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信長公記(巻の10)

巻の10 の現代語表記と登場人物関連のページです。

巻の10
 1577 (天正 5) 年 丁丑
10-01:
雑賀御陣の事
正月 2日、三州 吉良
(愛知県西尾市)
の御鷹野より、安土 御帰陣。
正月14日、御上洛。二条 妙覚寺へ御成り。隣国の面々等、播州の 浦上遠江守・
別所小三郎別所長治 ・若州の武田、各々 在京侯て、御礼申し上げ、天下の儀、仰せ付けらる。
正月 25日、御下り。
2月 2日、紀州 雑賀
(和歌山県和歌山市)
の内、三緘の者、ならびに、根来寺 杉之坊杉之坊 、御味方の色を立て申すべきの御請け申すにつきて、すなわち、30日に御動座なさるべきの趣、御国々へ仰せ出ださる。
8日に御出京あるべきのところ、雨降に侯て延引。
9日に御上洛。二条 妙覚寺 御泊。
秋田城介信忠織田信忠 、尾州・濃州の御人数 召し具せられ、9日に御出馬。その日、柏原
(滋賀県米原市)
に御陣取り、10日には飛騨
(滋賀県彦根市)
の城、 蜂屋兵庫頭蜂屋頼隆 の所に御泊。
11日、守山
(滋賀県守山市)
に御居陣。
伊勢の国司: 北畠中将信雄卿織田信雄織田上野守織田信包神戸三七信孝織田信孝 、各々御出勢。尾・濃・江・勢 4ヶ国の御人数、勢田・松本・大津に陣取るなり。五畿内衆は申すに及ばず、越州・若州・丹後・丹波・播磨衆、京表へ罷り出で、御動座の御伴を相待ち、在陣なり。
2月13日、信長公、城都より直ちに淀川を越させられ、八幡
(京都府八幡市)
に至りて御陣取。
14日に雨降り、御滞留。東国の御人数、真木島・宇治の橋をうち渡り、先兵風雨を凌ぎ、ことごとく参陣なり。
2月15日、信長公、八幡より若江
(大阪府東大阪市)
まで御着陣。
16日、和泉の内、香庄
(大阪府岸和田市)
に御陣取。
国中の一揆、貝塚
(大阪府貝塚市)
という所、海手を抱え、舟を引き付け、立て籠もる。
翌日、先陣の衆、貝塚へ取り懸け攻め干さるべきのところ、夜に入り、舟に取り乗り罷り退き侯。少々退後の者、討ち捕り、頸を香庄へ持ち来なり、御目に懸く。
17日、根来衆 杉之坊杉之坊 参り、御礼申し上げ、雑賀表 御一篇の御請け、申し候ひき。
2月18日、佐野
(大阪府佐野市)
の郷に至りて御陣を移さる。
22日、志立
(大阪府泉南市)
へ御陣を寄せられ、浜手・山方両手を分けて、御人数差し遣わさる。山方へは根来 杉之坊杉之坊 ・三緘衆を案内者として、 佐久間右衛門佐久間信盛羽柴筑前守羽柴秀吉荒木摂津守荒木村重別所小三郎別所長治別所孫右衛門別所重宗堀久太郎堀秀政 、雑賀の内へ乱入し、端々焼き払う。
御敵、小雑賀川を前にあて、川岸に柵をつけ、相抱え、 堀久太郎堀秀政 人数、どっと打ち入り、向うの川岸まで乗り渡し侯ところ、岸高く侯て馬も上らず、
ここを肝要と、鉄砲を以て相抱え候間、 堀久太郎堀秀政 、能き武者 数輩討たせ、引き退く。その後、川を限って取り詰め、 稲葉稲葉一鉄 父子 ・ 氏家左京亮氏家直昌飯沼勘平飯沼長継 、先陣通路 御警固として、紀ノ川 渡り口に陣を懸けらる。
浜手の方へ遣わされ侯 御人数: 瀧川左近滝川一益惟任日向明智光秀惟住五郎左衛門丹羽長秀
永岡兵部大輔細川藤孝筒井順慶筒井順慶 ・大和衆。谷の輪口より先は、道一筋にて節所侯間、くじ取りにして 3手に作りて、山と谷へ乱入。中筋道通り、 長岡兵部大輔細川藤孝惟任日向守明智光秀 打ち入られ侯のところ、雑賀の者ども罷り出で、相支え、一戦に及ぶ。
秋田城介信忠織田信忠北畠中将信雄織田信雄織田上野守織田信包神戸三七信孝織田信孝 、2の目を押しつけ御出で、 永岡細川藤孝 が内: 下津権内下津権内 、一番鎗を合せ、比類なき働きなり。以前も、 岩成主税岩成友通 の大関と組討ちして、手柄の仁にて侯なり。 → #6-10
ここにても、究寛の者討ち捕り、所々焼き払い、中野
(和歌山県和歌山市)
の城取巻き、攻めさせられ侯ヘき。
2月28日、丹和まで、信長公 御陣を寄せられ、これによって、中野の城、降参申し退散なり。すなわち、 秋田城介信忠織田信忠 御請け取り侯て、御居陣なり。
2月晦日、信長公、丹和
(大阪府泉南郡)
を御立ちなさる。この時、 下津権内下津権内 召し出だされ、御対面なされ、御訊を加えられ、諸人の中の面目・高名、これに過ぐべからず。その日は、野陣を懸けさせられ、当表 駆け回し御覧じ計らわる。
3月朔日、 瀧川滝川一益惟任明智光秀蜂屋蜂屋頼隆永岡細川藤孝筒井筒井順慶 ・若狭衆に仰せ付けられ、
鈴木孫一( 鈴木重秀 )鈴木重秀 が居城 取り詰め、竹たぼを以て攻め寄せ、城楼を上り、日夜、荒々と攻められ、
『 何方へも懸け合せ能き様に 』と、おぼし召さる。
3月 2日、信長公、山方・浜手 両陣の中、鳥取
(大阪府阪南市)
の郷:若宮八幡宮へ御陣を移さる。 堀久太郎堀秀政不破河内不破光治丸毛兵庫丸毛長照武藤惣左衛門武藤舜秀福富平左衛門福富秀勝
中條将監中條家忠山岡美作山岡景隆牧村長兵衛 ( 牧村利貞 )牧村利貞福田三河福田三河守丹羽右近丹羽氏勝
水野大膳水野正長生駒市左衛門 ( 生駒一吉 )生駒一吉生駒三吉 ( 生駒一正 )生駒一正 、これら 根来口へ差し遣わされ、小雑賀・紀伊ノ川より取り続き、山手に陣取らせ、御在陣なり。

10-02:
内裡 御築地の事
さるほどに、京都には、雑賀表 御陣の儀、取々 申すにつきて、且つは御祈祷、且つは禁中御修理の成就、めでたきの間、 村井長門守村井貞勝 馳走仕り、
「 内裡 御築地、洛中として築せられ侯てしかるべき 」の由侯ところ、上下「もっとも」、一同の御請けなり。すなわち、 村井長門村井貞勝 警固仕る。
3月12日より、番々につもり、請取の手前手前、無台を飾り、児若衆、ここを肝要と華やかに、花車・風流を、我も我もと出立ちて、笛・太鼓、鳴物の拍子を合せ、老若共に浮き立ちて舞躍し、御築地つかれ侯。
折節、嵯峨・千本の花、今を盛りと時めきて、花を手折り、袖をつらね、舞台の焼物、衣香 辺りを払って四方に薫じ、貴賎群集をなし、見物なり。そもそも、御門・百敷の大宮人・女御・更衣等、かほど面白き御遊覧これなく、各詩歌を遊ばし、御歓喜 斜ならず、即時に出来し畢んぬ。

10-03:
御名物召し置かるゝの事
雑賀表、多人数、永々御在陣。忘国、迷惑致し、 土橋平次 ( 土橋守重 )土橋守重鈴木孫一鈴木重秀
岡崎三郎大夫・松田源三大夫・岡本兵大夫・島本左衛門大夫・栗本二郎大夫、以上 7人連署を以て誓紙を致し、大坂の儀、御存分に馳走仕るべきの旨、御請け申すにつきて、御赦免なさる。
3月21日、信長公 御馬を納められ、香庄
(大阪府岸和田市)
に至りて御陣取。次の日、御逗留。佐野の村に御要害仕るべきの旨、仰せ付けらる。 佐久間右衛門佐久間信盛惟任日向守明智光秀
惟住五郎左衛門丹羽長秀羽柴筑前守羽柴秀吉荒木摂津守荒木村重 、残し置かせられ、
杉之坊杉之坊津田太郎左衛門織田信張 、定番に置かる。
3月23日、若江
(大阪府東大阪市)
まで御帰陣。
一 「化狄」
(*1)
、天王寺屋の龍雲 所持のところを、召し上げらる。
一 「開山
(村田珠光)
の蓋置」、 今井宗久今井宗久 進上。
一 「二銘の茶杓」、これまた、召し上げらる。
3種の代物、金銀を以て仰せ付けらる。
次の日、3月24日、八幡、御泊。
25日、御帰洛。二条 妙覚寺に御帰宿。
3月27日、安土に至りて御帰城。

*1
:「貨狄」。花入れ。本能寺の変にて焼失

10-04:
二条 御新造 御移徒の事
7月 3日、奥州 伊達伊達輝宗 、御鷹のぼせ、進上。
後 7月 6日、御上洛。二条 御新造へ御移徒。

10-05:
近衛殿 御方 御元服の事
後 7月12日、 近衛 ( 近衛前久 )近衛前久 殿 御方 御元服の御望みに侯。昔年より、禁中にて御祝言の御事侯の間、
「 当時、その例、もっとも 」の旨、再往再三、御辞退侯といえども、しきりに上意侯間、是非に及ばず。御ぐし御はやしなされ、御元服 職掌の儀丈 相調え、摂家・清花、その他、隣国の面々、大名・小名御出仕あり。
御祝儀として、御服十重ね・御太刀代 万疋・長光の御腰物・金子 50枚、以上。
信長 御面目の次第、なかなか申すばかりなく、天下の儀 仰せ付けらる。
後 7月13日御下り。その日は勢田
(滋賀県大津市)
山岡美作山岡景隆 所に御泊り。
次日、安土御 帰城。

10-06:
柴田 北国 相働くの事
8月 8日、 柴田修理亮柴田勝家 :大将として、北国へ御人数 出だされ侯。
瀧川左近滝川一益羽柴筑前守羽柴秀吉惟住五郎左衛門丹羽長秀斎藤新五斎藤利治氏家左京亮氏家直昌伊賀伊賀守安藤守就稲葉伊予稲葉一鉄不破河内守不破光治前田又左衛門前田利家佐々内蔵介佐々成政原彦二郎原政茂金森五郎八金森長近
若狭衆、賀州へ乱入。添川・手取川うち越え、小松村・本折村・阿多賀
(石川県小松市)
・富樫
(石川県加賀市)
の所々 焼き払い、在陣なり。
羽柴筑前羽柴秀吉 、御届けをも申し上げず、帰陣仕り侯段、
「 曲事!!!」の由、御逆鱗なされ、迷惑申され侯。

10-07:
松永謀叛 並びに 人質御成敗の事
大坂表へ差し向け侯 付城 天王寺に、定番として、 松永弾正松永久秀 ・ 息右: 衛門佐松永久通 、置かれ侯ところに、8月17日、謀叛を企て、砦を引き払い、大和の内 信貴の城へ立て籠もる。
「 何篇の子細侯や? 存分申し上げ侯て、望みを仰せ付けらるべき 」の趣、 宮内卿法印松井友閑 を以て御尋ねなされ侯へども、逆心を挿み侯の間、罷り出でず。
「 この上は 松永松永久通 出だし置き侯人質、京都にて御成敗なさるべき 」の由にて、御奉行: 矢部善七郎 ( 矢部家定 )矢部家定福富平左衛門福富秀勝 に仰せ付けられ、彼の子ども、
永原
(滋賀県野洲市)
佐久間與六郎( 佐久間盛明 )佐久間盛明 所に預けおかれ侯、京都へ召し上げられ、未だ 12,13、倅 2人、いずれも男子にて、「死ぬる子、見め良し」と申す喩の如く、姿・形・心も、ゆうに優しき者どもに侯。
村井長門守村井貞勝 、宿所に留め、
「 明日は内裡へ走り入り、助け申すべき 」の由、申し聞かせ、「 髪結い、衣装も美しく改め、出立しかるべき 」の由、申し侯のところ、
「 それはもっともの事とても、命、御助けはあるまじきものを 」と申し、
「 とかく、親兄弟の方へ、文を遣わし侯へ 」と申され侯へば、硯を請い、筆を染め、
「 この上は、親の方への文いらぬ 」由、申し侯て、「 日頃、 佐久間與六郎佐久間盛明 所にて、懇の情、くれぐれ、ありがたき 」とばかり遣わし、そのまま罷り出で、上京一条の辻にて 2人の子ども車に乗せ、六条河原まで引かせられ侯。
都鄙の貴賤して見物仕り侯。色をも違えず、最後おとなしく、西に向い、ちいさき手を合せ、2人の者ども高声に念仏唱え、、 生害。。
見る人、肝を消し、聞く人も涙せきあえず、哀れなる有様、なかなか目もあてられぬ様体なり。
9月27日、 秋田城介信忠織田信忠 、御人数出ださる。その日は、江州 飛騨
(滋賀県彦根市)
の城、 蜂屋兵庫守蜂屋頼隆 所に御泊。
9月28日、安土にて 惟住五郎左衛門丹羽長秀 が所に御寄宿。翌日 御逗留。

10-08:
片岡の城 攻め干さる事
9月29日 戌刻(20:00)、西に当りて、希にあるの客星ほうき星、出で来るなり。
松永弾正松永久秀 一味として、片岡
(奈良県北葛城郡)
の城へ、の・ゑびな という者 立て籠もる。 攻め衆: 永岡兵部大輔細川藤孝惟任日向守明智光秀筒井順慶筒井順慶 ・山城衆。
10月 1日、片岡の城へ取り懸け、攻められ侯。 永岡與一郎細川忠興 ・ 同弟: 頓五郎細川昌興 、兄は 15、弟は 13、未だ若輩にて一番に乗り入れ、内の者ども続いて飛び入り、即時に攻め破り天主へ詰め寄せ、内より鉄砲・矢数 射尽し、斬って出で働く事、火花を散らし、鍔を割り、ここを先途と相戦い、城主:森・ゑびな はじめとして、150余り討ち死侯。
永岡細川藤孝 が手の者、30余人討ち死させ、 與一郎細川忠興頓五郎細川昌興 、兄弟 高名なり。 惟任日向守明智光秀 、これまた、手を砕き、究竟の者 20余人討たせ、粉骨の働き、名誉の事なり。
年にも足らざる両人の働き、比類なきの旨、御感なされ、かたじけなくも、信長公、御感状下しなさる。後代の面目なり。

10-09:
信貴城 攻め落さるるの事
10月朔日、 秋田城介信忠織田信忠 、安土をうち立って、 山岡美作山岡景隆 が所に御泊。翌日、真木島に御陣取。 同 3日には信貴の城へ押し詰め、御陣を居させられ、城下ことごとく放火なされ、御在陣なり。
北国 賀州表へ差し遣わされたる御人数、国中の耕作 薙ぎ拾て、御幸塚
(石川県小松市)
、御普請丈夫にこしらえ、 佐久間玄蕃 ( 佐久間盛政 )佐久間盛政 を入れ置く。大正寺
(石川県加賀市)
、これまた、普請申しつけ、いずれも 柴田修理亮柴田勝家 人数入れらる。
10月 3日、北国表の諾勢、帰陣なり。
10月10日の晩に、 秋田城介信忠織田信忠佐久間佐久間信盛羽柴羽柴秀吉惟任明智光秀惟住丹羽長秀 、諸口 仰せ付けられ、信貴の城へ攻め上げられ、夜攻めにさせらる。
防戦、弓折れ矢尽き、 松永松永久秀 、天主に火を懸け、焼き死侯。
奈良の大仏殿、先年 10月10日の夜、炎焼。ひとえにこれ、 松永松永久秀 の仕業を以て、3国に隠れなき大伽藍事、故なく灰燼となる。その因果、忽ち歴然にて、
誠に鳥獣も足を立つべき地にあらず高山嶮所を、たやすく 城介信忠織田信忠 、鹿ノ角の御立て物、振り立て振り立て攻めさせられ、日頃、案者と聞えし 松永松永久秀 、詮なき企して、己れと猛火の中に入り、部類・脊属一座に焼き死。
客星出来、鹿ノ角の御立物にて攻めさせられ、大仏殿 炎焼の月日時刻 変わらざる事、「ひとえに春日明神の所為なり」と、諾人、舌を巻く事。

10-10:
中将信忠御位の事
10月12日、 秋田城介信忠織田信忠 、御上洛。二条 妙覚寺 御寄宿。今度、 松永松永久秀 早速御退治の御褒美として、かけまくも、かたじけなく、御院宣なされ、「三位中将」に叙せらる。御父子とも御果報、なかなか御名誉、申すばかり無し。
三條殿まで御祗侯あって、御祝言の御太刀代として、黄金 30枚、叡覧に備え奉る。三條殿へも御礼これあり。
10月 15日、安土に至りて御下着。信長公へ 松永松永久秀 父子一門 御退治の趣、仰せ上げらる。
10月17日、岐阜に御帰陣。
10月23日、 羽柴筑前守秀吉羽柴秀吉 、播州に至りて出陣。
10月28日、播磨 国中、夜を日に継いで駆け回り、ことごとく人質 執固む。
「 霜月(11月) 10日頃には、播磨表 隙明申すべき 」の旨、注進申し上げられ侯ところ、
「 早々、帰国仕るべきの趣、神妙 」におぼしめされ侯由、かたじけなくも、御朱印を以て仰せ出でられ侯。
しかりといえども、『 今の分にても、さしたる働きこれ無し 』と、 羽柴筑前守秀吉羽柴秀吉 存知られ、直ちに但馬国へ相働く。まず、山口 岩洲
(兵庫県朝来市)
の城、攻め落す。この競いに、小田垣 立て籠もる竹田
(兵庫県朝来市)
へ取り懸け、これまた退散。すなわち、普請申しつけ、 木下小一郎羽柴秀長 を城代として、入れおかれ侯へき。

10-11:
御鷹山猟 御参内の事
霜月(11月) 13日、信長公、御上洛。二条 御新造へ御座を移さる。
霜月(11月) 18日、御鷹山猟として御参内。いずれも思い思いの御出立ち、興あり。頭巾、一興を催し、皆、狩杖などまで金銀に濃させられ、御結構の次第、申すばかりなし。
御先 1段: 御弓衆 100ばかり、各々下され候 虎の皮の御うつぼ、一様に付けられ、
2段: 御年寄衆、この中、御鷹 14足 居えさせられ侯へし御衆にて侯なり。
信長公、これも御鷹居えさせられ、前後は御小姓衆・御馬廻、光り耀き、ありとあらゆる花車風流、我も我もと、一手ずつ美々しく御出で立ち、心ことば及び難く、面白き御遊覧、京都の責賎、耳目を驚かし侯へき。
そもそも、内裡、日の御門より入られ、かたじけなくも、小御所 御局の内まで、御馬廻ばかり召し列れらる。その時、御折を御弓の衆に下され、かたじけなく頂戴。
御鷹、御叡覧の後、達智門へ出でさせられ、直ちに東山に御鷹つかはされし折節、にわかに大雪降り来なりて、御鷹、風に落とされ、大和国内之郡まで飛び行く。御秘蔵の御鷹に侯間、万方御尋ねなされ侯。
次の日、大和国 越智玄蕃という者、御鷹居え、上進仕り侯。御機嫌 斜ならず。すなわち、御褒美として、御服一重ね・御秘蔵の駮の御馬 下され、その上、年来旧領の知行、闕所に罷りなり無足仕り侯を、
「 望みの儀に侯はば、仰せ付けらるべし 」と、上意に侯間、右の趣 申し上げ侯ところに、これまた、安堵 御朱印 下しなされ、かたじけなき次第、申すに足らず。
ただ「禍福は天にあり」とは、この節なり。

10-12:
但馬・播磨、羽柴に申し付けらるるの事
霜月(11月) 27日、熊見川うち越え、御敵城 上月
(兵庫県佐用郡)
へ、 羽柴筑前守秀吉羽柴秀吉 相働き、近辺 放火侯て、福岡野
(兵庫県佐用郡)
の城取り詰め、 小寺官兵衛
(黒田如水)

竹中半兵衛 ( 竹中重治 ) 竹中重治 、しかっしとこ、 宇喜多和泉守( 宇喜多直家 )宇喜多直家 後巻として人数を出だし侯。 羽柴筑前守秀吉羽柴秀吉 懸け合い、足軽を追い崩し 数十人討ち払い、引き返し、上月の城取巻き、攻められ侯。
7日目に、城中の者、大将の頸を斬り取り、持て来なり侯て、
「 残党の命 助けられ侯様に 」と歎き申し侯を、上月城主の頸、すなわち安土へ進上致し、信長に御目に懸けらる。
上月に立て籠もる残党、ことごとく引き出だし、備前・美作 両国の境目に磔にことごとく懸けおく。上月の城には、山中鹿介 入れ置かる。福岡野の城、これまた、攻め破り、頸数 250余 斬り捨て、存分に申しつけられ侯。
今度、北国より帰陣仕り、御折檻 迷惑の故、『 西国にてしかるべき可責をいたし、これを土産に仕るべし 』と存知せられ、夜を日に継ぎ 駆け廻り、 羽柴筑前羽柴秀吉 、粉骨の働き、比べ無き題目なり。
信長、天下の儀 仰せ付けられ、12月 3日、京都より安土に至りて御帰城。

10-13:
三州吉良へ御鷹野の事
12月10日、三州 吉良
(愛知県西尾市)
御鷹野に御出で。
「 近日に、 羽柴筑前羽柴秀吉 罷り上るべく侯。今度、但馬・播磨 申しつけ侯 御褒美として、「おとごせの御釜」下さるる 」の由にて、取り出だしおかれ、
「 罷り参り次第、筑前に渡し侯へ 」と、仰せ付けられ侯。かたじけなき御事なり。
信長公、その日は、佐和山 惟住丹羽長秀 が所に御泊。次の日、捶井
(岐阜県不破郡)
に御成り。
12日、岐阜に至りて御座を移され、翌日、御逗留。
14日、雨降り候といえども、尾州 清洲 御下着。
12月15日、三州 吉良まで御成りあって、鴈・鶴、余多 取り飼いなされ、
19日には濃州 岐阜へ御出で。さるほどに、路次にて暖怠の者 御座候を、信長、御手討ちに仰せ付けられ侯。
12月21日には、安土まで日通しに御帰城なり。

10-14:
中将信忠へ御名物11種参らるるの事
12月28日、 岐阜中将信忠卿織田信忠 、安土に至りて御出で、 惟住五郎左衛門丹羽長秀 所へ御泊。
信長公より御名物の御道具、参らせられ候。御使:寺田善右衛門。
一 「初花」 一 「末花」 一 「雁絵」 一 「竹子 花入」
一 「くさり」 一 「藤波の御釜」 一 「道三茶碗」 一 「内赤盆」   8種
また、次の日、参らせられ侯。この時の御使: 宮内卿法印松井友閑
一 「周徳 茶杓」 一 古市播州 所持の「藤はし」
一 大黒あん 所持の「瓢箪の炭入」  3種





この巻の登場人物と他巻リンク

織田信長 [43歳]

明智光秀 [49] あけち みつひで

 織田の家臣。惟任日向守
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-03: 御名物召し置かるるの事
 10-08: 片岡の城 攻め干さる事
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 11-01: 御茶の湯の事
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...
 12-01: 摂津国 御陣の事
 12-05: 丹波国 波多野兄弟 張...
 12-06: 赤井悪右衛門 退参の事
 12-12: 謀書の事
 12-13: 伊丹城 謀叛の事
 12-18: 伊丹城 相果たし、御成...
 13-08: 因幡・伯耆両国に至り...
 13-11: 佐久間・林佐渡・丹羽...
 14-01: 御爆竹の事
 14-02: 御馬揃えの事
 14-07: 8月朔日 御馬揃えの事
 15-05: 木曾義政 忠節の事
 15-14: 人数備えの事
 15-25: 家康公・穴山梅雪 御上...
 15-26: 羽柴筑前守秀吉、備中...
 15-29: 明智日向 西国出陣の事
 15-31: 明智日向守 逆心の事
 15-32: 信長公 本能寺にて御腹...
 15-33: 中将信忠卿、二条にて...
 15-34: 江州安土城御留守居衆...
 2-01: 六条合戦の事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-10: 志賀御陣の事
 4-05: 叡山御退治の事
 5-01: 武者小路 御普請の事
 5-03: 奇妙様 御具足初めに 虎後...
 6-02: 公方様御謀叛 付17ヶ条
 6-03: 石山・今堅田 攻められ候...
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-08: 真木島にて御降参 公方様...
 6-09: 大船にて高島へ御働き、木...
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 8-03: 河内国新堀城攻め干され...
 8-06: 禁中において親王様 御鞠...
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 9-03: 原田備中、御津寺へ砦 討...

荒木村重 [42] あらき むらしげ

安藤守就 [74] あんどう もりなり

飯沼長継 [--] いいぬま ながつぐ

生駒一正 [22] いこま かずまさ

生駒一吉 [--] いこま かずよし

稲葉一鉄 [62] いなば いってつ

今井宗久 [57] いまい そうきゅう

岩成友通 [没] いわなり ともみち

宇喜多直家 [48] うきた なおいえ

氏家直昌 [--] うじいえ なおまさ

織田信雄 [19] おだ のぶかつ

織田信包 [34] おだ のぶかね

織田信孝 [19] おだ のぶたか

織田信忠 [22] おだ のぶただ

 信長の嫡男。秋田城介
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-07: 松永謀叛 並びに 人質...
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 10-10: 中将信忠御位の事
 10-14: 中将信忠へ御名物11種...
 11-01: 御茶の湯の事
 11-03: 回禄せし御弓衆 御折檻...
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-10: 小相撲の事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...
 12-01: 摂津国 御陣の事
 12-03: 二条殿・烏丸殿・菊庭...
 12-05: 丹波国 波多野兄弟 張...
 12-06: 赤井悪右衛門 退参の事
 12-07: 荒木 伊丹城・妻子捨て...
 12-14: 氏政 甲州表へ働きの事
 13-05: 阿賀の寺内 申し付くる...
 13-08: 因幡・伯耆両国に至り...
 13-09: 大坂退散の事
 14-01: 御爆竹の事
 14-02: 御馬揃えの事
 14-06: 因幡国 鳥取城 取り詰...
 14-07: 8月朔日 御馬揃えの事
 14-11: 伊賀国へ 信長 御発向...
 15-01: 御出仕の事
 15-02: 御爆竹の事
 15-03: 伊勢大神宮 上遷宮の事
 15-05: 木曾義政 忠節の事
 15-06: 信州 高遠の城、中将信...
 15-08: 武田四郎 甲州 新府 退...
 15-09: 信長公 御乱入の事
 15-10: 武田四郎 父子 生害の事
 15-12: 武田典厩 生害、下曾禰...
 15-18: 諸勢 帰陣の事
 15-19: 御国割りの事
 15-20: 恵林寺 御成敗の事
 15-22: 信州 川中島表、森勝蔵...
 15-25: 家康公・穴山梅雪 御上...
 15-33: 中将信忠卿、二条にて...
 15-34: 江州安土城御留守居衆...
 5-03: 奇妙様 御具足初めに...
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 7-09: 河内長島一篇に仰せ付けら...
 8-03: 河内国新堀城攻め干され...
 8-04: 三州 長篠 御合戦の事
 8-12: 菅九郎殿 岩村 御存分に仰...
 8-13: 菅九郎殿 御位の事
 9-01: 安土 御普請の事

織田信張 [50] おだ のぶはる

金森長近 [53] かなもり ながちか

近衛前久 [41] このえ まえひさ

斎藤利治 [36] さいとう としはる

佐久間信盛 [49] さくま のぶもり

 織田の家臣。佐久間右衛門
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-03: 御名物召し置かるるの事
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-11: 大船 堺津にて御見物の事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...
 13-01: 播州 三木落居の事
 13-03: 大坂退散 御請け誓紙の事
 13-09: 大坂退散の事
 13-11: 佐久間・林佐渡・丹羽...
 15-02: 御爆竹の事
 0-09: 備後守 病死の事
 0-18: 勘十郎殿 林 柴田 御敵の事
 0-23: 鳴海之城へ御砦の事
 0-24: 今川義元 討ち死の事
 1-04: 信長御入洛十余日の内に...
 2-06: 阿坂の城 退散の事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-06: 落窪合戦の事
 3-07: たけくらべ・かりやす砦の事
 3-10: 志賀御陣の事
 4-03: 大田口合戦の事
 4-04: 志むら攻め干さるるの事
 5-02: 交野へ 松永 砦仕り侯て 追...
 5-03: 奇妙様 御具足初めに 虎後...
 5-04: 味方ヶ原合戦の事
 6-05: 百済寺伽藍 御放火の事
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-08: 真木島にて御降参 公方様...
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 7-04: 蘭著待 切り取らるるの事
 7-05: 佐々木承禎、石部城退散の事
 7-09: 河内長島一篇に仰せ付けら...
 8-03: 河内国新堀城攻め干され...
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 8-14: 御家督 御譲りの事
 9-04: 御後巻 再三 御合戦の事
 9-05: 西国より大船を催し 木津...

佐久間盛明 [--] さくま もりあき

 織田の武将。佐久間與六郎
 10-07: 松永謀叛 並びに 人質...
 15-30: 信長公 御上洛の事

佐久間盛政 [23] さくま もりまさ

佐々成政 [41] さっさ なりまさ

柴田勝家 [55] しばた かついえ

 織田の家臣。柴田修理亮
 10-06: 柴田 北国 相働くの事
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 12-06: 赤井悪右衛門 退参の事
 12-16: 親王様 二条御新造へ行...
 13-04: 能登・加賀両国、柴田...
 13-05: 阿賀の寺内 申し付くる...
 13-11: 佐久間・林佐渡・丹羽...
 13-12: 賀州一揆 歴々 生害の事
 14-01: 御爆竹の事
 14-02: 御馬揃えの事
 14-06: 因幡国 鳥取城 取り詰...
 15-11: 越中富山の城、神保越...
 15-12: 武田典厩 生害、下曾禰...
 0-09: 備後守 病死の事
 0-12: 深田松葉 両城 手替わりの事
 0-15: 柴田権六 中市場 合戦の事
 0-18: 勘十郎殿 林 柴田 御敵の事
 0-25: 家康公 岡崎の御城へ...
 1-04: 信長御入洛十余日の内に...
 2-06: 阿坂の城 退散の事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-06: 落窪合戦の事
 3-07: たけくらべ・かりやす砦の事
 3-10: 志賀御陣の事
 4-03: 大田口合戦の事
 4-04: 志むら攻め干さるるの事
 5-02: 交野へ 松永 砦仕り侯て 追...
 5-03: 奇妙様 御具足初めに...
 6-03: 石山・今堅田 攻められ候...
 6-05: 百済寺伽藍 御放火の事
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 7-04: 蘭著待 切り取らるるの事
 7-09: 河内長島一篇に仰せ付けら...
 8-03: 河内国新堀城攻め干され...
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...

下津権内 [--] しもづ ごんない

杉之坊  [--]  すぎのぼう

鈴木重秀 [--] すずき しげひで

滝川一益 [52] たきがわ かずます

竹中重治 [33] たけなか しげはる

伊達輝宗 [33] だて てるむね

中條家忠 [--] ちゅうじょう いえただ

土橋守重 [--] つちはし もりしげ

筒井順慶 [28] つつい じゅんけい

丹羽氏勝 [54] にわ うじかつ

丹羽長秀 [42] にわ ながひで

 織田の家臣。惟住五郎左衛門
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-03: 御名物召し置かるるの事
 10-06: 柴田 北国 相働くの事
 10-07: 松永謀叛 並びに 人質...
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 10-13: 三州吉良へ御鷹野の事
 10-14: 中将信忠へ御名物11種...
 11-01: 御茶の湯の事
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-14: 安部二右衛門 御忠節の事
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...
 12-01: 摂津国 御陣の事
 12-03: 二条殿・烏丸殿・菊庭...
 12-05: 丹波国 波多野兄弟 張...
 12-09: 宇治橋 取り懸けの事
 12-10: 北畠中将殿 御折檻状の事
 12-18: 伊丹城 相果たし、御成...
 13-01: 播州 三木落居の事
 13-05: 阿賀の寺内 申し付くる...
 14-02: 御馬揃えの事
 14-03: 高天神 干殺し 歴々 討...
 14-04: 和泉 巻尾寺 破滅の事
 14-06: 因幡国 鳥取城 取り詰...
 14-09: 能登・越中 城々破却の事
 14-10: 伊賀国、三介殿に仰せ...
 14-11: 伊賀国へ 信長 御発向...
 15-14: 人数備えの事
 15-19: 御国割りの事
 15-23: 信長公 甲州より御帰陣...
 15-25: 家康公・穴山梅雪 御上...
 15-28: 家康公・穴山梅雪、奈...
 0-05: 景清 あざ丸刀の事
 0-40: 加治田之城 御味方に参る事
 0-41: 犬山両おとな 御忠節の事
 0-42: 濃州 伊木山へ御上りの事
 0-43: 堂洞砦 攻めらるの事
 1-04: 信長御入洛十余日の内に...
 2-05: 名物 召され置きの事
 2-06: 阿坂の城 退散の事
 3-02: 名物 召し置かるるの事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-07: たけくらべ・かりやす砦の事
 3-08: 姉川合戦の事
 3-10: 志賀御陣の事
 4-01: 佐和山城 渡し進上の事
 4-04: 志むら攻め干さるるの事
 4-06: 御修理造り畢るの事
 5-01: 武者小路 御普請の事
 5-03: 奇妙様 御具足初めに...
 6-03: 石山・今堅田 攻められ候...
 6-05: 百済寺伽藍 御放火の事
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 7-02: 前波生害、越前一揆蜂起の事
 7-04: 蘭著待 切り取らるるの事
 7-09: 河内長島一篇に仰せ付けら...
 8-01: 御分国 道作り 仰せ付けら...
 8-02: 公家領 徳政にて仰せ付け...
 8-03: 河内国新堀城攻め干され...
 8-04: 三州 長篠 御合戦の事
 8-06: 禁中において親王様 御鞠...
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 9-01: 安土 御普請の事
 9-04: 御後巻 再三 御合戦の事

羽柴秀長 [37] はしば ひでなが

羽柴秀吉 [40] はしば ひでよし

 織田の家臣。羽柴筑前守
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-03: 御名物召し置かるるの事
 10-06: 柴田 北国 相働くの事
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 10-10: 中将信忠御位の事
 10-12: 但馬・播磨、羽柴に申...
 10-13: 三州吉良へ御鷹野の事
 11-01: 御茶の湯の事
 11-04: 磯野丹波・磯貝新左衛...
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-07: 洪水の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...
 12-03: 二条殿・烏丸殿・菊庭...
 12-05: 丹波国 波多野兄弟 張...
 12-07: 荒木 伊丹城・妻子捨て...
 12-14: 氏政 甲州表へ働きの事
 13-01: 播州 三木落居の事
 13-05: 阿賀の寺内 申し付くる...
 13-08: 因幡・伯耆両国に至り...
 13-11: 佐久間・林佐渡・丹羽...
 14-03: 高天神 干殺し 歴々 討...
 14-06: 因幡国 鳥取城 取り詰...
 14-07: 8月朔日 御馬揃えの事
 14-12: 因幡国 鳥取 果て口の事
 14-13: 伯耆国 南条表 発向の事
 14-14: 淡路島 申し付けらるる...
 14-15: 悪党 御成敗の事
 15-02: 御爆竹の事
 15-05: 木曾義政 忠節の事
 15-13: 中国表 羽柴筑前 働き...
 15-26: 羽柴筑前守秀吉、備中...
 1-04: 信長御入洛十余日の内に...
 2-06: 阿坂の城 退散の事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-07: たけくらべ・かりやす砦の事
 3-08: 姉川合戦の事
 3-10: 志賀御陣の事
 4-02: 箕蒲合戦の事
 5-03: 奇妙様 御具足初めに 虎後...
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-08: 真木島にて御降参 公方様...
 6-10: 岩成 討ち果たされ候事
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 7-02: 前波生害、越前一揆蜂起の事
 7-10: 樋口夫婦 御生害の事
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 9-01: 安土 御普請の事
 9-04: 御後巻 再三 御合戦の事

蜂屋頼隆 [43] はちや よりたか

原政茂  [--] はら まさしげ

福富秀勝 [--] ふくずみ ひでかつ

福田三河守 [--] ふくだ みかわのかみ

不破光治 [--] ふわ みつはる

別所重宗 [48] べっしょ しげむね

別所長治 [19] べっしょ ながはる

細川忠興 [14] ほそかわ ただおき

細川藤孝 [43] ほそかわ ふじたか

細川昌興 [11] ほそかわ まさおき

堀秀政  [24]  ほり ひでまさ

前田利家 [39] まえだ としいえ

牧村利貞 [31] まきむら としさだ

 稲葉一族。織田の武将。牧村長兵衛
 10-01: 雑賀御陣の事
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...
 12-01: 摂津国 御陣の事

松井友閑 [--] まつい ゆうかん

松永久秀 [67] まつなが ひさひで

松永久通 [34] まつなが ひさみち

丸毛長照 [--] まるも ながてる

水野正長 [--] みずの ながまさ

 三河の大名。水野大膳
 10-01: 雑賀御陣の事
 3-10: 志賀御陣の事

武藤舜秀 [--] むとう きよひで

村井貞勝 [57] むらい さだかつ

矢部家定 [--] やべ いえさだ

山岡景隆 [51] やまおか かげたか