そもそも、この天龍は、甲州・信州 大河集まりて流れ出でたる大河。滝下り滝鳴りて、川の面すさまじく渺々として、誠に容易く舟橋懸かるべき所に非ず。上古よりの初めなり。
国中の人数を以て、大綱数百筋 引きはえて、舟数を寄させられ、御馬を渡さるべきためなれば、おびただしく丈夫に、殊に結構に懸けられたり。川の面、前後に堅く番を居え置き、奉行人 粉骨申すばかり無し。
この橋ばかりの造作なれども、幾何の事に侯。国々遠国まで道を作らせ、江川には舟橋を仰せ付けられ、路辺に御警護を申しつけられ、御泊御泊の御屋形 御屋形 立て置かれ、また、路道の辻々に隙間なく、御茶屋・御厩、それぞれ、おびただしく、結構に相構えられ、御膳・御進上 御用意、京都境へ人を上せられ、諸国にて珍奇を調え、御崇敬 斜ならず。
その他、諸卒の御まかない、これまた、数日送りて仰せ付けられ、1,500間ずつの小屋小屋、御先々にて立ておかるるばかり、
家康
卿、万方の御心賦、一方ならぬ御苦労、尽期なき次第なり。
しかしながら、いずれの道にても、諸人 感じ奉る事、御名誉申すに足らず、信長公の御感悦、申すに及ばず。