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信長公記(巻の13)

巻の13 の現代語表記と登場人物関連のページです。

巻の13
 1580 (天正 8) 年 庚辰
13-01:
播州 三木落居の事
正月朔日、終日 雪降り侯なり。近年、摂州表、各在番 粉骨に付きて、年頭の御礼、旧冬より御触れにて御免、御出仕これ無し。
正月 6日、播州 三木表
(兵庫県三木市)
別所彦六彦進
( 別所友之 )
立て籠る 宮之上の構え、 羽柴筑前守羽柴秀吉 乗っ取り、諸陣近々と寄せられ、別所彦進 は一戦に及ばず、本丸へ取り入り、 別所小三郎別所長治 と一手になるなり。
正月11日、 羽柴筑前羽柴秀吉 、宮之上より見下げすみ給い、 別所山城
( 別所吉親 )
が居城:鷹の尾という山下へ人数を付けられ侯。
かかわり難く存知、山城 も本丸へ取り入るなり。
すなわち、諸卒 付け入りに攻め込むところ、本丸より心ばせの侍ども罷り出で、防戦。
後陣を押し懸け押しかけ攻め入るなり。かかる所に、本丸より火を付け、焼出す。
正月15日、 羽柴羽柴秀吉 与力: 別所孫右衛門別所重宗 、城内より、小森與三左衛門 と申す者を呼び出だし、 小三郎別所長治 ・山城・彦進 3人の方へ状を遣わし、
「 摂州の 荒木荒木村重 、丹波の 波多野波多野秀治 果て侯如くに侯ては、末世の嘲哢、口惜しく侯。尋常に腹を切りしかるべき 」の由、申し遣わし侯ところ、
「 両 3人腹を切るべく侯間、その他、諸卒 相助けられ侯様に 」と、小森 を使いにて懇望の歎を申し送る状に曰く、
唯今申し上げ侯 趣意は、去々年以来、敵対に伏せ置かるるの条、謹しみて申し断るべき心底のところに、不慮に内輪の面々、覚悟を変うるの間、是非に及ばざるものなり。然らば、今に至りて、相届く等 ことごとく討ち果たさるべき事、不便の題目なり。御憐愍を以て助け置かるるにおいては、それがし両 3人腹切るべく 相定め訖んぬ。この旨、相違無き様に御披露仰ぎ、恐々謹言。
 正月15日 別所彦進 ともゆき
  浅野彌兵衛 殿 別所山城 よしちか
  孫右衛門別所重宗 殿 別所小三郎別所長治 長はる
右の旨、披露のところ、 羽柴筑前羽柴秀吉 感歎し、
「 諸士を相助くべき 」の返答ありて、樽酒 2,3荷、城中へ送り入れられ、 別所別所長治 満足致し、妻子・兄弟・各家老の者 呼び双べ、
「 正月17日には腹を切るべき 」の旨、女房子供にも申し聞かせ、互いに盃を取り交し、今生の暇乞 哀れなる次第、申せば、なかなか愚かなり。
然らば、 小三郎別所長治 方より、山城 方へ「17日 申刻(16:00) に腹を切るべき」の趣、申し遣わすのところ、ここにて、山城 存分には、
「 腹を切り侯はば、定めて頸を取り、大路を渡し安土へ進上すべく侯。さ候ては都鄙の口難無念侯の間、城内に火を懸け、焼死に、騒骨を蔵すべき 」の由にて、家に火をかくるを見て、諸士差し懸け、山城 を生害なり。
正月17日 申刻(16:00)、 別所小三郎別所長治 は、3歳のみどり子、膝の上に置き、涕を推して差し殺し、また、女房を引き寄せ、同枕に害しけり。別所彦進 も、同じ如く、女房を刺し殺す。屍、算を乱す有様、目も当てられず。
その後、別所兄弟、手に手を取りて広縁に出、左右に直り、各々を呼び出だし、
「 この度の籠城、兵粮事尽きて牛馬を食し、虎口を堅め、籠城相届く志、前代未聞の働き、芳恩申すに足らず。併しながら、我等相果て諸士を相助け、身の悦び、これに過ぐべからず 」とて、 小三郎別所長治 腹を切り、三宅肥前入道 介錯し、
入道云く 「 この先、御高恩に預かる人多しといえども、御伴申さんという人無し。それがしは、なまじいに家の年寄に生まれながら、更に出頭に及ばず。述懐は身に余るといえども、御伴申すなり。三宅肥前入道 が働きを見よや 」とて、腹十文字に切りて、臓をくり出し死にたり。
さて、彦進、越し方、召使い侯 輩呼び双べ、太刀・刀・脇差・衣装、形見に取らせ、兄の 小三郎別所長治 が腹切りたる脇差を取り持ち、また、彦進 も丈夫に腹を切る。
小三郎別所長治 歳26、彦進 歳25。惜しむべし 惜しむべし。
ここに希代の名誉ある 山城が女房は、畠山総州 の娘なり。自害の覚悟致し、男子 2人、女子 1人左右に並べ置き、心強くも一々に刺し殺し、主も喉頸 掻き切り、枕を並べて死にたりけり。前代未聞の働き、哀れなる題目なり。
その後、城中の者ども助け出だされ、その内に小姓一人、短冊を持ちて出づる。これを取りて見られければ、辞世の歌なり。
小三郎別所長治
いまはたゝ うらみもなしや 諸人の  命にかはる 我身と思へは
小三郎別所長治 女房の歌
もろともに はつる身こそは うれしけれ  をくれ先たつ ならひなる世に
彦進
命をも おしまさりけり 梓弓  すゑの世まても 名の残れとて
彦進 女房
たのめこし 後の世まてに 翅をも  ならふる鳥の ちきりなりけり
山城 女房
後の世の 道もまよはし 思子を  つれて出ぬる 行すゑの空
三宅肥前入道
君なくは うき身の命 何かせん  残りて甲斐の ある世なりとも
かくの如く哀れをもよおす有様、上下の愁歎 限り無し。
さて、別所 3人の頸、安土へ進上。御敵なす者、ことごとく御存分に属す。御威光、なかなか勝て計うべからず。
併しながら、 羽柴筑前羽柴秀吉 、一身の覚悟を以て、大敵をかくの如く退治なされ侯の事、武勇といい、調略といい、弓矢面目、これに過ぐべからず。
2月21日、信長公御上洛、妙覚寺御成り。
2月24日、「白の御鷹」、一乗寺・修覚寺・松ヶ崎山、終日御鷹つかわされ、物かず仕り侯。
2月26日、本能寺へ御座 居ゑらるべきの旨にて、御成りありて、御普請の様子、
村井春長軒村井貞勝 に仰せ付けらる。
2月27日、山崎至りて御成り。ここにて、
津田七兵衛信澄織田信澄塩河伯耆塩河長満惟住五郎左衛門丹羽長秀 両 3人、兵庫 花熊
(兵庫県神戸市)
表へ相働き、御敵:花熊へ差し向け、しかるべき地を見計らい、御砦の御要害に仕り侯て、
池田勝三郎池田恒興 父子 3人入れ置く。その上、帰陣仕るべき 」の旨、仰せ付けられ訖んぬ。
2月28日、終日雨降る。山崎に御逗留。根来寺 岩室坊 参り、御礼を申し上ぐるところ、御馬、ならびに、御道服下され、かたじけなき次第にて、罷り帰り侯ヘき。
2月29日 晦日、両日、山崎 西山にて「白の御鷹」つかわされ、
3月朔日、郡山へ御成り。天神馬場・大田路次通行、御鷹つかわさる。
そもそも、禁中より大坂へ御無事とため、 近衛近衛前久 殿 ・勧修寺殿・庭田殿、御勅使なされ訖んぬ。信長公より御目付として、 宮内卿法印松井友閑佐久間右衛門佐久間信盛 相添え、遣わされ侯。
今度、郡山 御鷹野にて、賀藤彦左衛門、佐目毛 御馬 進上。
3月 3日に、伊丹城へ御座を移され、 荒木摂津守荒木村重 居城の様体御覧じ、これより兵庫表 御見廻りなさるべき上意に侯ところ、御砦 御普請、早や出来申すに付きて、右 3人引き取り申すの間、
3月 7日、信長公、伊丹より山崎まで御帰り。路次通り、北山 御鷹つかわされ、
3月 8日、妙覚寺に至りて御帰洛。
3月 9日、 北条氏政北条氏政 より御鷹 13足上せられ、
  一 鴻取   一 鶴取
  一 真那鶴取 一 乱取 と申してこれあり
  一 御馬     5疋、   以上
洛中 本能寺にて進上。相模の御鷹居、御架
[ほこ]
につなぎ申されたり。この時の御取次、 瀧川左近滝川一益なり。
3月10日、 氏政北条氏政 の御使衆御礼。御太刀・折紙、御披露: 佐久間右衛門佐久間信盛
  進物: 白鳥 20  熨斗 1箱  蚫 300
  煎海鼠 1箱  江川酒 3種 2荷
氏政北条氏政 より使者:笠原越前守、舎弟: 氏直北条氏照 使者:間宮若狭守、同下使:原和泉守。
公儀御執奏: 瀧川左近将監滝川一益 ・同下使:牧庵。
関東衆 申し上げらるるの趣、これ承る御使衆: 二位法印武井夕庵瀧川左近滝川一益
佐久間右衛門佐久間信盛 3使にて、御縁辺 相調え、関東八州 御分国に参るの由なり。
 御太刀折紙、笠原越前 御礼。 氏直北条氏照 の御礼、間官若狭 申し上ぐ。
 同じく重ねて、右両人、自分御礼。同じく下使、原和泉 御礼。
各々退出以後、相州衆へ仰せ出ださるる趣、幸の事に侯。
瀧川左近滝川一益 案内者にて、京都懇ろに見物申し、やがて安土へ罷り下り侯へ 」と仰せ聞かされ、その日、信長公 御下り。大津松ヶ崎辺り、「白の御鷹」つかわされ、晩に及び、御舟に召され、矢橋へ御上りなされ、安土へ御帰城。
3月13日、 矢部善七郎矢部家定 御使にて、金銀100枚、 北条氏政北条氏政 よりの使者:笠原・間宮両人に下され、
「 京都にて、田舎への土産 調え申し侯へ 」と、仰せ遣わさるるなり。
3月15日、奥の島山、御鷹つかわさるべきにて、御舟に召され、長命寺 善林坊に至りて、御座なさる。
3月19日まで、5日御逗留なされ、「白の御鷹」御自愛。羽ふり、事に勝れ、希有の由、承り及び、方々より御鷹野見物、群集仕り侯なり。乱取と申す御鷹、優れたる羽飛にて、物かず仰せ付けられ、19日に安土に至りて御帰城なり。

村井貞勝に命じて本能寺の本格要塞化が進められたことになっている。それを聞いて、この地理の事等を、この時点で、明智光秀は何と思った、もしくは感じたであろうか?

13-02:
無辺の事
3月20日、無辺 と申す廻国の客僧、石場寺
(滋賀県東近江市)
栄螺坊 所に、暫時、居住仕り候。連々 奇特 不思儀ある由、下々の者 承り及び、分々の心ざしを捧げ、「丑時(2:00) 大事の秘法を授かり侯」と申し、昼夜 群集侯て、男女門前に立ち暮らす由侯。
信長公、無辺 の事、連々聞こしめし及ばれ、
「その仁体を御覧なされたき 」の旨、仰せ出だされ、栄螺坊、無辺 を召し列れ、安土御山へ参り侯。すなわち、御厩へ出御なされ、いちいち御覧じ、御思案の様体なり。
「 客僧の生国は何くぞ?」と御尋ねあり。
「 無辺 」と答う。
また「 唐人か天竺人か?」と、御意侯。
「 唯、修行の者 」と申す。
「 人間の生所、3国の他には不審なり。さては、術物
[ばけもの]
にてあるか? 然らば、炙り候わん間、火のこしらえ仕り侯へ 」と御諚のところ、御一言に詰まり、
「 出羽の羽黒の者 」と申し上げ侯。
唯の売子にてあり。このほどは、
「 生れ侯所も無く、住む所無く、弘法にて侯 」と、申しならわし、何にても物を人の取らせ侯へば取り侯はで、無欲にて、その宿の者に出だし置き、その所へ立ち返り立ち返りする時は、無欲の様に聞え侯へども、却って無欲にはならず侯。
然りといえども、奇特のある由、聞こしめし及ばれ侯の間、
「 奇特を見せ侯へ候へ 」と、御諚のところに、更にその詮無し。
「 総別、奇特不思儀の人あらば、貌
[かたち]
より眼色まで、人物も人に勝れて尊きものに侯。和人は山賎には身の卑しき事、劣れり。女童どもをたらし、国土の費えをいたし、曲事なり。この上は、無辺に恥をかかせ侯へ! 」と上意侯て、俗家の頭にて侯を、所々はさみ落させられ、裸になし縄を懸けさせ、町通り追放させらる。
また、後に能々、聞かせられ侯へば、丑時(2:00) を伝受仕るの由侯て、あるいは子を生まざる女、あるいは病者なる女など、「臍くらべ」という事、仕りたる由に侯。
「 先々までのためにて侯 」由、御諚にて、御分国中 四方へ、国主国主へ、追手を懸けさせられ、やがて召し寄せ、御糺明なされ、誅させられ侯。
「 栄螺坊は、何とて御城廻りに、かようのいたずら者を置き申す?」と御尋ね侯ところに、
「 石場寺御堂の漏れを止め申したきために、勧進として暫時の間を置き申す 」由、言上侯へば、銀子30枚、下され侯。
3月21日、相模国 北条氏政北条氏政 へ遣わさるる御注文:
  虎皮21枚  縮羅参100端(但し 3箱)  猩々皮15、以上。笠原越前守、請け取り申すなり。
氏直北条氏照 へ 段子 2箱、以上。間宮若狭守 請け取り申すなり。
3月25日、奥の島へ御泊のため、山に御成り。
3月28日まで御鷹つかわされ、ここにて造作仕り侯由、御諚侯て、 永田刑部少輔永田正貞 に葦毛御馬 下され、 池田孫次郎池田秀雄 に青毛御馬 拝領なり。
3月28日、安土へ至りて、御帰城。
閨 3月朔日、伊丹城御番、30日替えに仰せ付けられ、 矢部七善郎善七郎矢部家定 遣わさる。
閨 3月2日、御敵城:花熊
(兵庫県神戸市)
より 池田勝三郎池田恒興 砦へ人数を出だし侯。すなわち足軽ども取合せ侯のところ、 池田勝九郎池田元助池田幸新池田輝政 兄弟、年齢15,6。誠に若年にて、無体に懸け込み、火花を散らし一戦に及ばれ、父: 池田勝三郎池田恒興 、これまた駆けつけ、鎗下にて究竟の者 5,6人討ち捕り、兄弟 高名 比類なき働きなり。

13-03:
大坂退散 御請け誓紙の事
さるほどに、大坂退城 仕るべきの旨、かたじけなくも禁中より御勅使なされ、
門跡顕如北の方 ( 如春尼 )如春尼
「 年寄ども、如何あるべきや否の儀、権門恐れず、心中の存知旨趣、残らず申し出ずべき 」の由、尋ね申さるるのところに、
下間丹後下間頼総平井越後平井越後矢木駿河矢木駿河 ・井上・藤井藤左衛門 はじめとして評諚致し、退屈の験か、または、世間見極め申すの故か、
「 今度は、上下御一和、もっとも 」と申す事に侯。
『 ここにて、御院宣を違背申すに付きては、天道の恐れも如何侯なり。その上、信長公 御動座なされ、 荒木荒木村重波多野波多野秀治別所別所長治 御退治の如く、根を断ち、葉を枯らして、仰せ付けらるべく侯。近年、大坂端城 51ヶ所 相かかわり、上下苦労の者どもに賞禄をこそ宛行わずとも、せめての恩に、命を助け申すべき 』旨、 門跡顕如 相存知られ、来たる 7月20日以前に、大坂退散に相定む。
御勅使: 近衛近衛前久 殿 ・勧修寺 殿 ・庭田 殿、ならびに、 宮内卿法印松井友閑佐久間右衛門佐久間信盛 等へ御請けを申し、誓紙、御検使 申し請けられ侯。この旨、安土へ言上のところに、青山虎、御検使 仰せ付けられ侯。
閨 3月 6日、安土より天王寺、日通しに参着侯。
翌日、閨 3月 7日、誓紙の筆本 見申され侯なり。
 誓紙人数、 下間筑後下間頼照 の子 少進法橋 ( 下間仲之 )下間仲之 :黄金15枚、
 下間刑部卿法橋 ( 下間頼兼 )下間頼兼 :同 15枚、 あぜち法橋 ( 下間頼龍 )下間頼龍 :同 15枚、
 北の方如春尼 :20枚、  門跡顕如 : 添状、同 30枚、 以上。

13-04:
能登・加賀両国、柴田一篇に申し付くるの事
閨 3月 9日、 柴田修理亮柴田勝家 加州へ乱入。添川・手取川 打ち越え、宮之腰に陣取り、所々に放火。
一揆、野の市という所、川を前に当て、立て籠もる。 柴田修理柴田勝家 、野の市の一揆 追い払い、数多 斬り拾て、数百艘の舟どもに兵粮取り入れ、分捕りさせ、これより次第に奥へ焼き入り、越中へ越し侯。安養寺越えの辺りまで相働き、安養寺坂を右に見て、白山の麓、能登境 谷々入々まで、ことごとく放火し、光徳寺 代坊主 立て籠もり候、木越寺内 攻め破り、一揆数多 斬り捨て、能登の末盛の 土肥但馬守 構え、取り懸け 攻め干し、ここにても、歴々の者 数輩討ち捕り在陣侯ひしところ、 長九郎左衛門 、飯の山に陣取り、手を合せ、所々放火なり。
閏 3月10日、宇津の宮
(栃木県宇都宮市)
の 貞林、立川三左衛門 使いとして、御馬牽き上せ進上。太く逞しき駿馬にて、御自愛、乗り心 比類無く、御秘蔵 斜ならず。
御返報として遣わさる御注文:
  縮羅 30端  豹虎皮 10枚  金襴 20端
  御服 一重  黄金 3枚、 以上
立川三左衛門 に渡し下され、かたじけなき次第にて、罷り下り侯なり。
閏 3月16日より、 菅屋九右衛門菅屋長頼堀久太郎堀秀政長谷川竹長谷川秀一 両 3人 御奉行として・安土御構えの南、新道の北に 江を掘らせられ、田を填めさせ、伴天連に御屋敷下さる。
今度、 蒲生右兵衛大輔蒲生賢秀 家中、 布施藤九郎布施公保 、御馬廻に召し加えられ、これまた江を填めさせ、御屋敷下され、かたじけなき次第、面目至りなり。
御馬廻・御小姓まで御普請仰せ付けられ、鳥打ノ下江を填めさせられ、町を立てさせられ、西北海の口に舟入り、所々に掘らせ、請取の手前手前に木竹を植させ、その上、江堀を填めさせ、各々御屋敷下され候、人数:
 稲葉刑部稲葉刑部高山右近高山右近 ・ 日禰野六郎左衛門・日禰野彌次右衛門・日禰野半左衛門・
 日禰野勘右衛門・日禰野五右衛門・ 水野監物水野直盛中西権兵衛中西権兵衛 ・與語久兵衛・
 平松助十郎・ 野々村主水野々村主水河尻與兵衛河尻秀隆
かくの如く仰せ付けられ、信長は、日々、御弓衆・御責子にて、御鷹つかわされ侯へき。
4月朔日、伊丹城、 矢部善七郎矢部家定 御番の代り、 村井作左衛門村井貞成 当番なり。
辰 4月11日、長光寺山 御鷹つかわさるべきにて出御のところに、百々の橋にて、
神保越中神保長住 の使者、御馬 2つ進上。
辰 4月24日、伊庭山 御鷹野へ御出で、 丹羽右近丹羽氏勝 者ども、普請仕り侯とて、山より大石を、信長公 御通り侯 御先へ落し懸け侯。この中、条々相届かざる道理の旨、仰せ聞かされ、その内、年寄侯者を召し寄せられ、一人 御手打にさせられ侯。

13-05:
阿賀の寺内 申し付くるの事
庚辰 4月24日、播州の内 穴栗郡
(兵庫県穴栗市)
に、 宇野民部宇野民部 立て籠もる。かの者の親・伯父構え、 羽柴筑前守秀吉羽柴秀吉 押し詰め、乗っ取り、250余を討ち捕り、
それより 宇野下野 居城へ取り懸け、これまた攻め破り、ここにて数多 斬り拾て、その後 - 宇野民部宇野民部 構えは高山節所に侯 - 麓を焼き払い、塞り塞りに砦を 3つ申し付け、丈夫に人数入れ置く。
この競いを以て、直ちに阿賀へ取り懸けられ侯ところ、芸州へ人質出だし置き侯者ども、舟に取り乗り罷り退く。しかる間、一戦に及ばず、阿賀の寺内へ打ち入り、 羽柴筑前守羽柴秀吉 この表の様体見計らい、御堂へ 筑前守羽柴秀吉 人数入れ置き、百姓ども呼び出し、知行差し出し等 申し付け、姫路に至りて人数うち納む。
姫地は西国への道通り手寄せなり。その上、御敵城: 宇野民部宇野民部 所へも ほど近く、両条共に以てしかるべき郷地なり。姫路に、 羽柴筑前守秀吉羽柴秀吉 在城あるべく相定め、普請申し付け、これより、 羽柴筑前守羽柴秀吉 舎弟: 木下小一郎羽柴秀長 に人数差し加え、但馬国へ乱入し、即時滞りなく申し付く。 木下小一郎羽柴秀長 は、小田垣
(兵庫県朝来市)
居城にこしらえ、手の者ども見計らい、所々に入れ置き、両国平均に侯ヘき。
信長公の御威光、かたじけなき御事なり。併しながら、 羽柴筑前守秀吉羽柴秀吉 、一身の覚悟を以て、両国滞りなく申し付けられ侯事、都鄙の面目、後代名誉、これに過ぐべからず。
北国表の事、加賀国に至りて、 柴田修理亮柴田勝家 、長々在陣なり。
当表、御心許無くおぼしめされ、木下助左衛門・ 魚住隼人魚住隼人 両使、
柴田柴田勝家 方へ、国の様子申し上ぐべき 」の旨、仰せ遣わさるるところ、能登・加賀一篇に申し付けたる様体、罷り帰り、具に言上のところ、御悦着なされ、遠路辛労の御褒美として、御服に御帷を相添られ、両人かたじけなく頂戴。その上、上意かたじけなき候 使の間、北国にても、木下・ 魚住魚住隼人 両人に馬を出だされたり。
5月 3日、 中将信忠卿織田信忠北畠信雄卿織田信雄 、安土に至りて御出。御自分 御座所の御普請 仰せ付けられ侯。
5月 5日、御山にて御相撲、これあり。御一門の御衆、御見物なり。
5月 7日、江堀・舟入・道築、いずれも御普講 出来申すに付きて、
惟住五郎左衛門長秀丹羽長秀織田七兵衛信澄織田信澄 、永々 辛労仕り侯間、御暇、両人に下され、
「 在所へ罷り越し、用事申し付け侯て、やがて罷り帰るべき 」の旨、かたじけなくも、上意にて、 七兵衛信澄織田信澄
( -- 脱文 -- )
五郎左衛門丹羽長秀 は佐和山へ参り侯なり。
5月17日、国中の相撲取り召し寄せられ、安土御山にて御相撲、これあり。御馬廻衆、御見物。
日野の長光・正林・あら鹿、面白き相撲を勝ち申すに付きて、御褒美として銀子 5枚、長光 下され、かたじけなく頂戴。
甲賀谷中より相撲取り 20人参り候。
「 辛労 」の由、御諚侯て、黄金 5枚下され、かたじけなき次第なり。
布施藤九郎布施公保 与力に 布施五介と申す者、「 能き相撲 」の由侯て、召し出だされ、御知行 100石仰せ付けられ侯。
今日の御相撲、あら鹿・吉五・正林、能く相撲勝ち申すに付きて、御褒美として、米 50石宛 下され、かたじけなく拝領なり。

13-06:
本門跡 大坂退出の事
4月 9日、大坂退出の次第。 門跡顕如 より 新門跡 ( 教如 )教如 方へ相渡さるべきの旨、御届のところに、近年、山越を取り妻子を育み侯 雑賀・淡路島の者ども、『 ここを取り離れ侯ては迷惑 』と存知、
新門跡教如 を取り立て候はんの間、まず、 本門跡顕如北の方如春尼 を退き申され、ひとまず相かかわられ、もっとも 」の由、様々申すに付きて、 若門跡教如 、この儀に同じ事、右の趣、返事侯。
本門跡顕如北の方如春尼下間下間頼総平井平井越後矢木矢木駿河守 等、御勅使へ御理り申し、雑賀より迎え舟を乞い、4月 9日、大坂退出。

13-07:
八幡 御造営の事
そもそも、やわた八幡宮
(京都府八幡市)
御造営 御奉行のため、武田佐吉・林高兵衛・
長坂助一、両 3人仰せ付けられ、去る年 12月16日、釿初め。
しかるに、内陳・下陳の間に木戸井これあり。朽腐し、雨漏り、廃壊に及ぶの間、今度は末代のため侯の間、唐金にて鋳物にさせられ、長さ 6間(11m) にて侯を 5間(9m) に鋳物に仰せ付けられ、当春 3月、下遷宮ありて、ほどなく、社頭・宝殿・葺合せ・築地・楼門造せしめ畢り、金を以てみがき立て、神前光明を輝かし、神明納受の杜壇、荘厳・巍々堂々と七宝をちりばめ、
5月26日、上遷宮、成し奉り訖んぬ。
誠に「諸人の敬いによりて威を増す」とは、それ、これを謂うか。ますます、信長 御武運 長久、御家門 繁栄の基なり。参詣の輩、貴賤 群集をなし、いよいよ尊み拝呈す。8月中旬まで、9ヶ月に成就せしめ畢んぬ。

13-08:
因幡・伯耆両国に至りて、羽柴 発向の事
播州 穴栗郡
(兵庫県穴栗市)
に立て籠もる 宇野民部宇野民部 、6月 5日、夜中に退散。
木下平太輔 ・ 蜂須賀小六蜂須賀小六 、追い駆け、心ばせの侍ども帰し合せ合わせ、ここかしこにて相戦い、歴友の者ども数十人討ち捕る。
翌日、6月 6日、この競いを以て、因幡・伯耆 両国 境目に至りて相働き、所々に煙を挙げらるるのところに、東国の御人数 発向の由、申し侯て、馳せ向うべき行ては一切にこれ無く、国端の城主 縁々を以て降参の御断り申し、
「 人質 進上侯て、御礼申し上げ候はん 」の由、言上候ところ、御悦び斜ならず。
羽柴筑前守秀吉羽柴秀吉 条々、名誉 」の旨、信長公 御感なされ候ヘき。
6月13日、御相撲取り:円浄寺源七、不届子細これありて、御勘気蒙り、退し、
6月24日、国中の相撲取り召し寄せられ、御山にて御相撲あり。払暁より夜に入り、堤灯にてこれあり。麻生三五、取り勝り、6番打ち仕り、 蒲生忠三郎蒲生氏郷 が内:小一 と申す者、能く相僕仕り、御詞を加えらる。大野彌五郎、これまた、能き相撲、度々仕り侯て、今度召し出だされ、面目の次第なり。
伊丹にて謀叛、御忠節 仕り侯 衆の事: 中西新八郎中西新八郎星野左衛門星野左衛門宮脇又兵衛宮脇又兵衛
隠岐土佐守隠岐土佐守山脇勘左衛門山脇勘左衛門 5人の者、 池田勝三郎池田恒興 与力に仰せ付けられ侯。
6月26日、土佐国 補佐せしめ侯 長宗我部土佐守、 惟任日向守明智光秀 執奏にて御音信
[いんしん]
として、御鷹 16聯拝、ならびに砂糖 3千斤 進上。
すなわち御馬廻衆へ砂糖下され侯ヘき。
6月晦日、 中将信忠卿織田信忠 、安土に至りて御出で。

13-09:
大坂退散の事
大坂 本門跡顕如 、雑賀へ退出の以後、藤井藤左衛門・ 矢木駿河矢木駿河守平井越後平井越後 3使を以て、7月 2日、御礼。御勅使: 近衛近衛前久 殿・勧修寺 殿・庭田 殿、この御衆召し列れられ、御取次: 宮内卿法印松井友閑佐久間右衛門尉佐久間信盛 。進物 御太刀代、銀子100枚、 中将信忠卿織田信忠 へ御礼申す。
信長公 御対面これ無し。信長公より 門跡顕如北の方如春尼 へ御音信 遣わさる。御注文、写し置き候。
 黄金30枚  門跡顕如 へ     黄金20枚 北の方如春尼
 黄金15枚  あぜち法橋下間頼龍 へ  同15枚  下間刑部卿法橋下間頼兼
 同15枚  下間筑後 少進法橋下間仲之
 同25枚、右 5人、今度使いに参られ候衆へ下さる。翌日、かたじけなきの由、申し上げ侯て、罷り帰り侯なり。以上。
さるほどに、 新門跡教如 大坂渡し進べきの御請けなり。
天正 8年 庚辰 8月 2日、 新門跡教如 大坂退出の次第。御勅使、 近衛近衛前久 殿・勧修寺 殿・ 庭田 殿。右の下使:荒屋善左衛門。
信長公より御使 相加えられ、 宮内卿法印松井友閑佐久間右衛門佐久間信盛 、大坂 請け取り申さるる。御検使: 矢部善七郎矢部家定
そもそも、大坂は、およそ、日本一の境地なり。その子細は、奈良・堺・京都 ほど近く、ことさら、淀・鳥羽より大坂城戸口まで舟の通い直
[すなお]
にして、四方に節所をかかわり、北は賀茂川・白川・桂川・淀・宇治川の大河の流れ幾重ともなく、2里 3里の内、中津川・吹田川・江口川・神崎川 引き廻し、東南は、(尼)上ヶ嵩・立田山・生駒山・飯盛山の遠山の景気を見送り、麓は道明寺川・大和川の流れに新開き淵、立田の谷水 流れ合い、大坂の腰まで 3里 4里の間、江と川と続いて渺々と引き回し、西は滄海漫々として、日本の地は申すに及ばず、唐土・高麗・南蛮の舟、海上に出入り、五畿七道ここに集まり、売買利潤、富貴の湊なり。
隣国の門家 馳せ集り、加賀国より城作を召し寄せ、方 8町(0.9km)に相構え、真中に高き地形あり。ここに一派、「水上の御堂」を煌煌と建立し、前には池水を湛え、一蓮託生の蓮を生じ、後ろには誓の舟を浮かべ、仏前に光明輝やかし、利剣即是の名号は煩悩賊の怨敵を治し、仏法繁昌の霊地に在家を立て、甍を並べ、軒を継ぎ、福裕の煙、厚々、遍にこの法を尊み、遠国波島より日夜朝暮、仏詣の輩、道に絶えず。
家門長久のところに、思わず天魔の所為来りて、信長公、一年、野田・福島御取り詰め侯。 『 落去候ては、大坂手前の儀 』と存知、長袖の身ながら一揆蜂起せしめ、通路これを直ならざる、
その時、野田・福島の御人数 御引き取り侯ヘき。  → #3-09
その遺恨おぼし召し忘れられざる故か、既に 5ヶ年以前の度、当寺参詣の輩を押し止められ、あまつさえ御敵を一分に捕えられ、諸口を取り詰め、天王寺に至りて、
原田備中原田直政 相城申し付けられ侯。
御普請、首尾無き以前と存じ、即時に一揆催し、天王寺へ差し懸け、一戦を遂げ、
原田備中原田直政 ・塙喜三郎・塙小七郎・簑浦無右衛門 はじめとして、歴々討ち捕り、その競いに天王寺、取り巻き侯ところ、
信長 御後詰めとして無勢を以て御動座なさる。その日、両度御合戦に及ばれ、両度ながら大坂 合戦打ち負け、数多討ち死させ、誠に大軍を以て小敵の檎となる事、無念の次第なり。  → #9-03
併しながら、末法の時 到りて、修羅闘諍の瞋恚
[しんい]
を発し、カ及ばずながら、大坂も、高津・丸山・広芝・正山をはじめとして、端城 51ヶ所申し付け、立て籠り、構えの内にて 5万石 所務致し、運を天道に任せ、5ヶ年の間、時節を相守るといえども、味方は日々に衰え、調儀・調略相叶わず。信長 御威光 盛んにして、諾国七道 御無事なり。
この上は、勅命と云い、いよいよ御道理は違わずと云い、退城仕るべきと、肯じ申し侯。
ここに大坂立ち初めて以来、49年の春秋を送る事、昨日の夢のごとく、世間の相事相を観ずるに、生死の去来、有為転変の作法は、電光朝露のごとく、唯、一声称念の利剣、この功徳を以て、無為涅槃の部に至らんにはしかじ。然りといえども、今、故郷離散の思い、上下、すでに涙に沈む。
然らば、大坂退城の後、やがて、信長公 御成りありて、この所、御見物なさるべく、その意を存知、端々、普請掃除申しつけ、面には弓・鎗・鉄砲等の兵具、その数 懸け並べ、内には資財・雑具を改め、あるべき体を結構に飾り置き、御勅使・御奉行衆へ相渡し、8月 2日 未刻(14:00)、雑賀・淡路島より数百艘の迎え船を寄せ、近年、相かかわり侯 端城の者をはじめとして、右往左往に、縁々を心懸け、海上と陸と 蛛の子を散らすが如く、散りぢりに別れ侯。いよいよ時刻到来して、松明の火に西風来なりて吹き懸け、余多の伽藍 一宇も残さず、夜日 3日、黒雲となって焼けぬ。

13-10:
宇治橋 御見物の事
8月12日、信長公、京より宇治の橋を御覧じ、御舟にて直ちに大坂へ御成り。

13-11:
佐久間・林佐渡・丹羽右近・伊賀伊賀守の事
ここにて、 佐久間右衛門佐久間信盛 方へ御折櫨の条、御自筆にて仰せ遣わさるる趣:
  覚
父子 5ヶ年在城の内に、善悪の働きこれ無しの段、世間の不審余儀無く、我々も思い当たり、言葉にも述べ難き事
この心持ちの推量、大坂 大敵と存じ、武篇にも構えず、調儀・調略の道にも立ち入らず、ただ居城の砦を丈夫に構え 幾年も送り侯へば、かの相手、長袖の事侯間、行く行くは、信長威光を以て退くべく侯条、さて、遠慮を加え侯か? 但し、武者道の儀、格別たるべし。かようの折節、勝ち負けを分別せしめ一戦を遂ぐれば、信長のため、且つ父子のため、諸卒苦労をも遁れ、誠に本意たるべきに、一篇存じ詰めし事、分別も無く、未練疑いなき事
丹波国 日向守明智光秀 働き、天下の面目をほどこし侯。次、 羽柴藤吉郎羽柴秀吉 、数ヶ国、比類無し。然して、 池田勝三郎池田恒興 小身といい、ほどなく花熊
(兵庫県神戸市)
申し付け、これまた天下の覚えを取る。ここを以て我心を発し、一廉の働きこれあるべき事
柴田修理亮柴田勝家 、右の働きに及び、一国を存知ながら、天下の取沙汰 迷惑に付きて、この春、賀州に至りて一国平均申し付くる事
武篇道、ふがい無きにおいては、属託を以て調略をも仕り、相たらはぬ所をば、我等に聞かせ相済むのところ、5ヶ年 1度も申し越さざる儀、油断、曲事の事
保田保田安政 の儀、先書注進、かの一揆 攻め崩すにおいては、残る小城ども大略 退散致すべきの由、紙面に載せ、父子 連判候。然るところ、一旦届けこれ無く 送り遣わす事、手前迷惑これ遁るべしと、事を左右に寄せ、かれこれ存分申すやの事
信長 家中にては、進退、格別に侯か。三河にも与力、尾張にも与力、近江にも与力、大和にも与力、河内に与力、和泉にも与力、根来寺衆 申し付け候へば、紀州に与力少分の者ども候へども、7ヶ国の与力、その上、自分の人数 相加え働くにおいては、何たる一戦を遂げ候とも、さのみ落ち度 取るべからざるの事
小河・刈谷 跡職申し付け侯ところ、先々より人数もこれあるべしと思い侯ところ、そのかども無く、あまつさえ先方の者どもをば 多分追い出し、然りといえども、その跡目を求め置き候へば、各々同前の事侯に、一人もかかわらず侯時は、蔵納取り込み、金銀になし侯事、言語道断 題目事
山崎申し付け候に、信長、言葉をもかけ侯者ども、ほどなく追い失せ侯儀。これも最前の如く、小河・刈谷の取り扱い 紛れ無き事
先々より自分にかかわり置き侯者どもに加増も仕り、似相に与力をも相付け、新規に侍をもかかわるにおいては、これ程、落ち度はあるまじく侯に、しばきたくは へばかりを本とするによって、今度、一天下の面目失い侯儀、唐土・高麗・南蛮までも、その隠れあるまじきの事
先年、 朝倉朝倉義景 破軍の刻
[きざみ]
、見合せ、「曲事!」と申すところ、迷惑と存ぜず、結句、身吹聴を申し、あまつさえ 座敷を立ち破りし事、時に当たって、信長 面目を失う。その口ほども無く、長々この面にこれあり、卑怯の働き、前代未聞事  → #6-11
甚九郎佐久間信栄 覚悟条々、書き並べ侯へば、筆にも墨にも述べ難き事。
大回しに つもり侯へば、第一、欲深く気むさく、良き人をもかかわらず、その上、油断の様に取沙汰侯へば、畢竟する所は、父子とも武篇 道たらわず候によって、かくの如きの事
与力を専とし、余人の取次にも構え侯時は、これを以て軍役を勤め、自分の侍 相かかわらず、領中を徒になし、卑怯を構え侯事
右衛門佐久間信盛 与カ・被官等に至るまで、斟酌侯に事、ただ別条にてこれ無し。その身、分別に自慢し、美しげなる振りをして、錦の中にしま針を立てたる上を探る様なる 怖き扱い付きて、かくの如き事
信長 代になり、30年奉公の内に遂げたる 佐久間右衛門佐久間信盛 、比類無き働きと申し鳴らし侯儀、一度もこれあるまじき事
一世の内、勝利を失わざるのところ、先年、遠江へ人数を遣わし侯刻、互いに勝負ありつる紛れ無く候、然りというとも、 家康徳川家康 使いをも有々条、後れの上にも兄弟を討ち死させ、または、しかるべき内の者、討ち死させ候へば、その身、時の仕合によりて遁れ侯か? と、人も不審を立つべきに、一人も殺さず、あまつさえ、 平手平手汎秀 を捨て殺し、世にありける面を向け侯儀、ここに条々を以て、無分別の通り、紛れあるべからず事
この上は、いず方の敵を平らげ、会稽を雪ぎ、一度帰参致し、または討ち死するものか、の事
父子、頭をこそげ、高野の栖を遂げ、連々以て、赦免 然るべきや事
右、数年の内、一廉働きなき者、未練子細、今度、 保田保田安政 において思い当り侯様。天下を申し付く 信長 に口答申す輩、前代に始り侯条、ここを以て、当末 2ヶ条致すべし。請け無きにおいては、2度 天下の赦免これあるまじきものなり。
  天正 8年 8月 日
かくの如く、御自筆を以て遊ばし、 佐久間右衛門佐久間信盛 父子 方へ、楠木長安 ・ 宮内卿法印松井友閑中野又兵衛中野一安 3人を以て、遠国へ退出すべき趣、仰せ出だされ、
取る物も取り敢へず、高野山へ上され侯。ここにも叶うべからざる旨、御諚に付いて、高野を立ち出で、紀伊州 熊野の奥、足に任せて逐電なり。しかる間、譜代の下人に見拾てられ、かち裸足にて、己と草履を取るばかりにて、見る目も哀れなる有様なり。
8月17日、信長公、大坂より御出京。京都にて、御家老: 林佐渡守林秀貞安藤伊賀安藤守就 父子 ・ 丹羽右近丹羽氏勝 、遠国へ追失せらるる。 子細は、先年、信長公 御迷惑の折節、野心を含み申すの故なり。

林秀貞 と 安藤守就 は、あまりにも歳を取り過ぎていて、追い出したのであろう。

13-12:
賀州一揆 歴々 生害の事
11月17日、 柴田修理亮柴田勝家 調略にて、賀州の一揆歴々の者、所々にて手分けを申し付け 生害させ、頸ども安土へ進上。すなわち、松原町 西に懸け置かれ侯なり。
頸の注文:若林長門・子:若林雅楽助・子:若林甚八郎・宇津呂丹後・子:宇津呂藤六郎・岸田常徳・子:岸田新四郎・鈴木出羽守・子:鈴木右京進・子:鈴木次郎右衛門・子:鈴木太郎・鈴木采女・窪田大炊頭・坪坂新五郎・長山九郎兵衛・荒川市介・徳田小次郎・三林善四郎・黒瀬左近、以上 19人。
信長公 御感 斜ならず侯のなり。

13-13:
遠州高天神、家康御取り巻きの事
遠州 高天神
(静岡県掛川市)
の城、 武田四郎武田勝頼 人数入れ置き 相かかわりし候を、 家康徳川家康 公 押し詰め、鹿垣 結い回し、取り籠めをかせられ、御自身 御在陣侯のなり。





この巻の登場人物と他巻リンク

織田信長 [46歳]

明智光秀 [52] あけち みつひで

 織田の家臣。惟任日向守
 13-08: 因幡・伯耆両国に至り...
 13-11: 佐久間・林佐渡・丹羽...
 14-01: 御爆竹の事
 14-02: 御馬揃えの事
 14-07: 8月朔日 御馬揃えの事
 15-05: 木曾義政 忠節の事
 15-14: 人数備えの事
 15-25: 家康公・穴山梅雪 御上...
 15-26: 羽柴筑前守秀吉、備中...
 15-29: 明智日向 西国出陣の事
 15-31: 明智日向守 逆心の事
 15-32: 信長公 本能寺にて御腹...
 15-33: 中将信忠卿、二条にて...
 15-34: 江州安土城御留守居衆...
 2-01: 六条合戦の事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-10: 志賀御陣の事
 4-05: 叡山御退治の事
 5-01: 武者小路 御普請の事
 5-03: 奇妙様 御具足初めに 虎後...
 6-02: 公方様御謀叛 付17ヶ条
 6-03: 石山・今堅田 攻められ候...
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-08: 真木島にて御降参 公方様...
 6-09: 大船にて高島へ御働き、木...
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 8-03: 河内国新堀城攻め干され...
 8-06: 禁中において親王様 御鞠...
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
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 10-01: 雑賀御陣の事
 10-03: 御名物召し置かるるの事
 10-08: 片岡の城 攻め干さる事
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 11-01: 御茶の湯の事
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...
 12-01: 摂津国 御陣の事
 12-05: 丹波国 波多野兄弟 張...
 12-06: 赤井悪右衛門 退参の事
 12-12: 謀書の事
 12-13: 伊丹城 謀叛の事
 12-18: 伊丹城 相果たし、御成...

朝倉義景 [没] あさくら よしかげ

荒木村重 [45] あらき むらしげ

安藤守就 [77] あんどう もりなり

池田恒興 [44] いけだ つねおき

池田輝政 [16] いけだ てるまさ

 恒興の次男。池田幸新
 13-02: 無辺の事
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...

池田秀雄 [52] いけだ ひでお

池田元助 [21] いけだ もとすけ

稲葉刑部 [--] いなば ぎょうぶ

魚住隼人 [--] うおずみ はやと

宇野民部 [--] うの みんぶ

隠岐土佐守[--] おき とさ

織田信雄 [22] おだ のぶかつ

織田信澄 [22] おだ のぶすみ

織田信忠 [25] おだ のぶただ

 信長の嫡男。中将
 13-05: 阿賀の寺内 申し付くる...
 13-08: 因幡・伯耆両国に至り...
 13-09: 大坂退散の事
 14-01: 御爆竹の事
 14-02: 御馬揃えの事
 14-06: 因幡国 鳥取城 取り詰...
 14-07: 8月朔日 御馬揃えの事
 14-11: 伊賀国へ 信長 御発向...
 15-01: 御出仕の事
 15-02: 御爆竹の事
 15-03: 伊勢大神宮 上遷宮の事
 15-05: 木曾義政 忠節の事
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 15-08: 武田四郎 甲州 新府 退...
 15-09: 信長公 御乱入の事
 15-10: 武田四郎 父子 生害の事
 15-12: 武田典厩 生害、下曾禰...
 15-18: 諸勢 帰陣の事
 15-19: 御国割りの事
 15-20: 恵林寺 御成敗の事
 15-22: 信州 川中島表、森勝蔵...
 15-25: 家康公・穴山梅雪 御上...
 15-33: 中将信忠卿、二条にて...
 15-34: 江州安土城御留守居衆...
 5-03: 奇妙様 御具足初めに...
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蒲生氏郷 [24] がもう うじさと

蒲生賢秀 [46] がもう たかひで

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教如   [22] きょうにょ

顕如   [37] けんにょ

近衛前久 [44] このえ まえひさ

佐久間信栄 [24] さくま のぶひで

佐久間信盛 [52] さくま のぶもり

 織田の家臣。佐久間右衛門
 13-01: 播州 三木落居の事
 13-03: 大坂退散 御請け誓紙の事
 13-09: 大坂退散の事
 13-11: 佐久間・林佐渡・丹羽...
 15-02: 御爆竹の事
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 0-18: 勘十郎殿 林 柴田 御敵の事
 0-23: 鳴海之城へ御砦の事
 0-24: 今川義元 討ち死の事
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 2-06: 阿坂の城 退散の事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-06: 落窪合戦の事
 3-07: たけくらべ・かりやす砦の事
 3-10: 志賀御陣の事
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 4-04: 志むら攻め干さるるの事
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 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
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 9-04: 御後巻 再三 御合戦の事
 9-05: 西国より大船を催し 木津...
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-03: 御名物召し置かるるの事
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-11: 大船 堺津にて御見物の事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...

塩河長満 [42] しおかわ ながみつ

柴田勝家 [58] しばた かついえ

 織田の家臣。柴田修理亮
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 13-05: 阿賀の寺内 申し付くる...
 13-11: 佐久間・林佐渡・丹羽...
 13-12: 賀州一揆 歴々 生害の事
 14-01: 御爆竹の事
 14-02: 御馬揃えの事
 14-06: 因幡国 鳥取城 取り詰...
 15-11: 越中富山の城、神保越...
 15-12: 武田典厩 生害、下曾禰...
 0-09: 備後守 病死の事
 0-12: 深田松葉 両城 手替わりの事
 0-15: 柴田権六 中市場 合戦の事
 0-18: 勘十郎殿 林 柴田 御敵の事
 0-25: 家康公 岡崎の御城へ...
 1-04: 信長御入洛十余日の内に...
 2-06: 阿坂の城 退散の事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-06: 落窪合戦の事
 3-07: たけくらべ・かりやす砦の事
 3-10: 志賀御陣の事
 4-03: 大田口合戦の事
 4-04: 志むら攻め干さるるの事
 5-02: 交野へ 松永 砦仕り侯て 追...
 5-03: 奇妙様 御具足初めに...
 6-03: 石山・今堅田 攻められ候...
 6-05: 百済寺伽藍 御放火の事
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 7-04: 蘭著待 切り取らるるの事
 7-09: 河内長島一篇に仰せ付けら...
 8-03: 河内国新堀城攻め干され...
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 10-06: 柴田 北国 相働くの事
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 12-06: 赤井悪右衛門 退参の事
 12-16: 親王様 二条御新造へ行...

下間仲之 [29] しもつ なかゆき

 頼照の子。石山本願寺の僧。少進法橋
 13-03: 大坂退散 御請け誓紙の事
 13-09: 大坂退散の事

下間頼兼 [43] しもつ よりかど

 石山本願寺の僧。下間刑部卿法橋
 13-03: 大坂退散 御請け誓紙の事
 13-09: 大坂退散の事

下間頼龍 [28] しもつ よりたつ

 石山本願寺の僧。あぜち法橋
 13-03: 大坂退散 御請け誓紙の事
 13-09: 大坂退散の事

下間頼照 [没] しもつま よりてる

下間頼総 [55] しもつ よりふさ

神保長住 [--] じんぼう ながずみ

菅屋長頼 [--] すがや ながより

高山右近 [27] たかやま うこん

滝川一益 [55] たきがわ かずます

武井夕庵 [--] たけい せきあん

武田勝頼 [34] たけだ かつより

徳川家康 [37] とくがわ いえやす

永田正貞 [--] ながた まささだ

中野一安 [54] なかの かずやす

中西権兵衛 [--] なかにし ごんべえ

中西新八郎 [--] なかにし しんぱちろう

 伊丹の武将。荒木→ 織田へ
 13-08: 因幡・伯耆両国に至り...
 12-13: 伊丹城 謀叛の事

如春尼  [36]  にょしゅんに

丹羽氏勝 [57] にわ うじかつ

丹羽長秀 [45] にわ ながひで

 織田の家臣。惟住五郎左衛門
 13-01: 播州 三木落居の事
 13-05: 阿賀の寺内 申し付くる...
 14-02: 御馬揃えの事
 14-03: 高天神 干殺し 歴々 討...
 14-04: 和泉 巻尾寺 破滅の事
 14-06: 因幡国 鳥取城 取り詰...
 14-09: 能登・越中 城々破却の事
 14-10: 伊賀国、三介殿に仰せ...
 14-11: 伊賀国へ 信長 御発向...
 15-14: 人数備えの事
 15-19: 御国割りの事
 15-23: 信長公 甲州より御帰陣...
 15-25: 家康公・穴山梅雪 御上...
 15-28: 家康公・穴山梅雪、奈...
 0-05: 景清 あざ丸刀の事
 0-40: 加治田之城 御味方に参る事
 0-41: 犬山両おとな 御忠節の事
 0-42: 濃州 伊木山へ御上りの事
 0-43: 堂洞砦 攻めらるの事
 1-04: 信長御入洛十余日の内に...
 2-05: 名物 召され置きの事
 2-06: 阿坂の城 退散の事
 3-02: 名物 召し置かるるの事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-07: たけくらべ・かりやす砦の事
 3-08: 姉川合戦の事
 3-10: 志賀御陣の事
 4-01: 佐和山城 渡し進上の事
 4-04: 志むら攻め干さるるの事
 4-06: 御修理造り畢るの事
 5-01: 武者小路 御普請の事
 5-03: 奇妙様 御具足初めに...
 6-03: 石山・今堅田 攻められ候...
 6-05: 百済寺伽藍 御放火の事
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 7-02: 前波生害、越前一揆蜂起の事
 7-04: 蘭著待 切り取らるるの事
 7-09: 河内長島一篇に仰せ付けら...
 8-01: 御分国 道作り 仰せ付けら...
 8-02: 公家領 徳政にて仰せ付け...
 8-03: 河内国新堀城攻め干され...
 8-04: 三州 長篠 御合戦の事
 8-06: 禁中において親王様 御鞠...
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 9-01: 安土 御普請の事
 9-04: 御後巻 再三 御合戦の事
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-03: 御名物召し置かるるの事
 10-06: 柴田 北国 相働くの事
 10-07: 松永謀叛 並びに 人質...
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 10-13: 三州吉良へ御鷹野の事
 10-14: 中将信忠へ御名物11種...
 11-01: 御茶の湯の事
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-14: 安部二右衛門 御忠節の事
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...
 12-01: 摂津国 御陣の事
 12-03: 二条殿・烏丸殿・菊庭...
 12-05: 丹波国 波多野兄弟 張...
 12-09: 宇治橋 取り懸けの事
 12-10: 北畠中将殿 御折檻状の事
 12-18: 伊丹城 相果たし、御成...

野々村主水 [--] ののむら もんど

羽柴秀長 [40] はしば ひでなが

羽柴秀吉 [43] はしば ひでよし

 織田の家臣。羽柴筑前守
 13-01: 播州 三木落居の事
 13-05: 阿賀の寺内 申し付くる...
 13-08: 因幡・伯耆両国に至り...
 13-11: 佐久間・林佐渡・丹羽...
 14-03: 高天神 干殺し 歴々 討...
 14-06: 因幡国 鳥取城 取り詰...
 14-07: 8月朔日 御馬揃えの事
 14-12: 因幡国 鳥取 果て口の事
 14-13: 伯耆国 南条表 発向の事
 14-14: 淡路島 申し付けらるる...
 14-15: 悪党 御成敗の事
 15-02: 御爆竹の事
 15-05: 木曾義政 忠節の事
 15-13: 中国表 羽柴筑前 働き...
 15-26: 羽柴筑前守秀吉、備中...
 1-04: 信長御入洛十余日の内に...
 2-06: 阿坂の城 退散の事
 3-04: 越前 手筒山攻め落せらる...
 3-07: たけくらべ・かりやす砦の事
 3-08: 姉川合戦の事
 3-10: 志賀御陣の事
 4-02: 箕蒲合戦の事
 5-03: 奇妙様 御具足初めに 虎後...
 6-07: 公方様 真木島に至りて御...
 6-08: 真木島にて御降参 公方様...
 6-10: 岩成 討ち果たされ候事
 6-11: 阿閉 謀叛の事
 7-02: 前波生害、越前一揆蜂起の事
 7-10: 樋口夫婦 御生害の事
 8-07: 越前御進発、賀・越 両国...
 9-01: 安土 御普請の事
 9-04: 御後巻 再三 御合戦の事
 10-01: 雑賀御陣の事
 10-03: 御名物召し置かるるの事
 10-06: 柴田 北国 相働くの事
 10-09: 信貴城 攻め落さるるの事
 10-10: 中将信忠御位の事
 10-12: 但馬・播磨、羽柴に申...
 10-13: 三州吉良へ御鷹野の事
 11-01: 御茶の湯の事
 11-04: 磯野丹波・磯貝新左衛...
 11-06: 高倉山西国陣の事
 11-07: 洪水の事
 11-08: 播磨神吉城攻めの事
 11-13: 荒木摂津守 逆心を企て...
 11-15: 丹波国波多野館取り巻...
 12-03: 二条殿・烏丸殿・菊庭...
 12-05: 丹波国 波多野兄弟 張...
 12-07: 荒木 伊丹城・妻子捨て...
 12-14: 氏政 甲州表へ働きの事

長谷川秀一 [--] はせがわ ひでかず

波多野秀治 [没] はたの ひではる

蜂須賀小六 [54] はちすか ころく

林秀貞  [--] はやし ひでさだ

原田直政 [没] はらだ なおまさ

平井越後 [--] ひらい えちご

平手汎秀 [没] ひらて ひろひで

布施公保 [--] ふせ きみやす

別所重宗 [51] べっしょ しげむね

別所長治 [22] べっしょ ながはる

北条氏照 [40] ほうじょう うじてる

北条氏政 [42] ほうじょう うじまさ

星野左衛門 [--] ほしの さえもん

堀秀政  [27] ほり ひでまさ

松井友閑 [--] まつい ゆうかん

水野直盛 [--] みずの なおもり

宮脇又兵衛 [--] みやわき またひょうえ

村井貞勝 [60] むらい さだかつ

村井貞成 [--] むらい さだなり

矢木駿河 [--] やぎ するが

保田安政 [25] やすだ やすまさ

矢部家定 [--] やべ いえさだ

山脇勘左衛門 [--] やまわき かんざえもん