いという事。ここは日当り、奥の小庭へ入れておけ。螢を集め雪を積むも学者の心長き例。女ども、切戸、内から開けてやりやれ。堺への状、したためん。飛脚が来たらば知らせいよ。
大星力彌
アイアイ、
あいの切戸の内、雪こかし込み戸を立つる襖、 引き立て入りにける。

■ 山科の段
人の心の奥深き山科の隠れ家を、尋ねてここにくる人は、加古川本藏行国が女房 戸無瀬。道の案内の乗物をかたへに待たせ、ただ一人。刀脇差すがげに、行儀乱さず、庵の戸口。
戸無瀬
( となせ )
頼みましょう、頼みましょう。
という声に、襷外して飛んで出る、昔の奏者、今のりん。「どうれ」と言うも、つかふどなる(つっけんどんである)。
ハッ 大星由良之助様お宅はこれかな。左様ならば、加古川本藏が女房 戸無瀬でござります。誠に、その後はうち絶えました。ちと、お目にかかりたい様子につき、はるばる参りましたと、伝られてくだされ。
と、言い入れさせて、表の方、
乗物これへ。
と、かき寄せさせ、
娘、ここへ。
と呼び出せば、谷の戸開けて、鶯の梅見つけたる、ほほ笑顔。ま深に着たる帽子の内。
小浪
( こなみ )
アノ 力彌様のお屋敷は、もう、ここかへ。わしゃ恥しい。
と、媚かし。
取り散らす物、片づけて、「まず、お通りなされませ」と、下女が伝える口上に、
戸無瀬
駕籠の者、皆帰れ。
御案内頼みます。
と言うも、いそいそ 娘の小浪、母に付き添い、座に直れば、
お石、しとやかに出で迎い、
お石
これはこれは、お二方とも、ようぞや御出で。とくより(早く)お目にもかかるはず、お聞及びの今の身の上、お尋ねに預り、お恥しい。
戸無瀬
あの改まったお言葉、お目にかかるは今日初めなれど、先達って御子息 力彌殿に、娘 小浪を許嫁いたしたからは、お前なり私なり、あひやけ(姑)同士、御遠慮には及ばぬ事。
お石
これはこれは、痛み入る御挨拶。ことに御用しげい(忙しい)本藏様の奥方、寒空といい、思いがけない御上京。戸無瀬様はともあれ、小浪御寮、さぞ都珍しかろう。祇園・清水・知恩院・大佛様御覧うじたか? 金閣寺拝見あらば、よい伝があるぞえ。
と、心おきなき挨拶に、
ただ、
小浪
あい、あい。
も口の内、帽子まばゆき風情なり。
戸無瀬は行儀改めて、
戸無瀬
今日参る事、余の儀にあらず。これなる娘 小浪、許嫁いたして後、御主人 塩谷殿不慮の儀に付き、由良之助様・力彌殿、御在所も定かならず。移り変わるは世の習い、変わらぬは親心、とやかくと聞き合わせ、この山科にござる由、承りました故、この方にも時分の娘、早うお渡し申たさ。近頃、押し付けがましいが、夫も参るはずなれど、出仕に暇のない身の上、この二腰は夫が魂。これを差せば、すなわち、夫 本藏が名代と、私が役の二人前。由良之助様にも御意得まし、祝言させて落ち着きたい。幸い、今日は日柄もよし、御用意なされくださりませ。
と、相述ぶる。
お石
これは思いも寄らぬ仰せ。折悪う、夫 由良之助は他行。さりながら、もし宿におりましてお目にかかり申そうならば、「御親切の段、千万かたじけのう存じまする。許嫁いたした時は、故殿様の御恩に預り、御知行頂戴致しまかりある故、本藏様の娘御を貰ましょう、しからばくれよう、と言い約束は申したれども、ただいまは浪人。人使いとてもござらぬ内へ、いかに約束なればとて、大身な加古川殿の御息女、世話に申す提灯に釣鐘。釣り合わぬは不縁のもと。ハテ 結納を遣わしたと申すでは無し、どれへなりと他々へ、御遠慮のう遣わされませ」と申さるるでござりましょう。
と、聞いて「はっ」とは思いながら、
戸無瀬
アノ まあ、お石様のおっしゃる事、いかに卑下なされようとて、本藏と由良之助様、身上が釣り合わぬとな。そんならば申しましょう。手前の主人は小身ゆえ、家老を勤める本藏は五百石。塩谷殿は大名、御家老の由良之助様は千五百石。すりゃ、本藏が知行とは千石違うを合点で許嫁はなされぬか。ただ今は御浪人。本藏が知行とは、みな違うてから五百石。
お石
イヤ そのお言葉、違いまする。五百石はさておき、一万石違うても、心と心が釣り合えば、大身の娘でも嫁に取まいものでもない。
戸無瀬
ムヽ こりゃ、聞きどころ。お石様、心と心が釣り合わぬとおっしゃるは、どの心じゃ!? サァ 聞こう。
お石
主人 塩谷判官様の御生害、御短慮とはいいながら、正直を元するお心より起こりし事。それに引きかえ、師直に金銀をもって媚びへつらう追従武士の禄を取る本藏殿と、二君に仕えぬ由良之助が大事の子に、釣り合わぬ女房は持たされぬ。
と、聞きもあえず膝立て直し、
戸無瀬
へつらい武士とは誰が事! 様子によっては聞き捨てられぬ!
そこを許すが、娘のかわいさ。夫に負けるは(従う)女房の常。祝言あろうがあるまいが、許嫁あるからは、天下晴れての力彌が女房。
お石
ムヽ 面白い。女房ならば夫が去る(離縁する)。力彌に代わって、この母が去った、去った。
と言い放し、心隔ての唐紙(襖)を、はたと引き立て入りにける。
娘はわっと泣き出し、
小浪
折角、思い思われて許嫁した力彌様に逢せてやろ、とのお言葉を頼りに思うて来たものを、姑御の胴欲(不人情)に去られる覚えは、私ゃ無い。母様、どうぞ詫言して祝言させてくださりませ。
と、すがり歎けば、
母親は、娘の顔をつくづくと、うちながめ、
戸無瀬
親の欲目(ひいき目)か知らねども、ほんに、そなたの器量なら十人並にも勝った娘。よい婿をがなと詮義して許嫁した力彌殿。訪ねて来た甲斐ものう、婿に知らさず去ったとは義理にも言われぬ、お石殿。姑去りは心得ぬ。ムヽムヽ さては浪人の身の寄るべのう筋目を言い立て、有徳な町人の婿になって、義理も法も忘れたな。
ナフ 小浪。今言う通りの男の性根。去ったと言うを面当て、欲しがるところは山々。他へ嫁入りする気はないか? コレ 大事のところ。泣かずとも、しっかりと返事しや。コレ どうじゃ? どうじゃ?
と、訊ねる親の気は張り弓。
小浪
アノ 母様の胴欲な事おっしゃります。国を出る折り、とと様のおっしゃたは「浪人しても大星力彌。行儀といい器量といい、幸せな婿を取った。貞女両夫にまみえず、たとえ、夫に別れても、またの夫をもうけなよ。主ある女の不義同然。必ず必ず、寝覚めにも殿御大事を忘るるな。由良之助夫婦の衆へ孝行尽くし、夫婦仲睦じいとて、あじやらにも(かりそめにも)悋気ばしして去らるるな。案ぜようかとて隠さずと、身持ち(懐妊)になったら早速に知らせてくれ」とおっしゃったを、私や、よう覚てゐる。去られて去んで、とと様に苦に苦をかけて、どう言うてどう言い訳があろうとも、力彌様より他に余の御殿、わしゃ、嫌、嫌。
と一筋に恋を立てぬく心根を、
聞くに絶えかね母親の涙一途に突き詰めし、覚悟の刀抜き放せば、
母様、これは何事!?
と押し留められて、顔を上げ、
戸無瀬
何事とは曲がない。今もそなたがいう通り、一時も早う祝言させ初孫の顔見たいと、娘に甘いは父の習い。悦んでござる中へ、まだ祝言もせぬ先に、去られて戻りましたとて、どう連れて去なりょうぞ。と言うて、先に(先方が)合点せにゃ、しよう模様も無いわいの。ことに、そなたは先妻の子。わしとはなさぬ仲じゃ故、およそ(おろそか)にしたかと思われては、どうも生てはゐられぬ義理。この通りを、死んだ後で父御へ言い訳してたもや。
小浪
アノ 勿体ない事おっしゃります。殿御に嫌われ、私こそ死すべきはずはず。生きてお世話になる上に、苦を見せまする不孝者。母様の手にかけて私を殺してくださりませ。去られても殿御の家、ここで死ぬれば本望じゃ。早う、殺してくださりませ。
戸無瀬
ヲツヲ よう言やった、でかした。そなたばかり殺しはせぬ。この母も三途の供、そなたをおれが手に掛けて、母も追っつけ後から行く。覚悟はよいか。
と立派にも涙止めて立ちかかり、
コレ 小浪、アレ あれを聞きゃ。表に虚無僧の尺八 ” 鶴の巣籠 ”。
『鳥類でさえ子を思うに、科もない子を手に掛けるは、因果と因果の寄り合い』
と思えば足も立ちかねて、震う拳をようように振り上ぐる刃の下、
尋常に座をしめ、手を合わせ、
小浪
南無阿弥陀仏。
と唱る中より、
お石
御無用!
と、声かけられて思わずも、たるみし拳。尺八も共に、ひっそりと静まりしが、
戸無瀬
ヲヽ そうじゃ、今「御無用」と留めたは、虚無僧の尺八よな。助けたいが山々で、無用と言うに気遅れし、未練なと笑われな。娘、覚悟はよいかや?
と、また振り上ぐる。
また、吹き出す。とたんの拍子に、また、
お石
御無用!
戸無瀬
ムヽ また、御無用と留めた修行者の手の内か、振り上げた手の内か?
お石
イヤ お刀の手のうち、御無用。倅 力彌に祝言させよう。
戸無瀬
ヱヽ そういう声はお石様。そりゃ真実か、誠か。
と尋ぬる襖の内よりも、” 逢いに相生の 松こそ めでたかりけれ ” と、祝義の小謡。白木の小西方、目八分に携え出で、
お石
義理ある仲の一人娘、殺そうとまで思い詰めた戸無瀬様の心底、小浪殿の貞女、志がいとおしさ、させにくい祝言さす。その代わり、世の常ならぬ嫁の盃、受け取るこの三方、御用意あらば。
と、さし置けば、
少しは心休まりて、抜いたる刀、鞘に納め。
戸無瀬
世の常ならぬ盃とは、引出物の御所望ならん。この二腰は夫が重代。刀は正宗、差添は浪の平行安、家にも身にも代えぬ重宝。これを引出、
と皆まで言わさず、
お石
浪人とあなどって価の高い二腰。まさかの時に売り払え、と言わぬばかりの婿引出。御所望申すは、これではない。
戸無瀬
ムヽ そんなら何が御所望ぞ?
お石
この三方へは、加古川本藏殿の、お首を載せて貰いたい。
戸無瀬
ヱヽ!!! そりゃ、また、何故な!?
お石
御主人 塩谷判官様、高師直にお恨みあって、鎌倉殿で一刀に斬りかけ給う。その時、こなたの夫 加古川本藏、その座にあって抱き留め、殿を支えたばっかりに御本望も遂られず、敵はようよう薄手ばかり。殿は、やみやみ(むざむざと)御切腹。口へこそ出し給はね、その時の御無念は、本藏殿に憎しみがかかるまいか、あるまいか? 家来の身として、その加古川が娘、安閑と女房に持つような力彌じゃと思うての祝言ならば、この三方へ本藏の白髪首。嫌とあれば、どなたでも首を並べる尉と嫗(こちらの夫婦)。それ見た上で盃さしょう。サヽサァ 否か、応かの返答を!
と、鋭き言葉の理屈詰め。
親子は「はっ」と、さし俯き、途方に暮れし折りからに、
加古川本藏
( かこがわ ほんぞう )
加古川本藏が首、進上申す。お受け取りなされよ。
と、表に控えし虚無僧の、笠脱ぎ捨てて、しづしづと内へ入るは、
小浪
ヤァ お前は、とゝ様!
戸無瀬
本藏様、ここへ、どうしてこの形は? 合点がいかぬ、こりゃ、どうじゃ。
と、とがむる女房。
加古川本藏
ヤァ ざわざわと見苦しい。始終の子細、皆聞いた。そち達に知らせず、ここへ来た様子は追って。まず、黙れ。
その元が、由良之助殿御内証 お石殿よな。今日の仕儀、かくあらんと思い、妻子にも知らせず、様子を窺う加古川本藏。案に違わず拙者が首、婿引出に欲しいとな? ハヽヽヽヽ。いやはや、そりゃ侍の言う事。主人の仇を報わんという所存も無く遊興に耽けり、大酒に性根を乱し放埓なる身持、日本一の阿呆の鏡。蛙の子は蛙になる、親に劣らぬ力彌めが大だはけ。うろたえ武士のなまくら刃金。この本藏が首は切れぬ。馬鹿尽くすな!
と、踏砕く。
破れ三方の縁離れ、こっちから婿に取らぬ。ちょこざいな(生意気な)女め。
と言いも果てず、
お石
ヤァ 過言なぞ、本藏殿。浪人の錆刀、切れるか切れぬか、あんばい見しょう。不肖ながら、由良之助が女房。望む相手じゃ、サァ 勝負、勝負、勝負。
と、裾引き上げ、長押に掛けたる槍おっ取り、突っかからんず、その気色。
戸無瀬
これは短気な、マァ 待て。
と、留め隔つる女房娘、
加古川本藏
邪魔ひろぐな!
と、荒けなく、右と左へ引き退くる。
間もあらせず突っかくる。
槍のしほ首、引っ掴み、もじって払えば身を背け、諸足縫わんとひらめかす。刃棟を蹴って蹴り上ぐれば、
拳放れて取り落す。槍、奪われじと走り寄り、
腰際帯際引っ掴み、どうど打ち付け、動かせず。膝にひっ敷く強気の本藏。
敷かれてお石が無念の歯がみ。
親子は「はぁはぁ」危ぶむ中へ、
駆け出る大星力彌、捨たる槍を取る手も見せず、本藏が馬手の肋、弓手へ通れと突き通す。
「うん」とばかりに、かっぱと伏す。「コハ 情なや」と、母娘、取り付き嘆くに目もかけず、止め刺さんと取り直す。
落合芳幾
 『 仮名手本忠臣蔵 九段目 』
大星由良之助
ヤァ 待て! 力彌。早まるな。
と、槍、引き止めて、由良之助。手負に向い、
一別以来珍らしし本藏殿、御計略の念願届き、婿 力彌が手にかかって、さぞ、本望でござろうの。
と、星を指いたる(図星を指した)大星が言葉に、本藏、目を見開き、
加古川本藏
主人の欝憤を晴らさんと、このほどの心使い。遊所の出合いに気を緩ませ、徒党の人数は揃いつらん。
思えば貴殿の身の上は本藏が身にあるべきはず。当春、鶴岡造営のみぎり、主人 桃井若狭之助、高師直に恥しめられ、もってのほか憤り。それがしを密かに召され、まつかうまつかう(かくかく、しかじか)の物語り。「明日、御殿にて出くわせ、一刀に討ち止むる」と思い詰めたる御顔色。止めても止まらぬ若気の短慮。小身ゆえに、師直に賄賂薄きを根に持って恥しめたると知ったる故、主人に知らせず不相応の金銀・衣服・台の物、師直へ持参して心に染まぬへつらいも、主人を大事と存ずるから。賄賂おおせ、あっちから謝って出た故に、斬るに斬れぬ拍子抜け。主人が恨みもさらりと晴れ、相手代わって、塩谷殿の難儀となったは、すなわち、その日。相手死なずば切腹にも及ぶまじ、と抱き留めたは、思い過した本藏が一生の誤りは、娘が難儀としらがの、この首。婿殿に進ぜたさ。
女房娘を先へ上し、媚へつらいしを身の科に、お暇を願うてな、道を変えて、そち達より二日前に京着。若い折の遊芸が役にたった四日の内、こなたの所存を見抜いた本藏。手にかかれば恨みを晴れ、約束の通り、この娘、力彌に添わせてくださらば、未来永劫、御恩は忘れぬ。コレ 手を合して頼み入る。忠義にならでは捨ぬ命、子ゆえに捨つる親心、推量あれ、由良殿。
と、言うも涙にむせ返れば、妻や娘はあるにもあられず、
小浪
ほんに、こうとは露知らず、死に遅れたばっかりに、お命捨つるはあんまりな。冥加の程が恐ろしい。赦してくだされ、父上!
と、かっぱと伏して泣き叫ぶ。
親子が心思いやり、大星親子三人も、共にしおれて居たりしが、
大星由良之助
ヤァヤァ 本藏殿、「君子は、その罪を憎んで、その人を憎まず」と云えば、縁は縁、恨みは恨みと、格別の沙汰もあるべきにと、さぞ恨みに思はれん。が、所詮、この世を去る人。底意を開けて見せ申さん。
と、未前を察して、奥庭の障子さらりと引き開くれば、雪をつかねて石塔の五輪の形を二つまで造り立てしは、大星が成り行く果てを表せり。
戸無瀬は賢しく、
戸無瀬
ムヽ 御主人の仇を討って後、二君に仕えず消ゆるというお心の、あの雪。力彌殿もその心で娘を去ったの胴欲は、御不憫あまって、お石様恨みたが、わしゃ悲しい。
お石
戸無瀬様のおっしゃる事、玉椿の八千代までとも祝われず、後家になる嫁取った。この様な、めでたい悲しい事は無い。こういう事が嫌さに、むごう辛う言うたのが、さぞ憎かったでござんしょのう。
戸無瀬
イヽヱイナ 私こそ腹立つまま、町人の婿になって義理も法も忘れたかと言うたのが恥しいやら、悲しいやら。どうも顔が上げられぬ、お石様。
お石
戸無瀬様、氏も器量も勝れた子、何として、この様に果報拙い生れや。
と、声も涙にせき上ぐる。
本藏、熱き涙を抑え、
加古川本藏
ハッアヽ 嬉しや、本望や。呉王を諫めて誅せられ辱を笑いし伍子胥が忠義は取るに足らず。忠臣の鏡とは、唐土の豫讓、日本の大星。昔より今に至るまで、唐と日本にたった二人。その一人を親に持つ力彌が妻に成ったるは、女御・更衣に備わるより百倍勝って、そちが身は武士の娘の手柄者。手柄な娘が婿殿へ、お引きの目録進上。
と、懐中より取出すを、
力彌、取って、おし戴き開き見れば、コハ いかに! 目録ならぬ、師直が屋敷の案内、一々に。玄関・長屋・侍部屋・水門・物置・柴部屋まで、絵図に詳しく書きつけたり。
由良之助、「はっ」と、おし戴き、
大星由良之助
ヘッヱ ありがたし、ありがたし。徒党の人数は揃えども、敵地の案内知れざる故、発足も延引せり。この絵図こそは、孫・呉が秘書。我がための「六韜」「三略」。かねて夜討と定めたれば、継ぎ梯子にて塀を越し忍び入るには、縁側の雨戸外せば直に居間。ここを仕切って、
大星力彌
こう攻めて、
と、親子が喜び。
手負いながらも、ぬからぬ本藏。
加古川本藏
イヤイヤ、それは僻事ならん。用心厳しき高師直、障子・襖は皆、尻差し。雨戸に合栓・合枢、こぢては外れず、掛け矢にて、こぼたば(壊せば)音して用意せんか、それ如何?
大星由良之助
ヲヽ それにこそ術あれ。凝っては思案にあたわずと、遊所よりの帰るさ思い寄ったる前栽の雪持つ竹、雨戸を外す我が工夫。仕様をここにて見せ申さん。
と庭に。折しも雪深く、さしもに強き大竹も、雪の重さに、ひいわりとしわりし竹を引き回して鴨居にはめ、
雪にたわむは弓同然。このごとく、弓をこしらえ弦を張り、鴨居と敷居にはめ置いて、一度に切って放つ時は、まっ、この様に、
と、積ったる枝打ち払らえば、雪散って、伸びるは直ぐなる竹の力。鴨居たわんで溝外れ、障子残らず、ばたばたばた。
本藏、苦しさうち忘れ、
加古川本藏
ハヽア したり、したり。計略といい、義心といい、かほどの家来を持ちながら、了簡もあるべきに、浅きたくみ{浅野内匠}の塩谷殿、口惜しき振る舞いや。
と、悔みを聞くに、御主人の御短慮なる御仕業。今の忠義を戦場のお馬先にて尽くさばと、思えば無念に閉じ塞がる。胸は七重の門の戸を、漏るるは涙ばかりなり。
力彌は、しづしづ降り立って、父が前に手をつかへ、
大星力彌
本藏殿の寸志により敵地の案内知れたる上は、泉州堺の天河屋義平方へも通達し、荷物の工面仕らん。
と聞くもあへず、
大星由良之助
何さ何さ、山科にあること隠れなき、由良之助。人数集めは人目あり。ひとまず、堺へ下って後、あれから、すぐに発足せん。その方は、母、嫁、戸無瀬殿もろともに、後の片付き諸事万事、何もかも心残りの無き様に、ナ、ナ コリャ 明日の夜、舟に下るべし。我は幸い、本藏殿の忍び姿を我が姿。
と、袈裟うち掛けて編笠に、恩を戴く報謝返し、未来の迷い晴らさんため。
今宵一夜は嫁御寮へ。舅が情の恋慕流し。
歌口しめして立ち出ずれば、
かねて覚悟のお石が歎き、
お石
御本望を。
とばかりにて、名残惜しさの山々を言わぬ心のいじらしさ。
手負いは、今を知死期時。
歌川広重『 忠臣蔵 九段目 』
小浪
とと様、申し、とと様~!
と呼べど応えぬ断末魔。親子の縁も玉の緒も切れて一世の浮世別れ。
「わっ」と泣く母、泣く娘。ともに死骸に向い、地の、回向念仏は恋無常。
出で行く足も立ち止まり、六字の御名を笛の音に ” 南無阿弥陀仏。南無阿弥陀 ”。これや尺八煩悩の、枕並ぶる追善供養。閨の契りは一夜ぎり。心残して、
立ち出ずる。