霜月(11月) 13日、信長公、御上洛。二条 御新造へ御座を移さる。
霜月(11月) 18日、御鷹山猟として御参内。いずれも思い思いの御出立ち、興あり。頭巾、一興を催し、皆、狩杖などまで金銀に濃させられ、御結構の次第、申すばかりなし。
御先 1段: 御弓衆 100ばかり、各々下され候 虎の皮の御うつぼ、一様に付けられ、
2段: 御年寄衆、この中、御鷹 14足 居えさせられ侯へし御衆にて侯なり。
信長公、これも御鷹居えさせられ、前後は御小姓衆・御馬廻、光り耀き、ありとあらゆる花車風流、我も我もと、一手ずつ美々しく御出で立ち、心ことば及び難く、面白き御遊覧、京都の責賎、耳目を驚かし侯へき。
そもそも、内裡、日の御門より入られ、かたじけなくも、小御所 御局の内まで、御馬廻ばかり召し列れらる。その時、御折を御弓の衆に下され、かたじけなく頂戴。
御鷹、御叡覧の後、達智門へ出でさせられ、直ちに東山に御鷹つかはされし折節、にわかに大雪降り来なりて、御鷹、風に落とされ、大和国内之郡まで飛び行く。御秘蔵の御鷹に侯間、万方御尋ねなされ侯。
次の日、大和国 越智玄蕃という者、御鷹居え、上進仕り侯。御機嫌 斜ならず。すなわち、御褒美として、御服一重ね・御秘蔵の駮の御馬 下され、その上、年来旧領の知行、闕所に罷りなり無足仕り侯を、
「 望みの儀に侯はば、仰せ付けらるべし 」と、上意に侯間、右の趣 申し上げ侯ところに、これまた、安堵 御朱印 下しなされ、かたじけなき次第、申すに足らず。
ただ「禍福は天にあり」とは、この節なり。