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「 観世音菩薩普門品 」 と絵画: その6


その5 その7

訳文:
ここで、無盡意菩薩が、仏さまに質問しました。
「お釈迦さま、観世音菩薩は、どのようにして、この人間が住む世界に来られて、どのように人々に法を説かれるのですか? 使われる方便の力は、どのようなものなのでしょうか?」
仏さまは無盡意菩薩に説かれました。
「よきお方よ、もし国土の人々の中で
 仏
(ブッダ)
として悟りを開くべき者には
  観世音菩薩は、仏の姿を現して、その者のために法を説きます。
 辟支仏
(プラティエーカ=ブッダ)
として悟りを開くべき者には
  すなわち、辟支仏の姿を現して、その者のために法を説き、
 声聞
(シュラーヴァカ)
として悟りを開くべき者には
  すなわち、声聞の姿を現して、その者のために法を説きます。
 梵王
(ブラフマン)
として悟りを開くべき者には
  すなわち、梵王の姿を現して、その者のために法を説き、
 帝釈
(シャクラ)
として悟りを開くべき者には
  すなわち、帝釈の姿を現して、その者のために法を説き、
 自在天
(イーシュヴァラ)
として悟りを開くべき者には
  すなわち、自在天の姿を現して、その者のために法を説き、
 大自在天
(マヘーシュヴァラ)
として悟りを開くべき者には
  すなわち、大自在天の姿を現して、その者のために法を説き、



下村観山:如意輪観音
下村観山 『 如意輪観音 』1921 (T10)  水野美術館

読み下し文:
無盡意菩薩、仏に白
(もう)
して言
(もう)
さく。「世尊、観世音菩薩、
云何
(いかん)
がして、この娑婆世界に遊び、云何がして衆生のために法を説く?
方便の力、その事 云何?」
仏、無盡意菩薩に告ぐ。
「善男子、もし国土の衆生ありて、
 仏の身を以って得度すべき者、観世音菩薩、即ち 仏の身を現して、為に法を説く。
 辟支仏
(びゃくしぶつ)
の身を以って得度すべき者、即ち 辟支仏の身を現して、為に法を説く。
 声聞
(しょうもん)
の身を以って得度すべき者、即ち 声聞の身を現して、為に法を説く。
 梵王
(ぼんのう)
の身を以って得度すべき者、即ち 梵王の身を現して、為に法を説く。
 帝釈
(たいしゃく)
の身を以って得度すべき者、即ち 帝釈の身を現して、為に法を説く。
 自在天
(じざいてん)
の身を以って得度すべき者、即ち 自在天の身を現して、為に法を説く。
 大自在天の身を以って得度すべき者、即ち 大自在天の身を現して、為に法を説く。

白文:
無盡意菩薩 白仏言 世尊 観世音菩薩
 云何 遊此娑婆世界 云何 而為衆生説法
 方便之力 其事云何
仏告 無盡意菩薩  善男子 若有国土衆生
 応以 仏身 得度者 観世音菩薩 即現 仏身 而為説法
 応以 辟支仏身 得度者 即現 辟支仏身 而為説法
 応以 声聞身 得度者 即現 声聞身 而為説法
 応以 梵王身 得度者 即現 梵王身 而為説法
 応以 帝釈身 得度者 即現 帝釈身 而為説法
 応以 自在天身 得度者 即現 自在天身 而為説法
 応以 大自在天身 得度者 即現 大自在天身 而為説法

English:
Again the Bodhisattva Mahâsattva Akshayamati asked the Buddha.
"How does Bodhisattva Avalokitesvara
( kanzeon/ Guan Shi Yin )
come to
this human world and how does he preach the Dharma(law) to people ?
What is the power of the Dharma tools that he uses ?"
The Buddha told Bodhisattva Mahâsattva Akshayamati
"Young man of good family, in this vast land,
For those who should be enlightened as Buddhas,
   Bodhisattva Avalokitesvara
( kanzeon/ Guan Shi Yin )
takes on
   the form of Buddhas and preaches the Dharma for them.
For those who should be enlightened as Pratyeka=buddhas,
   he takes on the form of Pratyeka=buddhas and preaches the Dharma for them.
For those who should be enlightened as Shravakas,
   he takes on the form of Shravakas and preaches the Dharma for them.
For those who should be enlightened as Brahmanas,
   he takes on the form of Brahmanas and preaches the Dharma for them.
For those who should be enlightened as Shakras,
   he takes on the form of Shakras and preaches the Dharma for them.
For those who should be enlightened as Ishvaras,
   he takes on the form of Ishvaras and preaches the Dharma for them.
For those who should be enlightened as Maheśvaras,
   he takes on the form of Maheśvaras and preaches the Dharma for them.